9、赤森釘と他者
1
赤森釘は自分の人生を凡庸だと思う。そんなたいして特徴のない学校生活だったし、他の同級生と比べて何か際立っているということもない。どこにでも吐いて捨てるほどいる凡人の一人にすぎない。
そんな赤森釘が驚くべき人生の転機を迎えたのは、ある女子高生との出会いだった。その女子高生は岩下万理といい、何事もそつなくこなす優等生であったが、特に驚いたことはその女子高生が自分のことを全人類の意思の総体であると考えていることだった。これには赤森釘も驚いた。
「するとなんだ。ぼくの意識はきみのものと重複しているというのか?」
まさかそんなはずはないと思っていた赤森釘だったが、岩下万理の答えはびっくりするようなものだった。
「はい。そうですよ。あたしは宇宙意思なんです」
また、おかしな女がいたものである。まさか、赤森釘のような平凡な男子高生は、自分を宇宙意思だと主張する女子高生に出会うことがあろうとは考えていなかった。どうにも納得できなくて、ちょっとへこましてやろうと思って、赤森釘は岩下万理に誰の意思がどうなっているのか、それを操れるのか、それができないならあなたは宇宙意思とか全人類の意思の総体なんかではないと言い張ったのだが、岩下万理は赤森釘が要求するような他人の意思の操縦や他人の心の読心は当然できるようであった。最後には、
「おまえの意思はあたしのものだ」
とまでいわれてしまった。これは赤森釘は自分が奴隷だといわれたに等しく、岩下万理は自分が全人類の支配者であると主張しているに等しいので、たいへんに下卑たけしからん主張であるのだが、だからといって、やりこめようと誰々の意思を動かしてみろとか、誰々が何を考えているのか当ててみろとかいうと、岩下万理はぴったりと当てることができるのだった。
それで、全人類の意思の総体だというのなら、何も困ることはないし、人生薔薇色だなあとか話していたら、やはりそう簡単でもないらしく、困る問題はあるのだという。それが、発狂した他者という存在だった。
発狂した他者はさすがに全人類の意思の総体であるあたしにも操れないと、岩下万理は悩みをぶちまけ、だってあいつらは発狂しているんだもの、正常な精神のあたしには制御できないし関わりたくない連中だということだった。
「そいつらって、人類なの?」
「わかんない。異次元人かも」
とかちょくちょく話題にのぼっているうちに、それじゃあ、会いに行ってみようということになった。赤森釘にとっては、まず、岩下万理が宇宙意思だということが信じられなかったから、その発狂した他者というものもさらに何がなんだかわからなかったのだが、暇なので一緒に会いに行くことにした。
その発狂した他者の名前は、薪野耕太。同じ学校の高校生だ。
発狂した他者は、全人類の意思の総体である岩下万理にとって、感知できない存在であり、目で見なければ居ることがわからないから怖い存在なのだそうだ。
発狂した他者のことは、専門用語で瞳術使いと呼ぶのだと岩下万理はいった。
「なんでか知らないけど、あいつら、みんな瞳術使うんだもん」
そんなことをいっていたが、ぼくには瞳術使いというものがどういうものかよくわからなかったから、まあ、行ってみてから考えることにした。
そしたら、出会い頭早々に、薪野耕太が、
「おれは最果て千里眼だ」
といってきた。
「それって何?」
と赤森釘は聞いたのだが、
「おれは何だって見ることができるぞ。まだ行ったことのない遠い町でも、おれに秘密に隠された部屋でも、女の裸でも、何だって見ることができる」
と答えた。
「この人たち、瞳術使いはみんな発狂しているんだよ」
と岩下万理はいったが、果たして、薪野耕太も自分が精神疾患であることを認めた。そもそも瞳術に目覚めたのは、精神疾患になったのがきっかけらしい。
「この世界の主体は何だと思う」
薪野耕太が聞いてくるから、さあと答えたのだが、
「それはおれだ。この世界はおれの見ている夢だ」
と薪野耕太はいった。
「だから、こいつら、発狂した他者なんだって。この世界の意思は全部あたしのものなのに」
岩下万理が反論すると、床から土人形がどんどん湧いて出てきた。
「あ、これ、あいつらの瞳術。危ないから気を付けて。本当に襲ってくるよ。発狂した他者は」
そんなこんなで、土人形と赤森釘は戦うことになってしまった。
「宇宙意思であるあたしの他者とはいったい何者だ。この世界の意思はぜんぶあたしの意思なんだよ。あたしの他者であるこいつはいったい何者だ」
岩下万理は怒鳴るが、まるで相手にされない。
「おれは世界の果てまで見ることができるぞ。おれの見ている世界は大宇宙だ。おれの心は小宇宙だ。おれは最果て千里眼だ」
薪野耕太はそういって、人形兵士を使役して襲ってきたから、仕方なく逃げることにした。
「どうやって人形兵士なんか動かすことができるんだ」
「それはあいつらの瞳術だよ。瞳術使いはみんな発狂しているんだよ」
そんなことで納得できはしないのだった。
2
次に会いに行った瞳術使いは、宮野玲音といった。宮野玲音は、結末未来視というものらしく、世界の終末を見ることができるのだという。
「世界の終末を見てもそんなに面白くない」
という宮野玲音は、やはり発狂した他者であって、岩下万理の他者であったが、赤森釘にとっても他者であった。
「ぼくの瞳術できみたちを殺すことだってできるんだよ」
と宮野玲音はいった。
「気を付けて」
岩下万理が注意する。気を付けてといっても、瞳術使いにどう気を付ければよいのかわからない。
宮野玲音は、何もないところから銃を出現させて、撃ってきた。
「うわあ、逃げるぞ。岩下万理」
赤森釘はそう叫んだが、
「宇宙意思であるあたしが死ぬわけない」
と岩下万理はのたまってまったく逃げようとしなかった。
「全人類があたしの体だから。だから、代わりはいくらでもいる」
「だったら、殺してあげようかお嬢ちゃん」
「できるわけない」
「なんだったら、あなたじゃなくて、赤森釘の方を殺してもいいんだよ」
「好きにすれば」
「おいおい、ぼく、殺されちゃうのかよ」
「この発狂した他者は制御できない」
「この人、本気なんじゃないの? あの銃、本物に見えるけど」
「瞳術で作り出した幻術よ。でも、それは現実に作用する」
「じゃ、危ないじゃん」
とやりとりしているところに、宮野玲音が割って入った。
「そこまで。時間切れ」
そして、宮野玲音は岩下万理を撃ち殺した。
赤森釘は、なんてことだと自分の無力さにさいなまれた。
「お帰り。坊や」
そういわれて、赤森釘はすごすご帰ろうとした。
「ちょっと待て。ぼくの瞳術は時間に制御されない」
宮野玲音は別れ際にそんな謎の文句を口にした。
果たして本当に岩下万理は宇宙意思だったのか。全人類の意思の総体だったのだろうか。それを確かめるために、赤森釘は、見ず知らずの通行人に話しかけてみた。そしたら、見ず知らずの通行人が、
「あたしは岩下万理だよ。あたしは全人類の意思の総体だから、死んでも別の体で生きていける」
といい放った。この人物は岩下万理でまちがいない。岩下万理は宇宙意思だ。岩下万理は全人類の意思の総体だ。赤森釘はそう確信した。
3
世界の始まりに岩下万理が生まれた。岩下万理は分裂して、繁殖した。世界とは、岩下万理の意識が見ていた主観の総合だ。世界とは、ひとつの意思によって観測される主観の総体であり、それですべてだ。赤森釘は岩下万理の一部だったし、全人類は岩下万理の意思が確認できるだけしか存在しなかった。
そこに発狂した他者が現れた。発狂した他者は、岩下万理の主観を幻術で改変して、世界を作り変えることができる。
赤森釘は、薪野耕太に会いに行って、岩下万理を生き返らせてくれることを願った。薪野耕太は快く了解した。気が付くと、岩下万理は生きていて、過去のどこにも岩下万理が死んだという痕跡は見られなかった。
薪野耕太が瞳術で宮野玲音の瞳術を上書きしたのだ。発狂した他者は、幻術を幻術で上書きすることによって世界を作り変えることができる。岩下万理の主観として存在するこの世界は、幻術で上書きすることでいくらでも世界を書きかえることができる。瞳術使いたちはそれをやっている。
生き返った岩下万理は、
「もう死ぬのは嫌あ」
といっていた。赤森釘は、この世界の謎を解かなければならないと考えた。そして、赤森釘は発狂した。盲目の第三の眼が開き、瞳術使いとなった。
赤森釘は、発狂した他者となり、その発狂した他者たちの見ている共通の夢が岩下万理なのだと悟った。すべての瞳術使いが夢を見ていて、全員が全員の世界の主体であって、そして、共通の夢を書きかえることができるのだった。
岩下万理は虚無の見ていた夢だった。すべての世界が虚無の見ていた夢だった。虚無はまた新たな夢を見て、その登場人物が世界を自由に作り変えるのだった。