僕の靴箱はポスト
なんだこれ。始業ギリギリの靴箱で僕はきれいな薄い青色をした封筒を手にしていた。なんでこんなものが僕の靴箱に入ってるんだろう。裏を見ると、どうやら僕宛の物らしい。いじめか?あれか、中にカミソリの刃が入ってたり、一週間以内に何人かに回さないと不幸になったりのやつか。まあ、なんでもいいや。あとで開けてみよ。今は遅刻するかしないかの瀬戸際なんだよ。まさか本当に危ないものが入っているとも思えないし、ポケットにねじ込んで僕は教室に急いだ。
三限終了のチャイムが鳴る。昼食時に合わせて、僕も空腹だ。今日の日替わり定食は何だったかな。僕は財布を取り出そうとポケットをあさる。なんか、紙の物体があるな。今日は紙幣、持って来てないと思うんだけど。取り出して、思い出した。今朝の封筒だ。お昼を食べながら読もう。
『八木先輩へ。話がしてみたくて手紙を書いてみました。もし良かったら、返事を先輩の靴箱の中に入れておいてください』
かわいらしい文字で綴られたその手紙。僕と話がしたい、って言われてもなあ。相手が誰かも分からないのに話題に困るな。僕に対して好意的な様だってことと、後輩らしいことしか分からんぞ。でも返事をしないのもかわいそうだし。ちょっとだけ返事をしてあげようか。
『手紙ありがとう。話がしたいってことだけど、何を話せばいいのかな。何か質問とかあればどうぞ』
適当に折りたたんだそれを、帰りに自分の靴箱に入れる。自分で書いた手紙を、自分の靴箱に入れるって、冷静に考えたら変だな。ちょっと周りの視線を気にするぞ。
次の日、また靴箱には封筒が入っていた。
『返事、ありがとうございます。返事がもらえるか、半々だったのでとても嬉しいです。質問なんですけど、八木先輩は休みの日は何をしていることが多いですか』
僕はその手紙に返事を書いてまた靴箱に入れた。
次の日も封筒が入っていた。
『家でのんびりしてるんですか。いいですね。私も大体そうしていることが多いです。映画を見たり、音楽を聴いたり。楽しいですよね』
僕はまた返事を書いて靴箱に入れた。
そんな日がしばらく続いた。相手、彼女との手紙は欠かさず、毎日やり取りした。彼女とはほとんどの趣味が合うようで、話が尽きない。映画はべたべたなラブストーリーが、音楽はしっとりした邦楽が、ゲームはロールプレイング、甘いものが好物で、苦いものは苦手。どれも僕と同じである。ただ、唯一、好きな小説はミステリらしく、それは僕の苦手なジャンルだった。
『僕はSFが好きかな。あの作家とか面白いよ』
なんとも無しに、いつも通り、僕の好きな物を紹介しただけだった。それからしばらくして
『この前言ってた人の本、読んでみましたよ。いままで少し苦手だったSFですけど、案外はまってしまいそうです。先輩は私が勧めたミステリ、読みましたか』
『ごめん、読んでないや。ミステリはちょっと嫌いで』
僕がそう返事をした次の日、靴箱に手紙は入っていなかった。今日は休んだのかな。仕方ないな、一日の楽しみなんだけど。
あれ、今日も入ってないな。質の悪い風邪かな。明日読むかもしれないし、手紙を書いておこうかな。
昨日の手紙、無くなってるのに返事が無いな。どうしたんだろ。
毎日靴箱は使うのに、手紙はあれから一度も来なくなった。あの一言が傷つけてしまったのだろうか。あの日に戻って書き直したい。もっと気の利いた言い方ができたはずなのに。自分の好きな物を嫌いだって言われたら、そりゃ嫌になるよな。まして向こうは僕の勧めたものを試してくれたのに。
返事が来なくなって一月ぐらい経った、ある日。靴箱に封筒が入っていた。僕は慌ててそれを手に取り、封を切る。中には見慣れたかわいらしい文字で書かれた手紙が入っていた。久々の感覚に嬉々として読み進めたが、信じられない、というよりむしろ信じたくない内容が書かれていた。
彼女は難しい病気で、外国に行かなくてはいけなく、しかも今日、日本を飛び立つらしい。その前に思い出として僕との文通を始めたんだとか。なんで僕なのか、それは秘密にするって書いてある。とても楽しい時間だった、ありがとう、そう手紙は締めくくられていた。
ふざけるなよ。楽しかったんならどうして最後、書くのやめたんだよ。どうして本当は傷ついたんだって文句の一つも言わないんだよ。どうして恨み言じゃなくてありがとうなんだ。どうして、手紙に濡れた跡が付いてるんだよ。
僕は急いでここから一番近い空港に向かった。姿どころか、名前も聞いてない彼女を探しに。
広い空港の中を歩き回って、探しまくって、だけど滅茶苦茶な人の量で、見つかるわけないか。女子を泣かせたんだ、これくらいの罰が有っても当然だろう。
とぼとぼ歩いていると、ふと、ベンチで缶ジュースを片手に本を読んでいる女の人を見つけた。ハードカバーで、タイトルがここからでも見える。確か、彼女が勧めてくれたミステリ……。
それに気づくと、僕は何も考えずに、その人の方へ駆け出していた。その人の読んでいる本を取り上げて言った。
「この前勧めてくれた本、持ってないから貸してくれる? あ、でも読んだ後の感想、もう靴箱に入れても届かないのか。今度はどこに手紙、出したらいいの」