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第三十話~関ヶ原の戦い(一)~

第三十話~関ヶ原の戦い(一)~

秋の日の早朝。濃い霧が立ち込める中、美濃国不破郡関ヶ原にて東西両軍が布陣を完了した。両軍合わせて十五万余の軍勢は、開戦の時を今や遅しと待ち構えていた。

関ヶ原は北に北国街道、南に伊勢街道が通り、東に今須山、東に南宮山が聳える高原盆地である。かつては交通の要所として不破の関があり、関より東を『関東』関より西を『関西』というきっかけとなった場所でもある。

東軍総大将として三万の兵を率いる徳川家康は桃配山に本陣を構え、斥候が記した両軍の布陣図を確かめていた。

「敵は鶴翼の陣で我らを受け止めるつもりですね」

西軍の関ヶ原における布陣は、家康の本陣が置かれた桃配山を中心にして右から笹尾山麓に布陣する石田三成の六千九百を始めに、その左脇の小池村に福島正則の二千、翼の中央の天満山麓の宇喜多秀家の一万七千、福島隊と宇喜多隊の間、天満山北に小西行長の四千、山中村には大谷吉継とその配下の部隊戸田重政・平塚為広ら四千余が布陣。最左翼の松尾山には小早川秀秋の一万五千。その麓に赤座直保・小川祐忠・脇坂安治・朽木元綱の四千二百が控える。さらに戦場の東方の南宮山には毛利秀元隊を中心に吉川・安国寺・長束・長宗我部の五部隊三万弱が布陣。関ヶ原に陣を構えた西軍のこの陣形は翼を広げた鳥のようである為、『鶴翼の陣』と呼ばれる。

(小早川とその麓の部隊が敵である以上、我々は敵の懐に飛び込み、これを打ち破らなければならない・・・)

一方の東軍は魚鱗の陣を敷き、西軍一部隊に対して複数の部隊で応戦する策を立てた。笹尾山の石田隊に対しては細川・田中・加藤の四部隊一万一千余、小池村の福島隊に対しては島津・筒井隊の二部隊五千弱、天満山の宇喜多隊に対しては松平・井伊・黒田の三部隊一万二千、天満山北の小西隊に対しては織田・古田ら東軍の小部隊、山中村の大谷隊に対しては藤堂・京極の五千五百が、それぞれ陣を構えて睨みあう。

彼らの後ろに各隊の目付として本多隊五百。そしてさらに後ろの桃配山には徳川隊三万が控える。南宮山方面の西軍に対しては池田・浅野・山内・有馬・中村らの一万五千弱が陣を構えて監視にあたった。関ヶ原方面には他にも寺沢・金森・生駒・蜂須賀ら遊撃部隊が展開している。

これとは別に堀尾・水野・津軽らが大垣城監視部隊として展開している。

「正純。小早川に対して、黒田殿はなんと?」

「しばらく前から黒田様が目付に送った大久保殿と連絡が取れぬと」

「でしょうね。この布陣では私達は小早川に横腹を晒してしまっています」

長政には悪いが、救出した前田利家から小早川秀秋の為人の情報を手に入れ時から秀秋は信用の置けない人物だと家康は考えていたので、彼女を密かに味方に付ける事は諦めていた。






鶴翼の陣の戦術目的は『包囲殲滅』に尽きる。防御に適した陣形であり、数に勝る西軍が、数で劣る東軍に対して敷く陣としては最適なものであった。

(鶴翼の陣は自軍の兵の消耗を避ける為の防御に適した陣形。中軍の宇喜多が持ちこたえている間に大谷と石田の両翼が我が軍を包囲殲滅。止めに南宮山の毛利勢が私の背後を突く―――戦術としてはいいでしょう。百点満点です)

しかし家康は自身が三方ヶ原の戦いで武田軍に敗北を喫した経験から、この陣形の弱点も見抜いていた。

(翼の各隊に対して分散して攻撃を行えば、翼は機能する事が出来ない。また、左右に広がった分だけ情報伝達に難があります。私がうまく敵の裏をかく手が打てれば、この陣は脆い)

一方東軍の敷いた魚鱗の陣は三方ヶ原の戦いで家康を完膚なきまでに叩いた武田軍が構えた陣形で、各隊が密集して連絡が取りやすく、また次々と新手を繰り出せるため消耗戦に強い。また兵や隊が一点に集中する為敵より数が少ない場合、正面突破には有効である。ただし一局に注力する為包囲されると弱く、横撃されると脆くなる。

包囲したい西軍か。

それとも突破したい東軍か。

霧が立ち込める関ヶ原を睨み、家康はそばに控える鷹村正純に進撃命令を下した。






「ねぇ正成!あの金扇が家康の本陣だよね!」

血で染まった太刀(・・・・・・・・)を無邪気に振り回しながら、松尾山麓に陣を構える小早川金吾中納言秀秋は重臣の稲葉佐渡守正成に尋ねた。

「・・・御意にございます」

正成は言葉少なに答えた。つい先ほど行われた黒田家の目付であった大久保猪之助の惨殺劇に閉口しているのである。彼女は遠慮なく嬲り殺せる人間を寄越させるためにわざと黒田長政に対して内応に応じるふりをしていたのである。

「よし!じゃあご主人様の為に、家康をぶっ殺しに行こうよ!」

今にも馬に跨って突撃しようとする秀秋を、正成は慌てて止めた。

「殿!我らのみが突出しては東軍の包囲殲滅が出来ませぬ!まずは敵勢を引き込み、横腹を突きつつ包囲を完了させることが肝要にございますぞ!」

「ああん?」

それまではしゃいでいた秀秋は、諫言をした正成をまるで別人のような剣呑な表情で睨みつけた。

「なに?正成。ボクの邪魔をするの?」

「い、いえ―――」

血を見るのが異常に好きなこの狂った主君には戦の前の諫言は命取りだ。秀秋は正成の胸倉を掴むと、その耳に唇を寄せた。瑞々しい可憐な唇から、可愛らしい声で囁かれた。

「君の代わりの家臣はいくらでもいるんだよ?それとも、君が敵の代わりに血を流してくれるの?」

この主君はやると言ったらやる。たとえどんなに惨たらしい事でも。

固まった正成を置いて、秀秋は馬に跨った。

「みんな、いい?敵は太閤殿下に矛を向ける不忠者だ!男はぶっ殺し、女は犯し尽くせ!」

小早川隊一万五千の兵士たちの歓声が上がる。それはまさに狩りに向かう飢えた野獣たちのよう。

「藤堂を喰らえ、京極を蹴散らせ、そして家康の首を挙げてやれ!」

「―――いっくよぉぉぉぉぉぉぉぉ~!」






藤川台地・藤堂隊―――

「小早川勢、進撃を開始した模様―――わ、我らに向かってまいりますぞ!」

馬上でその報告を受けた藤堂高虎は、兜を押し上げて『交差した鎌』の旗印がこちらに向かってきているのを実際に目の当たりにし、ひとつ息を吐いた。

「・・・最善の策は敗れた、か。黒田殿の働きは徒労に終わった」

高虎は戦況を桃配山の家康に知らせるとともに、ともに大谷吉継に向かうはずであった京極高知へも使者を送った。

「京極殿へ伝令。『獣を躾ける』と伝えなさい」

「はっ」

伝令を送り終えると、高虎は旗下の部隊に小さく、そして強く命じた。

「敵は小早川・大谷なり」

藤堂隊の旗印は『三つ餅』。紺地の旗に白い丸が描かれたものであるが、これは『白餅』と『城持ち』をかけたものであり、没落した土豪という低い身分から城持ちの身分になれるよう願を掛けたものであった。

「藤堂勢は餅の如く粘り、固く守るべし」

戦国時代最高の万能武将の采が振るわれ、天下分け目の大戦の幕が、切って落とされた。


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