第三十七話~三成に過ぎたる者~
・笹尾山方面
西軍
石田三成
東軍
細川忠興・田中吉政・加藤嘉明・織田有楽斎(天満山北より転戦)・古田重然(天満山北より転戦)
・小池村方面
西軍
福島正則
東軍
島津豊久・筒井定次
・天満山方面
西軍
宇喜多秀家
東軍
松平忠吉・井伊直政・黒田長政・山内一豊(南宮山方面より転戦)・本多忠勝(前線後方より転戦)
・天満山北方面
西軍
小西行長
東軍
東軍中小部隊
・藤川台地方面
西軍
大谷吉継(指揮下に戸田重政・平塚為広ら)
東軍
藤堂高虎・京極高知・寺沢広高(遊撃部隊より転戦)・有馬則頼・有馬豊氏父子(南宮山方面より転戦)・生駒一正(遊撃部隊より転戦)・中村一忠(南宮山方面より転戦)
・松尾山方面
西軍
小早川秀秋
東軍
朽木元綱・小川祐忠・赤座直保・脇坂安治(西軍より寝返り)・池田輝政(南宮山方面より転戦)・浅野幸長(南宮山方面より転戦)
・南宮山方面
西軍
毛利秀元・吉川広家・安国寺恵瓊・長宗我部盛親・長束正家
東軍
徳川秀忠・鷹村聖一・堀尾忠氏・津軽為信等
・大垣城方面
西軍(大垣城守備)
垣見一直・福原直高・高橋元種・秋月種長・相良長毎
東軍
榊原康政・大久保忠隣・水野勝成等
池田隊が布陣していた跡地に、三つ葉葵の旗が靡いた。遠路信濃国からはせ参じた徳川秀忠の本陣である。陣地を整えるのに兵士たちが慌ただしく動く中、秀忠は床几に腰かけて南宮山を睨んでいた。
彼女の元々の旗下の部隊であった榊原・大久保ら徳川家の主力部隊の大部分は遠距離移動による疲弊が著しく、聖一の判断で大垣城監視に回り、代わって大垣城監視に従事していた堀尾忠氏・津軽為信らが秀忠の指揮下に入った。
「毛利勢は結局動く気配なし。忠吉の様に華々しく前線に討って出たいものだけれど・・・」
「後背の監視も重要な任務にございます。自重なされませ」
聖一が窘めると、秀忠は拗ねたように頬を膨らませた。
「分かっております、父上。秀忠ももう分別のない子供ではございませぬ」
そうして拗ねるところが子供っぽいのだが、聖一は苦笑するだけであえて何も言わなかった。
松尾山麓と藤川台地で小早川隊・大谷隊らと激戦を繰り広げていた東軍諸隊は、脇坂隊らの東軍への寝返りを受け、これらを壊滅させた。
乱戦の中で大谷隊の指揮下にあった戸田重政・平塚為広は戦死し、大谷吉継の首も挙がった。小早川秀秋は何とか逃れようとしたものの、寝返りの手土産を狙っていた朽木元綱の部隊によって捕縛された。
大谷・小早川隊を壊滅させた東軍諸隊は、小西隊・宇喜多隊に襲いかかった。朝から戦い続け、互角以上の激闘を繰り広げていた両隊だが、寝返りの四隊を含めた東軍諸隊の横腹からの攻撃を跳ね返す力はもはや残っていなかった。小西隊は早々に崩れ、宇喜多隊も猛攻撃を受けた。
「おのれ太閤殿下の御恩を忘れた裏切り者どもめ!刺し違えてでも討ち果たしてやるわ!!」
寝返った四隊の将に激怒した宇喜多秀家は刀を振りかざして吠え猛るが、家臣に押しとどめられて戦線を離脱した。
次々と各方面から送られてくる伝令の口から報告されるのは、いずれも三成を絶望させる内容ばかりだった。
徳川秀忠隊の到着。脇坂隊らの寝返り。小早川隊の崩壊。大谷吉継の討死。宇喜多・小西隊の壊滅―――三成はガクリと膝から崩れ落ちた。
「馬鹿な・・・」
遠くから聞こえてくる勝鬨。西軍諸隊を壊滅させた東軍諸隊によって徐々に蹂躙されていく自陣。三成の目に飛び込んでくるのは、まぎれもない現実であった。
(負けた)
「殿!」
三成のもとに駆けつけてきたのは、血染めの太刀を提げた女武者。彼が何よりも信頼する侍大将・島左近である。
「もはや負け戦でござる。はよう御立退きを」
言葉は少ない。いつもの緩い雰囲気は消え失せ、鬼気迫る表情で退去を促す。
「立ち退いて何になる。もはやこれまでじゃ」
必勝の策を練り、敗北の原因も打ち消した。それでも負けたのだ。それも言い訳をしようもない大敗を喫した。もう立ち直るすべなどない―――
「殿にはまだ佐和山城がござる。毛利殿も大津にござる。立ち直る事などいくらでも出来申す」
三成の明晰な頭脳は分かっていた。佐和山城に戻り、大津に在陣しているはずの毛利輝元と合流すれば、もうひと合戦が出来ると。
しかし、三成の心はもはや折れてしまっていた。
「もう戦えぬ。毛利殿と合流してもわしは家康には勝てぬ・・・そういう運命なのじゃ」
「あーもう。この方こんなに脆い人だったかねぇ」
まったく手間のかかる、と苦笑した左近は、太刀を収め、兜を脱いだ。
「もう少しいい雰囲気でしたかったんですけどねぇ」
「左近・・・んぅっ!?」
武装の麗人は主君の胸倉を掴んで無理やり立たせると、その可憐な唇を三成の唇に押し当てた。
「さ、左近!」
「感謝してくださいよまったく!まったく本当に手間がかかる御主君ですねぇ!」
左近はクルリと踵を返し、兜を被り直した。顔を真っ赤にしている三成に背を向けたまま、早口で続ける。
「ともかくとっとと佐和山へ帰ってください。ここは私が殿を引き受けますから。御側衆は護衛を頼みますよ!」
「お、おい!」
左近は再び戦場に向かって駆けだした。
島左近清興がこの運命の主君に出会ったのは、かつての主家であった大和国の大名筒井家を離れて、畿内周辺を旅して回っていた時の事。高名な侍大将であった彼女の元には、多くの大名から仕官の誘いがあった。その誘いの中には妻や妾としての誘いもあったが、そのすべてを断っていた。
(禄は皆様大した提示をしてもらったんですけど、どーもしっくりこなかったんですよねぇ)
直感というのだろうか。どれだけ高禄を提示されても、どんなにいい待遇を提示されても、彼女は首を縦に振らなかった。
高名な彼女を惜しんで、扶持をくれる者がいたので生活に苦しむという事はなかった。そんななかでフラフラと生活を送る日々を過ごしていたところに、あの男に出会うのだった。
(そんな時にあの手間のかかるお人に会ったんですよねぇ。まったく前代未聞ですよ。自分の石高の半分を家臣に提示するなんて)
当時の三成の石高は四万石。左近に二万石の提示をし、仕官を求めたのであった。これまで条件を提示してきた中では、かなり低い条件であった。しかし、彼女は首を縦に振った。
(なんで了解しちゃったんでしょうねぇ。ま、惚れた弱みなのかもね。ある種の一目惚れだったのかも)
難儀な性格の主君を持ったおかげで、敵が多かった。しかし、この男を主君に選んで後悔をしたことは一度もない。
(『三成に過ぎたる者』なんて言われて。好きな男を守って死ぬ。女武者冥利に尽きるじゃないですか)
戦況は絶望的。勝勢に乗った敵軍が一斉にこちらに向かってきている。生きて帰る事はもはやないだろう。
(まったくもう。あれ(口付け)で気が付いてくれましたかね?私がいくら薦められても誰かの妻にならなかった理由。本当に鈍感なんだから・・・)
馬に跨り、馬上から戦況を改めて確認する。自陣は敵の猛攻によって蹂躙され、崩壊寸前。このままでは三成の首はすぐに挙がってしまう。これを防ぐには、自分が討って出る他ないだろう。
「さぁ者ども!」
兵士たちに声をかける。全員が満身創痍、負傷していないものなどいない。
しかし、その眼は生気を保ち、左近の言葉を待っている。
「我らは殿より殿を命じられた!だが恐れる事はない!私もともに、そなた達の死出の旅の供をするからだ!」
応っ!と返事をする兵達の心強さよ。彼らとならば未知なる死出の旅も頼もしく、地獄でも閻魔大王に一戦交える事が出来るだろう。
「死出の旅は賑やかな方がいい!仲間を増やしに行くぞ!」
ある者は刀を抜き、ある者は槍を構えた。左近も抜刀し、大きく振りかざした。
「かかれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
最後の突撃の号令を下し、敵勢に乗り入れる中で、心の中で想いを込めて呟いた。
―――さようなら、殿。
―――さようなら、愛しき人。
―――いつまでも、いつまでもお慕い申し上げております―――
―――三成に過ぎたるものがふたつあり。島の左近に佐和山の城。
佐和山城とともに三成に過ぎたるものと称された島左近清興の最期は、よく分かっていない。
西軍総崩れ後に東軍の黒田長政隊・田中吉政隊などと戦って戦死したとも、戦闘中に狙撃されて後に死去したとも、はたまた落ち延びて天寿を全うしたとも言われている。
左近の奮戦ぶりを物語る逸話がある。史実では石田隊と戦い、左近を討ち取ったとされている黒田隊の武士たちは、関ヶ原の数年後も戦場の悪夢に悩まされ、左近の突撃を命じる怒声に叩き起こされたという。また彼らが年老い、若い武士たちに左近の当時の服装を語ったのだが、具足や陣羽織などに至るまでそのすべてがそれぞれ記憶が異なり、恐怖のあまり記憶があいまいであったという。




