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第十七話~西軍挙兵~

家康が会津征伐を諸大名に公言し、大坂城を出陣する少し前。近江国佐和山城に蟄居する石田三成は密かに、しかし精力的に動いていた。

「この三成を憎んでいる者も多かろうが、家康を憎んでいる者も多いはず―――」

彼の密使は四方八方に飛び、その執念は実を結びつつあった。






家康が腰を据えていた大坂城西の丸の留守を預かる佐野肥後守綱正(さのひごのかみつなまさ)は、眼下に広がる光景を信じられぬ思いで見つめていた。

「『一文字三ツ星』に『剣片喰』だと・・・!」

彼の任務は主君家康の留守を預かるとともに、大坂城のどこかに幽閉されているはずの秀吉の居場所を探る事であった。しかし―――彼の前に立ちはだかったのは、無数の旗と兵士たち。

「毛利と宇喜多が三成に与したというのか!」

毛利氏と宇喜多氏の軍勢に囲まれた綱正は、なす術もなく西の丸を明け渡し、伏見城に退いた。

その綱正に代わって伏見城に入ったのは、安芸国広島百二十三万石の領主にして大老のひとり毛利安芸中納言輝元(もうりあきちゅうなごんてるもと)と、備前国岡山五十七万石の領主にして同じく大老のひとりである宇喜多備前宰相秀家(うきたびぜんさいしょうひでいえ)である。

輝元と秀家が西の丸を掌握した直後、彼らのもとを訪問する者達がいた。本丸を預かる奉行の長束正家・増田長盛・前田玄以の三名である。

「いよいよ逆賊家康を討伐する御決意を固められたとの事、祝着至極に存じ上げ奉りまする」

「太閤殿下のお慶び、いかばかりに候や」

正家と長盛はあろうことか、西の丸を占拠した二人に対して祝意を述べたのである。残る玄以は同僚に対して何か言いたげにはしていたものの、黙って頭を下げた。

三人に対し、上座に座る輝元は鷹揚に頷いた。

「うむ。治部が方々に発したる徳川討伐の檄文に従いて、諸大名は続々とここ大坂に集いつつある。宇土の小西、柳川の立花、名島の小早川、土佐の長宗我部―――」

「いかにも。ところで三奉行よ、『あれ』は用意しているのであろうな?」

秀家が何事か確認すると、正家は一通の書状を取り出した。

「抜かりございませぬ。すでにこの通り、用意いたしており申す」

「この書状が、家康めにとどめを刺す矛となりましょう」

奉行から書状を受け取った輝元と秀家は、その文末に自らの署名を書き記した。

その書状の冒頭には、このように記されていた。






『内府ちかひ(違い)の条々』






西の丸を占拠した輝元らは、家康派の浅野長政を奉行から解任するとともに所領に蟄居中の石田三成を奉行に再任。佐和山から大坂に召喚した。

家康討伐軍結成の立役者である三成は、宇喜多秀家を中心にして豊国神社にて挙兵式を挙行。ここに所謂西軍が結成される事になる。

大老毛利輝元を総大将に頂いた西軍は、まず畿内各地に残る徳川派諸大名の領地を占拠し、その後は伊勢・近江・北陸方面に兵を送る事とした。

「大坂屋敷に残りし諸大名の妻子を人質に取ってはどうか」

そのような声も西軍内部から上がったが、西軍の中心人物になっていた石田三成がそれに反対した。

「武将の妻にも意地がございましょう。無理やり身柄を抑えようとすれば、自ら命を絶とうとする者が無きにしも非ず。そうなれば、徒に徳川派諸大名の怒りを買う事にもなりかねませぬ」

結局この案件は三成の意見が通り、諸大名の妻子は各々の屋敷に押し込められるだけになった。それでも多くの諸大名の妻子には国許に逃げられはしたが。

三成としては、大坂城下に残留している徳川派諸大名の妻子を切り崩しの材料に使おうと考えていた。武将と言えども人の子、人の親である。留め置かれている妻子への情が勝り、こちら側に寝返る者が現れる事を期待したのである。

しかし―――三成のそんな思惑は、思わぬところで崩れる事になる。






「何という事をしてくれたのだ!」

大坂城西の丸の大広間。西軍諸大名が居並ぶ中で、三成はカラカラと笑う返り血を浴びた女武将に怒声を浴びせた。

「いやー、だってさぁ。これから家康との大戦が始まるんだよ?軍神様に生贄を捧げなきゃ失礼だと思うんだよねぇ」

快活に笑うのは筑前国名島城主・小早川金吾中納言秀秋(こばやかわきんごちゅうなごんひであき)。彼女の傍らには討ち取った敵将の首を入れる首桶が置かれている。

「生贄と言えば美しい女!炎に包まれる屋敷の中、迫る敵軍の前に次々と倒れていく自分を守る兵士たち!そして夫との貞操を守って自刃する妻・・・!!」

まるで演劇のような口調で謳い上げる秀秋を、多くの諸将は嫌悪感の混じった眼差しで見つめる。

彼ら武将が身を置く戦場はまさに殺し合いの場。女性も戦場に出るこの世界では、戦場に男も女も老いも若きも関係ない。女性武将が男性武将を討ち取り、新兵が経験豊富な老将を討ち取る事もあれば、男性武将が女性武将の首級を取り、老将が新兵を蹴散らすことももちろんある。それは戦場に身を置いたものの習いである。

しかし非戦闘員を手にかけるというのはあまり褒められたことではない。しかも―――

「細川の細君の首を取ったそうだな。彼女は武将ではないぞ」

「うん!我が軍に刃向う者は、たとえ非戦闘員だったとしてもこうなるってことを教えてあげないといけないかなって思って!」

彼女が首桶のふたを外し、その中の物―――上杉征伐軍に従軍中の細川忠興の妻・ガラシャ夫人の首を取り出した。






細川忠興夫人・ガラシャの首は三条河原に晒された。武将でもない夫人の首が晒されるなど前代未聞であり、心ある人々は一様に胸を痛めた。

西軍は最初の方針である畿内の平定をめざし、第一の目標に徳川家重臣・鳥居元忠の守る伏見城を定め、大老・毛利輝元の名で元忠に開城を命じたが―――

「我が主はこの元忠に伏見城の死守をお命じになられました。たとえ太閤殿下の御命令と言えどもこの伏見城は明け渡すわけには参りません」

元忠は頑としてこれを拒否。西軍は伏見城攻略の軍勢を差し向ける事になった。





西軍は宇喜多秀家を総大将に四万余の軍勢で伏見城を包囲。従う諸将は小早川秀秋・長束正家・長宗我部盛親・小西行長等。一方の城方は鳥居元忠を総大将に松平近正・内藤家長・松平家忠に西の丸を追われ、汚名返上に燃える佐野綱正等総勢千八百。

いよいよ全国の諸大名が二手に分かれて激突する『関ヶ原の戦い』の幕が切って落とされようとしていた―――


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