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21、人に知られず巧者なる者

 忍者の上忍の定義である。「人に知られず巧者なる者」。

 なぜ人に知られてはいけないかというと、おそらく、敵に狙われないためである。その証拠に日本の貴族は好んで田舎に住む。田舎に良いものを集めることを銅法どうほうというのだが、金銀銅で銅を最も尊ぶという伝統思想である。

 そんなややこしくては努力のしようがないよ、と思うであろうが、ぼくも本当にそう思う。いちばんを目指せというのならわかるのだが、わかりやすく一番を目指したりはしない。隠れて勝負するのである。

 こんなことをやってるのは日本だけかと思うかもしれないが、中国でも仙人は高山に隠れ住むものだし、アメリカでもヒーローは隠れているものである。案外、世界共通なのだ。

 まあ、「人に知られず巧者なる者」を尊ぶのは、もちろん、いざという時の国家存亡の時に備えているのであろうと推測する。もし、支配者が隠れて支配するためだとしたら我々庶民はやってられないものがある。

 文化には、「みんなが知ってる思想の柱」と「人知れずに巧者なる者」の二者が存在する。「みんなが知っている思想の柱」は、人海戦術によって知恵を合わせるとけっこうすごいことができる。だから「みんなが知っている思想の柱」も重用である。しかし、なぜか貴族は「人に知られず巧者なる者」を好むのである。

 傍証ならいくらでも挙げられる。日本の主要都市など、東京の皇居を始めとして、神奈川、京都、大阪、愛知、福岡ぐらいを考えているであろう。みんなが知っている大都市だ。今、新興勢力なのは産業用ロボット工場ファナックの会社が次々と作られる「茨木県」であろうか。しかし、日本の貴族の出身地となると途端に田舎になる。足利氏、徳川氏の生まれ故郷は愛知県のド田舎で、住んでも絶対に得にはならない。そう、貴族の血脈を守るためにわざと田舎で不便な生活をしているとしか思えない。

 日本の秘密基地がある場所は、山梨県、和歌山県、宮崎県である。誰もこんな県を重要だなどとは考えていない。人気のない場所、人気のない場所に作られる。秘密基地に行きたいと思っても、まあ、行く機会は日本人に広く平等に与えられているものの、まあ、普通の意味でたどりつくのはまず不可能である。山梨県の富士山麓の秘密要塞も、和歌山県の熊野の県境を越えた隠れ里も、宮崎県の天孫降臨の地も、公共交通機関はないばかりか、自動車道も整備されておらず、若い健脚優れた体力をもつものにしか、地を這ってたどりつくのは不可能である。まあ、行くのはあきらめた方がよい。

 で、「人に知られず巧者なる者」というのは日本文化に非常に多く散見される。京極夏彦の小説「鉄鼠の檻」は舞台が地図にのってない寺であるが、その犯人は「人に知られず巧者なる者」だったと読めなくもない。もう、常識の通用する相手ではない。彼らは「血の修法」(ちのしゅほう)を使い、産んでは殺し、産んでは殺す。優秀な遺伝子を残すことが大事なのであって、劣等な遺伝子など何の価値もあるものだと考えていない。優秀な遺伝子の持主がひたすら生殖して、どんどん産み、そのうち優秀な者を生かし、そうでない者は殺してしまうことが行われていた。

 いつからそんなことをしているのかというと、秦氏が項羽の子孫とともに日本に渡って来て、忍びの術を伝えた頃からであろう。秦氏は始皇帝の子孫であり、始皇帝の部下には奇妙な技を使う達人がいたと伝承されている。その始皇帝の後継者を殺して紫禁城を焼いたのは項羽だ。

 役小角を修験道の祖として、天狗に象徴される山岳文化を築いたのが興隆の一端であるが、起源はというと、文献的手がかりはないものの、邪馬台国の卑弥呼が中国に朝貢した時に中国から文明人がやってきて忍術と古墳文化を伝えたのではないかという仮説はある。

 なお、渡来した秦氏は、現地の王を立てることをよしとしたため、縄文系の日本土着の王が天皇家として奉られた。そして、天皇家と血を混じり合わせながら、忍術や古墳文化は広まっていったのだと思われる。

 忍術は戦争の技術であるが、日常の技術となると修験道になる。忍術は間諜を行う技術をみがいたものであるが、普段から隠れ住むのをよしとした忍びの術であるのはまちがいない。忍んでいるのが忍者なのである。上忍が「人に知られず巧者なる者」だという定義は、平成になってから適当に作られたものであるが、忍者の本質を表している。ちなみに、この定義が忍者だとされたら、どういう経緯をたどったのか知らないが、忍者の代表者服部半蔵は、忍者ではないことになってしまった。山田風太郎の名作「甲賀忍法帖」のとおりになってしまったのであり、忍者を規定している連中は自分たちの都合のよいように庶民を平気でだまして歴史を改竄する。

 で、忍者や修験道の山伏が何をしているかというと、修行をしているらしい。それは厳しい修行で、誰が優れているのか競っているのであるが、その場でも「人に知られず巧者である者」でなければならない。まったく実際に行うとなると頭の痛い問題である。

 例えば、富士ロックフェスティバルで日本の音楽ファンは、出演する日本音楽家に向かって「おまえらはクズだ」といいつづけたのであるが、女性の音楽ファンが「それじゃあなたたちの認めるロックバンドは誰なの」と詰め寄られて、とうとう白状したのが「世良公則&ツイスト」であった。ツイストは日本最初のロックバンドであり、世良公則は往年のロックファンの憧れだったようである。若い頃はマイクスタンドをぶんぶん振り回して歌っていたようだ。世良は「本物のロックをやろうか」と受けて立ち、美人ドラマー・サマンサに出番を待ってもらい、ドラマーを変えた。そして、それは格好いいドラム音が響き始めたのである。その音楽は、来日していた有名なアメリカロックバンドたちも唖然とさせ、「ママがヒーローは隠れているものだっていってたじゃないか」と愕然とさせたそうである。伝聞なのでまちがってたらすまない。

 で、忍者は山伏や虚無僧や薬売りに変装して全国を見てまわるというが、わたしはついに洗脳から一つ解き放たれた。山伏や虚無僧は忍者なのである。変装しているわけではない。山伏も虚無僧も忍者だったのだ。忍者は時と場合によって、服装を変え、職業を変えるだけである。

 「山伏や虚無僧全員が忍者ではないだろう」と反論されたが、忍者からしてみれば、いつでも山伏や虚無僧の本物になれるのであり、忍者でなくなれるわけであり、そうすれば生きのびられるのである。山伏と虚無僧を忍者と別と考えるのは、すでに忍者に洗脳されているといえる。

 ある忍者漫画では、ものすごい強い敵を倒しても、それは偽者で本物が現れ、まだ倒してもたくさん現れ、大勢の忍者にめっためたにされてしまう。そこで明かされる忍術とは、「死ぬ前に教えてやろう。猿飛とは人の名前ではない。術の名前だ。猿飛の術を使う者みなが猿飛なのだ」ということなのである。つまり、忍者に拠点となる人物などなく、「人に知られず巧者なる者」が優秀な遺伝子を受け継いでたくさんいるわけである。で、有名な忍者は「人に知られず巧者なる者」に支援されているため倒すのが非常に難しく、倒しても代わりは何百人も何千人もいるわけである。

 なんか、漫画「幽遊白書」で、三強が魔界を征服しつつあると思ってたら、それと同じくらい強いやつらがいっぱいいた話なんかは、忍者や修験道の話なのかと思ってしまう。

 この「人に知られず巧者なる者」というのは、知恵の本能を見極めるのに利用されていると考える。つまり、わざとつまらないものを流行らせて、よいものは誹謗中傷にさらされる。そして、ちゃんとよいものを褒めるものはまわりの意見ではなく自分で考えているといえる。そういう自分で考える遺伝子を貴族は欲しがっているのである。

 貴族は、バカにされる良いものを大事にする人物を好み、その遺伝子をもらいに来る。貴族の制度も完全ではないから、穴だらけだから抜け道はいくらでもあるものの、それはさておき、バカにされる良いものを大事にしていると生殖できる場合がある。しかし、やりまくれるのは、あくまでも、優秀な遺伝子をもった貴族に生まれた者である。

 ぼくは漫画「わたるがぴゅん」でいうところの「たっちゅう」である。頭頂葉が大きいのである。それで頭はどちらかといえばよいのであるが、その程度では貴族に、やりまくりの仲間に入れてもらえることもない。

 「ち」というものが重要であり、「血」「知」「地」とある。貴族が重んじるのは「血」であり、「知」でどれだけ知っていても、東大文学部の知識があっても修験道の人たちに伝えられる文化には敵わない。「地」をとり大事な場所に住んでも、修験道者は動くので仲間にはなれない。せいぜい、珍しいものを見物できるだけである。

 だが、わたしは忍術と修験道と虚無僧を「知」によって解明したいと思っている。バレた方がつまらない世の中になるのか、公開されない方がつまらない世の中になるのかは謎だ。

 わたしは時代は、修験道や忍術からすでに遺伝子解析やビッグデータ監視に移ってると思っているので、修験道や忍術を解明してもかまわないだろう。なお、修験道者や忍者にもちゃんと個人番号制によって個人番号はついているはずである。それを「人に知られず巧者なる者」がどう対応しているのかは謎だ。

 忍者を解明したい。

 おそらく、その答えは、卑弥呼の朝貢で渡来した文明人が古墳文化を作ったというあたりに落ち着くと思われる。が、文献はないので、仮説のまま長いこと放置されるであろう。


追記。

 日本史に詳しい人に聞いたところ、古墳時代の始まりは三世紀の中頃で、卑弥呼の朝貢した時とぴったり一致するそうである。そして、この前方後円墳が作られるようになった時期から文明化された明確なちがいが見られるという。

 九世紀頃成立の「新撰姓氏録」に秦氏は283年に始皇帝の子孫である弓月氏が百済から渡来したとあり、秦氏はこの時、鉄製農機具、土師器、中国では製法が禁忌とされていた養蚕を伝えた。中国の禁忌を日本に伝えたことから、秦氏が日本を単なる征服地ではなく、秘境として利用しようとしていたのが疑える。

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