~現代にて~
21世紀の日本。国際社会の一員として重要な役割を果たしているこの国は、400年以上続くひとつの家を頂点とした国家が形成されていた。
その家の姓は『徳川』。天皇より信任され、征夷大将軍に任じられた『徳川将軍家』が江戸城を政庁とし、未だに国を動かしていた。
その江戸城の西の丸。第十九代将軍『徳川家盛』の長子にして将軍家相続人の老中として付けられた西の丸老中大泉相模守が、西の丸若年寄の麻布大蔵少輔の報告を受け、溜息をついた。
「そうか、若様は見つからぬか」
「申し訳ありません」
余談だがこの時代、すでに一般市民も普通に姓を名乗り、身分制度という物も将軍家などの一部上流階級を除いて撤廃されている。かつては国政に携わる者も譜代大名や旗本に限られていたが、『明治革命』と呼ばれる政治運動による結果、市井の人物でも幕府重臣に取り立てられて国政に携われるようになった。
すでに諱という風習はほぼ廃れ、四十七ある藩を治める藩主であっても公式の場以外では『広島藩主・浅野○○』など姓名で呼ぶのが一般的である。幕府内では昔の名残で諱を避ける風習が残っており、重職に就くと、将軍より武家官位を授けられてそのように名乗るようになる。
「麻布よ。あとで構わんから本丸老中の榊原式部殿に、若様を連れ戻すよう連絡を入れておけ」
「分かりました。しかしもうすぐ作法の勉強の時間だというのに、若様はどこに行かれたのでしょうか?」
麻布大蔵少輔の問いかけに、大泉相模守はめっきり白くなった髪を掻きながら答えた。
「裏書院様のところだろう・・・まったく、今日も家庭教師に断りの連絡を入れなければならんな」
相模守は懐からスマートフォンを取り出すと、また溜息をついてどこかに電話をかけ始めた。
西の丸付きの二人が溜息をついていたころ、その溜息のもとである人物は本丸内を疾走していた。
年のころは10代半ば。学校帰りなのだろうか、セーラー服を纏った少女は板張りの廊下を裸足で疾走。城内を右へ曲がり、左へ曲がり。城の奥へ、奥へと走り抜けていく。
「わ、若様!どちらへ!?」
すれ違った職員が少女を呼びとめようとするが、彼女―――将軍家世子『徳川家愛』は構わず快足を飛ばして通り抜ける。
「裏書院様のところー!」
江戸城の最奥、将軍一家のプライベートルーム『大奥』よりも更に奥にその一室はある。その部屋の主は、徳川幕府の最秘奥にして開幕時からの最古参の重臣。
「こんにちはー!」
大きな音を立てて扉が開かれると、そこは八畳ほどの落ち着いた雰囲気の和室。その部屋に、目的の人物はいた。
年のころは二十代前半から半ばの、柔和な表情の、しかし年相応の若々しさはあまりうかがえず、老成した雰囲気を持つ不思議な青年―――
「ああ、いらっしゃい。今日も老中たちを撒いてきたのかい?」
「はい!この間のお話の続きを早く聞きたくて!」
まったく悪びれない表情を浮かべる家愛に、青年は苦笑を浮かべる。本来なら叱責して西の丸に送り返すべきなのだろうが、彼女が生まれた時から青年はこの娘には弱い。
(私は本当に、この娘に弱いな)
遥か昔に死に別れ、今は日光にて神として祀られている妻にそっくりな彼女に―――
徳川幕府将軍後見人・鷹村佐渡守聖一は、瞳を輝かせて聞き入る姿勢を取る子孫の娘に、ゆっくりと語り始めた。
「そう、あれは豊禅閤殿下の御一族が刑死されたことから始まってね―――」