第八話~江戸の町づくり~
武蔵国・江戸城。鎌倉時代に江戸氏が居館を築き、江戸氏没落後の戦国時代中期に扇谷上杉家の名将・太田道灌によって跡地にこの城が築かれた。
小田原北条氏が川越合戦にて扇谷上杉家を滅ぼした後、北条氏が領有する運びとなったが、現在は北条氏旧領を有することとなった徳川家が居城としている。
大坂にいる家康に代わって留守を預かっているのは嗣子の江戸中納言徳川秀忠である。年若く、経験不足でもある彼女を小田原城主・大久保治部大輔忠隣や玉縄城代・鷹村上野介正純、若手側近の土井甚三郎利勝らが補佐をしていた。
ある日の評定。秀忠と重臣らが一堂に会し、ある問題について話し合っていた。
「北条の残党ですか」
「御意。北条の残党どもが各地で暴れており、民に被害が出ております」
淡々と各地の被害状況を読み上げるのは鷹村正純。秀忠の父・聖一の養子で、頭脳明晰な若手の家臣である。
「直ちに兵を出し、残党どもの討伐を図るべきです。領民の中にはけしからぬことに、彼らを支援している者もいるとか」
「私のもとにもその情報は入ってます。小田原の領内でも兵を巡回させていますが、なかなか残党どもが捕まらない状況です」
利勝と忠隣が渋い顔でそれぞれの状況を報告する。関東は徳川の領地になって日が浅く、いまだに北条氏の治世を懐かしむ領民も多い。彼らが騒動を起こす北条旧臣に協力し、資金等を供給しているようであった。
「母上は今が大事な時期。あまりお手を煩わせたくないわ・・・」
「なるだけ兵を動かさずに事態を収拾したいですな」
北条残党に対しては伊賀衆を使っての調査の続行が確認されるに止まり、その他の議題について話し合われ、その日は解散となった。
会議後、秀忠は私室に戻った。一人ではなく、側近の土井利勝も一緒である。
土井甚三郎利勝は秀忠の側近であると同時に傅役でもあった。もともとは家康の母の実家である水野家に生まれ、家康の従弟にあたる。故あって水野家から離れて土井姓を名乗り、従姉である家康に引き取られて生まれたばかりの秀忠の傅役のひとりに任じられた。当時まだ彼も童子と言える年齢であったが、それにも拘らず自身の嗣子の傅役に任じたことから家康の彼に対する期待と信頼の高さがうかがえる。
無論秀忠が彼に寄せる信頼も厚い。私室に戻った彼女は、利勝の膝枕で横になりながら耳掃除を受けていた。
「どうしたものかしら」
「北条氏の残党の事にございますか」
秀忠は溜息をついて肯定の意を示した。
「彼らは徳川家が北条領の主となり、今までの既得権益が奪われたことが不満なのです。かといって、彼らの既得権益を認めるという事はありえません。それは徳川家の重臣の方々、そしてその家臣方の生活を奪うという事になりかねません。かといって、大規模に軍を動かすのは宜しからず」
利勝は意地悪そうな笑みを浮かべ、秀忠に問いかけた。
「中納言様、いかにして北条残党を叩きますか?」
「父上は」
秀忠は溜息をつき、起き上った。
「『人の上に立つ者は、力だけではなく徳を以て人を従わさなければならない』と仰せでした。私もいずれは母上の跡を継いでこの大領の主にならねばなりません。北条の残党は無法者と言えども、私が守るべき領民です」
「道を踏み外したのなら、正しき道に戻す。それもまた、領主としてするべき事ではないでしょうか」
「・・・よくぞ仰せになられました。しかして、どのように彼らを更生いたしますか」
それに関して彼女は父と話している中で練り上げた、かねてから温めていた案を披露した。
建設が続く江戸の町の一角に、ひときわ大きな建物がふたつ築かれた。
ひとつは『職業紹介所』。現代でいうところのハローワーク、職業を紹介する場所を作り、経済的に安定させることで犯罪者の発生を抑える役割を期待した。
もうひとつは『職業訓練所』。特殊な技能を必要とする職業を対象とし、その職業に必要な技能を身に着けさせる事を期待した施設。
そして最後のひとつは、江戸の郊外に作られた『常備軍住宅』。先のふたつは武士身分以外の者にも開かれた施設であるが、この『常備軍住宅』は生活に困窮する武士や士官を求める浪人を常備軍として雇用し、その邸宅として用意されたもの。彼らは軍役だけではなく、関東平野の開墾や地震等の災害時での救助活動及び復興活動に従事する、現代でいうところの自衛隊の役割を持たせることにしたのである。
後に前者ふたつの施設は江戸のみならず、日ノ本中に広まっていくのだが、それはまた別の話。
北条氏の残党たちは捜査を開始した伊賀者たちによって拠点を暴かれると、小田原城主・大久保忠隣や館林城主・榊原康政らが率いる鎮圧部隊によって制圧された。捕縛された者達のうち、徳川家への仕官を望む者は常備軍住宅に住まいを与えて職務に従事させることとした。
彼らは後に訪れる徳川家の危機に、平穏に慣れきって役に立たなくなった旗本に代わって徳川軍の主力として活躍することになるが、それもまた別の話。