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第十一話~万両芝居~

軍を維持するのは莫大な金銭が必要である。軍は農民のように何も生み出さず、職人のように何かを生産するわけでもなく、商人のように物の流れを作るわけでもない。兵は兵糧を食い潰し、矢や銃弾を消費する。軍馬を養うのにも大量に飼い葉を必要とする。その他諸々の物資を用意するのにはやはり金銭が必要となる。

「此度の加賀征伐の矢銭(やせん)ですが、何とか目途が立ちました」

「そうですか・・・茶屋殿には御苦労をおかけしました」

ここは京の都。徳川家呉服御用を務める茶屋四郎次郎清忠(ちゃやしろうじろうきよただ)の隠し部屋と呼ばれる一室で、当主の清忠と徳川家参謀の聖一が密会を行っていた。矢銭とは軍資金の事である。

「しかし鷹村様。此度の一件は、徳川家にとっては損ばかりではございませぬか?」

「そうかもしれません。此度用意してもらった矢銭は聊か無駄になるかもしれませぬ・・・」

しかし、と聖一はつづけた。

「それに見合うであろう対価は、提示しているはずです」

「如何にも。それ故、この茶屋は徳川様に賭けさせて頂きました」

清忠は両手をつき、深々と頭を垂れた。

「何卒、天下に安寧を齎し下され」






畿内の諸大名で構成された前田征伐の軍勢は、予定通り若狭・越前の諸大名を加えて加賀国小松城に入った。城主の丹羽長重は前田利長とは相婿(妻はともに織田信長の養女)の関係にあるが、前田家監視の命を受けていた。

「前田家は重臣の長九郎左衛門(ちょうくろうざえもん)山崎長門守(やまざきながとのかみ)が丹羽家との国境沿いに布陣したぐらいで打って出ようとすることはないか」

長九郎左衛門連龍(ちょうくろうざえもんつらたつ)山崎長門守長徳(やまざきながとのかみながのり)はともに前田家の重臣で歴戦の勇将である。長重の報告を受けた聖一は、『しめた』と思った。

(事がうまく運んでいる―――)





「くそったれが!」

ここは海岸線を進む細川忠興率いる別動隊の陣営。大谷刑部少輔吉継の本陣である。大将の大谷吉継こと藤津栄治は苛立たし気に床几を蹴り飛ばした。

「殿、落ち着いて下され」

「落ち着けるか!聖一のクソが、俺たち奉行衆を遠ざけて何を考えていやがる」

前田征伐など、わざわざ奉行の軍勢を使わずともいいはずだ。それをなぜ―――?

「五助!何か言いやがれ!」

傍に控えている湯浅五助が躊躇いながらも口を開いた。彼は大谷家の文武の采配を一手に担う筆頭家老である。

「・・・内府様は―――考えたのは鷹村殿かもしれませぬが、奉行の方々を分断なさいました」

上流軍は増田・石田・長束が、下流軍には前田、海岸線の別動隊には大谷と、奉行五家が分断された形になっている。そして吉継も感じていることだが―――

「監視をしやすくしたって事か。という事は細川も一味だな」

「恐らくは―――しかし、目的が分かりませぬ。内府様は大坂城に居座って何を企んでおられるのでしょうか・・・」

五助は大谷家の重臣であるが、秀吉と利家の現状は知らない。

「クソッ」

吉継は苛立たし気に床几を蹴飛ばした。






一方こちらは金沢城。謀反人とされた前田利長の居城である。本丸御殿大広間では利長以下、武装した前田家重臣たちが集結していた。一同の表情は硬く、重苦しい雰囲気に包まれており、誰一人として口を開くものはなかった。時折前線に布陣している長連龍と山崎長徳から状況を伝える伝令兵がやってくるのみで、利長は彼らの報告に「相分かった」と返すのみであった。

利長らが待っているのは前線からの伝令兵ではない。『本命』の伝令が来るのを待っているのである。

(『あれ』さえ来れば、この馬鹿馬鹿しい芝居も終わらせることができる)

そして―――






大坂城某所―――薄暗い一室にて、斃れ伏した男たちと、それを見下ろす武装した男たちがいた。一室の奥には格子が嵌められた牢があったが、すでに外界と牢の中を遮る小さな戸は開かれていた。

「それでは」

「後の処理は任せよ」

武装した男たちは布に包まれた『なにか』を二人掛かりで大事そうに抱え上げ、外に持ち出して行った。






武装した一団は手早く人足の衣装へと着替えを済ませると、布で包んだ『それ』を用意した荷車の荷のひとつである大きな箱に入れた。

一団は荷車を曳きながら大坂城の大手門を目指す。そして大手門に差し掛かったその時、門番が誰何の声をかけたが、箱に描かれた家紋と荷物の持ち主を告げると彼らは何も言わずに通し、一団は無事に目的地にたどり着いた。

「無事の到着、祝着である。御仁は無事か?」

「ははっ。意識は失っておりますが、いずれ目覚めるものと心得ます」

それを聞いた伏見城代・平岩主計頭親吉(ひらいわかずえのかみちかよし)が安堵の溜息を吐いた。ただちに侍女たちに『御仁』―――加賀大納言前田利家の身を清めるよう指示を出し、合わせて大坂城西の丸の家康に作戦が成功した旨を記す書状を認めるべく自室に向かった。






前田征伐の軍勢は前線基地に定められた小松城付近に展開したまままったく動きを見せていなかった。対する前田軍も国境に軍勢を展開させたまま動きがみえず、従軍している諸大名からは戸惑いの声が上がっていた。

「鷹村殿は何をしておられるのか」

「結城殿と細川殿の軍勢も動きを止めておられるそうじゃ」

「今更臆病風に吹かれたのだろうか」

「いや、数はこちらが上じゃ。慎重になる事もないはず」

時折耳に届く雑音を無視しつつ、聖一は大坂から届けられた密書に目を通していた。部屋には彼ひとり。誰も入れるなと厳命しているからである。

書状の文字を追い、最後まで読み進めた彼は歓喜の声をあげた。

「よしっ!これでいい!上手くいった!!」

彼は大事そうに書状を仕舞うと、文箱に飛びついて書状を認め始めた。長い時間を掛け、内容をよく吟味して書き上げた。さらに内容をよく見直して誤りがないかを確認する。そして問題がない事を確認すると、書状を後ろに置いてから二回手を打った。

「御呼びで」

「この書状を金沢城に」

「御意」

音もなく背後に現れた者が、置かれた書状を懐に入れてまた音もなく消えて行った。彼直属の伊賀衆のひとりである。

「さて、と」

聖一は佩いていた太刀を放り投げ、ゴロリと横になった。







その『お返事』はかなり早く帰ってきた。手紙が届き、聖一が密書を送ってわずか数日後には前田利長の使者として前田家重臣・横山山城守長知(よこやまやましろのかみながとも)が小松城を訪れた。

「それでは、前田肥前殿は降伏なさると言われるのだな」

「御意にございます。そもそも前田家の謀反とて、何者かの讒言に他ならず。主君は武門の意地として兵を挙げましたが、家老一同主君をお諫め致し、御公儀の軍勢には手を出しており申さず」

上座の聖一にひれ伏して弁明する長知に、列座している長束正家が噛みついた。

「ならばなぜ謀反の疑いがかかった折、弁明に動かなんだ!」

「ただならぬ風聞があったが故にござる。主君が大坂に上りし折、奉行衆がこれを殺害せんと」

「馬鹿な!」

「考えてもご覧頂きたい。大納言様が大坂詰めとなられて消息知れず、すでに殺害されたとの噂もあり」

「控えよ!」

増田長盛が甲高い声をあげて一喝するが、長知は止まらない。

「そのような状況の中で、大坂へ上れましょうや。また臣下として主君を送れましょうや。かかる理不尽の積み重ねに身動きが出来なくなった前田家の苦境をお察しの上、寛大なる御処分を乞い願い奉りまする」

言い終えて平伏した長知に、聖一は口を開いた。

「相分かった。前田殿の御状況、御心中察するに余りあるものあり。内府様に言上のうえ、寛大なる処分が下るよう口添えいたしましょう」

「あいやしばらく!」

慌てて口を挟んだのは正家と長盛である。

「前田家は御公儀の命に従わず兵を挙げて迎え討たんとしたのですぞ。それを厳罰に処せんか、豊臣家と内府殿の威信に関わりましょう」

「長束殿の申す通り。前田家の叛意は明らかなるに、厳罰を与えねば諸侯に示しがつきませぬ」

「確かに御両所の申すことも尤も至極。何もここで前田家の処分を決めるとは申していないではないですか」

聖一が両奉行の慌てぶりに呆れ気味に答えると、二人はあからさまにホッとした表情を浮かべた。






前田家から恭順の証として利長の弟である犬千代を人質として受け取り、征伐軍は順次大坂への帰還を開始した。加賀・越前に所領を持つ大名たちは居城に着き次第順次解散となり、吉継は所領敦賀で本隊を率いる五助と別れて大坂に戻った。

大坂へ戻る道すがら、吉継は今回の征伐の意図について考えていた。

(加賀征伐は元々なかった出来事。それを起こさせ、俺は徳川と前田の潰し合いを狙った。だが、家康は俺たち奉行を率いて加賀征伐を実施させた。それは何のためだ・・・?)

史実とこの世界で違う事と言えば二つ。太閤秀吉と大納言利家が存命であるという事である。その点に思い至った吉継は、敵の真の狙いに気が付いた。

(そうか、そういう事か!)

彼は大坂城に戻ると、深夜、密かにある場所に向かった。そして、自分の予想が正しかったことを悟る。






薄暗い地下室。そこにいたはずの彼の私兵と奥にあったはずの牢がきれいに撤去されていた。

「狙いは利家の解放だったか・・・!」

地団太を踏まんばかりに悔しがったが、最早後の祭り。元々彼女を捕えた時点で大坂城から移動させるつもりであったが、家康が西の丸に居座ったことによって動きを封じられてしまい、対抗策を練っている間に加賀征伐への出陣命令が下ってしまった。

「しかし・・・この地下室は秘密裏に作ったはず。なぜ場所が漏れたんだ・・・」

この地下牢を作った人足たちはすべて始末し、この地下牢を知るのは利家を拷問していた彼の私兵だけのはず。他の奉行衆も知らないはずであった。

「ここで何をしておられるのですか」

そして、彼の呟きに答える者もいないはずであった。





「これはこれは。このような所でお初にお目にかかります、大谷刑部少輔殿。いや―――」

鷹村佐渡守聖一(たかむらさどのかみせいいち)は穏やかな口調で、しかし厳しい表情で久しぶりに会う男に話しかけた。

「久しぶりだね、栄治」

「・・・へっ。俺も会いたかったぜ、聖一」






「やはり前田と徳川はグルだったか」

「グルとは人聞きが悪いね。そっちこそ、太閤殿下を幽閉しているくせに」

「ふん。やはり知っているか」

聖一は太刀こそ佩いているが、一番得意な得物である弓は持っていない。この場で栄治を討つつもりはないのだろう。

「石田三成を盾に、コソコソと動き回っていたみたいだけど。表舞台に出てきたのはどういう風の吹き回し?」

「三成が家康を倒したいと大層息巻いているからな。関ヶ原も近づいてきたことだし、この俺直々に貴様を殺してやろうと思ったわけだ」

史実における大谷吉継は、敗戦を悟りながらも関ヶ原の戦いにおいて三成との友誼に殉じた義将としてその美名を後世まで残した。

だが、この男は

「淫欲に塗れ、私欲の為に人の人生を狂わせ、乱を起こすか。大谷吉継の名をここまで汚すとは一種の尊敬の念すら抱くよ。それほどまでに憎まれていたとはね」

「はっ。この世界の人間どもは所詮は敷かれたレールに乗って生きる骨董品どもさ。未来人の俺が好き勝手に使ってどこが悪い」

栄治は傲慢ともいえる態度で聖一に宣言した。

「俺は関ヶ原の戦いで東軍を粉砕し、お前の嫁と娘を捕えて俺のものにする。秀吉と家康、天下人二人を俺のものにすれば、天下は俺の思いのまま―――」






「お前は俺から様々なものを奪ってきた。今度は俺がお前から奪う番だ」

「奪った覚えはない。だが大切な者を奪うなら容赦はしない」






地下牢から踵を返した聖一は、月の明かりが照らす大坂城の庭を歩きながら呟いた。

「決戦、か」

まさか日本史上に残る大戦が自分に関係してくるなど、現代日本に生きていれば夢物語にしか思えなかった。

「でも栄治。君の主張は少し間違ってる―――この世界は、自分たちが知っている歴史とは少し違う道を歩んでいるんだよ」

「この世界の人たちは骨董品なんかじゃない。生きている人間なんだ」

「そんな事も分らない君には、絶対に負けない」







前田家に下された処分は『当主利長の隠居、その弟である犬千代の家督相続』と定められた。所領も召し上げられないあまりにも軽い処分に諸大名からの不満の声が少なからず出たが、家康から秀吉の名で諸大名に褒美として下賜された莫大な金銭は、今回の従軍活動に使われた費用を補ってあまりある物だったため、次第にそれらの声は薄れていった。

後世にこの加賀征伐は、莫大な金銭を用いて徳川と前田が示し合わせて行った大掛かりな芝居であったことで『万両芝居』とも称された。

この莫大な金銭を用意したのは徳川家呉服商・茶屋清忠。徳川家は彼に金銭を用意させる代わりに、徳川家の年貢一切の取り扱いを任せることになる。その後、茶屋家は数代に及び徳川家の財務を担うことになるのだが、これはまた別の話。



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