第三十二話~関ヶ原の戦い(三)~
関ヶ原の戦い東西両軍対戦構図
・笹尾山方面
西軍
石田三成
東軍
細川忠興・田中吉政・加藤嘉明
・小池村方面
西軍
福島正則
東軍
島津豊久・筒井定次
・天満山方面
西軍
宇喜多秀家
東軍
松平忠吉・井伊直政・黒田長政
・天満山北方面
西軍
小西行長
東軍
織田有楽斎・古田重然ら東軍中小部隊
・藤川台地方面
西軍
大谷吉継(指揮下に戸田重政・平塚為広ら)
東軍
藤堂高虎・京極高知
・松尾山方面
西軍
小早川秀秋・朽木元綱・小川祐忠・赤座直保・脇坂安治(朽木・小川・赤座・脇坂は小早川指揮下)
・南宮山方面
西軍
毛利秀元・吉川広家・安国寺恵瓊・長宗我部盛親・長束正家
東軍
池田輝政・浅野幸長・山内一豊・有馬則頼父子
笹尾山麓の石田三成の陣に攻めかかる東軍部隊。そのうちのひとつ、『九曜紋』の旗を靡かせて進撃するのは細川忠興隊である。
「それーぃ!三成めの首を取るのは我らぞ!」
馬上の大将細川越中守忠興は遮二無二指揮棒を振り回し、旗下の兵士を鼓舞せんと怒鳴り声を上げ続ける。
忠興にとって、三成は妻の仇。この戦いで三成を討たんとする気概は他の大名よりもはるかに高かった。しかし、気迫の籠った彼の指揮ぶりを嘲笑うかのように兵士たちは三成の陣から討って出てきた一隊に蹴散らされていく。
「申し上げます!我が隊の先陣、敵先鋒により押されて苦戦中!」
「島左近めが出てきおったか!」
三成の先陣を務めるほどの武将と言えば、島左近を置いて他ないだろう。島隊に蹴散らされる自軍先陣を見た忠興は、直ちに次の指示を下す。
「田中と加藤に島の脇腹を突かせよ!」
さらに本陣の家康に支援を要請する使者を発した。本来ならば、自分だけで三成の首を挙げてやりたい。だが、ここで負けるわけにはいかないのだ。
『丸に十文字』の島津氏といえば、かつて九州を統一しかけた勇猛な軍勢が特徴であった。しかし、この関ヶ原では島津隊はその勇猛さは鳴りを潜め、眼前の敵・福島正則隊との撃ち合いに終始していた。
島津隊を率いる島津豊久は、床几に腰かけて歯痒い思いをしていた。本来ならば、華々しく討って出て、『賤ヶ岳の七本槍』のひとりである福島正則と正面から干戈を交えてみたかった。しかし敵勢は陣地をしっかりと構え、正面から攻めれば火縄銃のいい的になってしまうだろう。それが分からないほど、豊久は猪武者ではなかった。
(そういえば伯父上と伯母上に出立前に何かを言われていた気がするが・・・)
伯父の義久と伯母の義弘から伝えられた密命は、秘中の秘であるゆえに豊久にしか伝えられておらず、彼の家臣には伝えられていなかった。
そして豊久は、会津征伐軍の情報を薩摩に伝える事も全く忘れてしまっていたのである。その為、本国薩摩の義久と義弘は動くに動けず、また豊久の周りも密かに監視されていたこともあって、連絡が全く取れなくなっていたのだ。
(いや、今は目の前の合戦に注力すべきだ)
彼のこの真っ直ぐさ、そして伯父と伯母が懸念した『目の前の物事に注力しすぎる』欠点―――これが彼の本来の運命を捻じ曲げてしまう事になる。
南宮山を監視する東軍部隊は、時折思い出したように小規模な銃撃戦が起こるくらいで、西軍とは本格的な激突には至っていなかった。山内・浅野らとともに南宮山を監視する部隊に回された池田輝政も、時折長束正家らと銃による交戦があるだけで西軍との本格的な衝突には至っていなかった。
秀吉が姿を見せなくなってからの三成と家康の一連の騒動では一貫して家康を支持してきた。しかし、東軍を率いる家康は父と兄の仇でもある。
(昨日の敵は今日の味方。そんな事はいくらでもあるわ)
三成からの誘いの書状には父と兄の事に触れてあった。自らとともに二人の敵を討たないかと。
輝政がただの娘なら応じたかもしれない。しかし彼女は池田家の当主、三河国吉田十五万石の大名なのだ。彼女が私情で動けば、家臣とその家族たちは路頭に迷う。
(私とて父上たちに身内を討たれた者たちにとっては仇の娘。しかし今は、彼らもともに徳川殿の勝利の為に戦っている)
前線の戦況が気がかりだが、今は自分に出来る事をするしかない。
仲間たちを信じ、任を果たすだけだ。
麓からは銃声と剣戟の音、人々の叫び声が聞こえてくるが、桃配山に本陣を構える徳川家康の目には白い霧で詳しい戦況が自らの目で確認できずにいた。絶えず各所から指示を仰ぐ伝令兵が飛び込み、指示を受けた伝令兵が出ていく。
石田隊に対する細川らは均衡、福島隊・小西隊と戦闘をしている東軍諸隊は小康状態と五分の戦いを繰り広げているが、宇喜多隊と戦闘中の松平勢や大谷・小早川隊と戦闘中の藤堂隊らはやや苦戦を強いられていた。
「細川勢の援軍には織田勢と古田勢を!」
「心得ました!」
「寺沢勢を藤堂勢の援軍に回しなさい!有馬勢も同じく!」
「ははっ」
「宇喜多へは山内勢と忠勝を!また宇喜多勢に対する部隊は忠勝の指揮下に入るよう通達を!」
「御意に!」
宇喜多隊は西軍の主力であり、西軍で最も精強な部隊である。伝令から情報を得てからでしか指示を下せない家康よりも、経験豊富な本多忠勝に前線に立たせて指揮権を預ける方が柔軟な対応を取れると判断したのだ。
「本陣を前進させます!」
「承知いたしました!本陣、前へ!」
霧が未だに晴れず、前線が見渡せない山上で指揮を執る事を諦めた家康は鷹村正純に部隊の前進を命じた。
法螺貝が鳴り響き、家康隊三万が動き出した。
激戦を繰り広げる者達。沈黙を守る者達。様々な思惑が入り乱れる中、大合戦は続く。




