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第一話~徳川討伐令~

大坂城―――天下人・豊臣秀吉の居城にして、天下の(まつりごと)を司る政庁である。

その一室にて、病気に臥せっているとされる秀吉に代わって政務を執る四人の大名が顔を合わせていた。

「徳川の討伐令を出したはよいが・・・諸大名は従いますかのぅ」

不安そうに呟いた丹波国亀山城主・前田徳善院玄以(まえだとくぜんいんげんい)。小柄な法体の男で、彼は豊臣政権下で宗教方面を主に担当している。

「心配は無用でござろう。仮にも我らは、太閤殿下の御命令を奉じて諸大名に命を下したのですぞ。彼らは挙って大坂に参じ、徳川邸に攻め入る事でしょう」

心配そうに呟く玄以を笑い飛ばしたのは眼鏡をかけた小太りの男。彼は財務を担当する近江国水口城主・長束大蔵大輔正家(なつかおおくらだゆうまさいえ)

「しかし、御油断は禁物ですぞ。彼の者はなかなかの女狐にござれば、どのような策謀を立てるやら、皆目見当がつきませぬ」

正家を窘めたのは大和国郡山城主・増田右衛門尉長盛(ましたうえもんのじょうながもり)。細い目と細い口髭が特徴の文官で、彼は主に土木関係を担当している。

「いかにも。内府は油断ならぬ御仁にござるが、此度の討伐令は政権内でも我らしか知らぬこと。彼の者とて神ならぬ身なれば、我らの策を見透かす事は出来ますまい」

自信満々に発言したのは、今回の討伐令の発起人にして豊臣秀次一門の処刑の主導者であった近江国佐和山城主・石田治部少輔三成(いしだじぶのしょうゆうみつなり)。彼は主に行政を担当し、彼ら四名と所要で不在である司法担当の越前国敦賀城主・大谷刑部少輔吉継(おおたにぎょうぶしょうゆうよしつぐ)を合わせた五名の大名が、豊臣政権を実質運営する『五奉行』と呼ばれる人物たちであった。







大坂城には三成の目論見通り、五奉行の軍勢の他に土佐国の長宗我部氏や肥後国の小西氏や加藤氏、筑後国の立花氏、備前国の宇喜多氏、尾張国の福島氏ら豊臣恩顧の大名及び陸奥国会津の上杉氏や常陸国の佐竹氏らが大坂城に軍勢を率いて入城してきていた。

「太閤殿下よりの御下命と聞いて大坂城に参じたが―――」

大柄の髭武者が上座に並ぶ四人の奉行を睥睨して吐き捨てた。

「いつもの牛蒡野郎に豚が一頭ではないか。いい加減、わしらはいつになったら殿下に拝謁がかなうのだ!」

拳で畳に打ち付け、奉行衆を睨みつけたのは尾張国清州城主・福島左衛門大夫正則(ふくしまさえもんのだいふまさのり)。武断派の筆頭と目されている男で、三成らとは犬猿の仲であった。

「市松の申す通りよ。殿下の命令、殿下の命令と連呼し、当の殿下は一向に御出であそばさぬ。貴様らが命令を偽造していると言われても致し方がないのではないか?」

長い顎鬚が特徴の痩身の男は肥後国熊本城主の加藤主計頭清正(かとうかずえのかみきよまさ)。正則とは幼馴染で、互いに『市松』『虎之助』と呼び合う仲である。

「主計頭、左衛門大夫、控えよ。殿下の御命令を何と心得る」

「・・・」

秀吉の命令、と言われれば正則も清正も黙らざるを得ない。それを持ち出しているのがこの世で一番気に食わない人物であろうともだ。

「・・・それで、敵勢はどれほどじゃ。抜け目ない貴様らの事だ、すでに内府殿の屋敷に参集の大名たちは把握しているのであろう?」

苦々しげに舌打ちした正則の問いかけに、長盛が懐に入れていた書状を取り出して開き、読み上げた。

「徳川邸に参集せし大名は以下の通りでござる。安芸中納言殿、伊達越前守殿、島津惟新殿―――」

一方奉行らの命に従わず、徳川邸に向かったのは安芸国の毛利氏、陸奥国の伊達氏、薩摩国の島津氏ら豊臣家外様の大大名ら。大名の数は少ないが、兵力は侮れぬものがあった。

加賀大納言(かがだいなごん)殿は如何された。大坂にも、伏見にも肩入れされておらぬようだが」

「大納言殿は病との仰せじゃ」

加賀大納言前田利家にも奉行らは出陣要請を行っていたが、前田家は大坂方へ与せず、かといって徳川邸に援軍を遣わせるわけでもなく、沈黙を保っていた。

「加藤・福島の両名に太閤殿下の御言葉を伝える」

三成はグイと胸をそらし、厳かに告げた。

「両名に徳川討伐軍の先陣を命じる。速やかに御下命を遂行し、家康が首を挙げるべし」

2人は拳を振るわせて、鬼のような形相で三成らを睨みつけていたが、やがて頭を垂れた。






一方の伏見徳川邸。徳川家の邸宅には、家康に与する大名たちが車座を作って今後の対応を協議していた。

安芸国広島城主・毛利安芸中納言輝元(もうりあきちゅうなごんてるもと)。中国太守・毛利家の当主で、謀聖・毛利元就の孫にあたる。家康とは義姉弟の契りを交わした間柄。気だるげな態度の中年男性で、性格もその通り怠惰な人物。

伊予国今治城主・藤堂和泉守高虎(とうどういずみのかみたかとら)。亡くなった豊臣秀長の重臣であった女性で、文武に優れ、特に築城技術に長けた名将である。茶色の髪をした小柄な娘で、物静かな性格の人物。

出羽国山形城主・最上山形侍従義光(もがみやまがたじじゅうよしあき)。羽州南部をほぼ治める実力者で、『羽州の狐』と称される謀将で『独眼竜』の異名を持つ伊達政宗とは伯父・姪の間柄。先日の秀次一門処刑事件で、秀次の側室となったばかりの娘を失い、失意の日々を過ごしていた。

陸奥国岩出山城主・伊達越前守政宗(だてえちぜんのかみまさむね)。『独眼竜』の異名を持つ若き女傑で、最上義光は母方の伯父にあたる。長くクセのついた金髪と豪奢な衣装が特徴の『伊達者』である。

薩摩国富隈城主・島津惟新入道義弘(しまづいしんにゅうどうよしひろ)。九州の強豪・島津氏の当主を務める尼僧姿の妙齢の美女であるが、島津軍の総大将として島津氏を九州統一寸前まで導いた名将である。

最後に甲斐国府中城主・浅野弾正長政(あさのだんじょうながまさ)。秀吉の親族ではあるが、息子の左京太夫幸長(さきょうだゆうよしなが)が秀次事件に際して彼を弁護したことで長政は蟄居、幸長は能登国に配流されていたところ、家康は浅野父子の赦免に尽力し、それ以来浅野家は徳川派となっていた。

そして彼らの上座に『江戸の内府』徳川家康を頂いた、所謂『反奉行』大名たちはそれぞれ軍勢を率い、伏見徳川邸にて来る奉行軍に対して対策を練っていた。

「敵勢の指揮官は戦慣れしておらぬ奉行衆らじゃ。敵方の態勢が整う前に早々に攻め込んでしまえばよかろう」

欠伸をしながら面倒そうに強硬論を口にしたのは毛利輝元。何事にしろ、面倒な事を避けたい性格の人物なのである。

「毛利殿の仰せのとおりでござる。奇襲を仕掛け、直ちに君側の奸を除くべきかと存ずる」

輝元に同意したのは最上義光。彼は先日の秀次一族の処刑で娘の駒姫を失い、また義光と同じく悲嘆に暮れた正室も病で失っており、奉行衆らに憎悪を募らせていた。

「・・・殿下を幽閉しているとはいえ、殿下を手中にしているのは彼ら。大義名分はあちらにある」

「藤堂殿の仰せ御尤も。太閤殿下に弓引く事に繋がりかねず、諸大名の中には動揺する者も出て参りましょう」

一方、慎重論を口にしたのは藤堂高虎と伊達政宗の女性大名たち。島津義弘と浅野長政もこれに続いた。

「此度の一件が理不尽なのは天下万民が知るところ。やがて大名諸侯が我らのもとに集えば、大坂方から何らかの譲歩を引き出せる事が出来るでしょう」

「然り。すでに池田殿、山内殿ら東海筋の大名が我らに誼を通じて来ております。江戸中納言様も軍勢を率いて上洛中なれば、大坂方もおいそれとは攻めてはこれますまい」

家康の養女の婿である三河国吉田城主・池田三左衛門輝政(いけださんざえもんてるまさ)や遠江国掛川城主・山内対馬守一豊(やまのうちつしまのかみかずとよ)、同国浜松城主・堀尾帯刀先生吉晴(ほりおたてわきのせんじょうよしはる)らが大坂方の誘いに乗らず、徳川方に誼を通じる旨を伝えて来ていた。さらに家康の嗣子である江戸中納言徳川秀忠(えどちゅうなごんとくがわひでただ)は、大軍を率いて上洛中。

大坂方は福島正則と加藤清正を先鋒に、徳川方に誼を通じている摂津国高槻城主である新庄父子を攻撃する構えを見せており、すでに徳川方も対抗すべく出兵準備を整えており、一触即発の状況であった。






「各々方に申しておくことがあります」

会議が落ち着いた頃を見計らい、家康が口を開いた。

「あくまでも今回の件は、大坂方の奉行衆がこの家康を討たんとして起こった事。私は天下に騒乱を起こす気など更々ありませんし、天下を窺ってもおりません。されど―――」

武士(もののふ)として、挑まれたからには受けて立たねばなりません。私を支持してくれる者を、見捨てることもしませぬ」

宣言した家康は、各々の大名に指示を下した。

「毛利殿は相手方の如何なる挑発にも乗らぬ事。こちらから仕掛ければ、我らは本格的に逆賊の汚名を被らねばならず、勝てる戦も勝てなくなります」

「ははっ」

「藤堂殿と浅野殿は大坂方の諸大名及び事態を静観している諸侯に、此度の件がいかに理不尽であるか、訴えて頂きたい」

「御意」

「承知いたしました」

豊臣家譜代の家臣である藤堂高虎と浅野長政は、伝手を生かして大坂方及び事態を静観している豊臣恩顧の大名の切り崩し工作を担当することになった。

「内府殿。黒田殿父子が私を通して内府殿へ誼を通じたいと申してきております。黒田殿は御父子そろって智謀の士。特に御息女甲斐守殿は大の治部嫌いにございますれば、必ずや御役に立つものと心得ます」

島津義弘を通じて豊前国中津城主である黒田如水孝高(くろだじょすいよしたか)甲斐守長政(かいのかみながまさ)が徳川方に加わり、彼らは家康の頭脳として活躍することになる。

「伊達殿と最上殿は国許に戻り、会津中納言(あいづちゅうなごん)殿及び佐竹右京大夫(さたけうきょうだいふ)殿の監視を願います」

「心得たり!」

「承知いたしました」

家康と秀忠が関東を留守にする間、徳川領を狙う仮想敵は上杉会津中納言景勝(うえすぎあいづちゅうなごんかげかつ)佐竹右京大夫義宣(さたけうきょうだいふよしのぶ)である。両大名は大坂にいるが、大坂からの指示で国許から徳川領へ攻撃を仕掛ける恐れがあった。東北の雄である伊達政宗と最上義光は国許に戻り、両家の監視を行ってもらう。不測の事態があれば、関東の徳川軍と合力して対応する手筈である。

その後も続々と大坂・伏見にそれぞれ大名衆が集い、戦いを望まぬ家康の思いとは裏腹に、戦いの火蓋は今にも切って落とされんとしていた―――

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