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発見と初弟子

 特別恵まれた体格というわけでもなければ、極端に貧相というわけではない。およそ平均的な身長と体格の青年だった。彼に何か恵まれたものがあるとすれば、それは紛れもなく、戦う意思だった。

 青年ヤーンは一歩たりともたじろぐことなく、カレトを見据えた。応じるように、カレトも青年を両の目で捉えていた。


「はあっ!!」


 先に動いたのはヤーンだった。勢いよく伸びる腕は、フェンシングのように木剣を突き出してカレトを射抜こうとする。無論みすみす浴びるカレトではなく、突きで伸びきったヤーンの右側に素早く回ると、脇腹目掛けて木剣を振り抜いた。


「…っ!!」


 横に避けることも、盾で防ぐことも出来ない。ましてや剣で打ち返すにも、腕を戻して振るうほどの時間もない。

 一瞬の思考を経てヤーンはあえて前方に思い切り倒れ込み、そのまま一回転してすかさず立ち上がり、カレトへと向き直った。


「…ほう」


 ようやく自分の初撃を乗り越えた者への、素直な感嘆だった。カレトの声を掻き消すように、周囲からも驚きの声が上がった。

 ヤーンの頬を汗が伝う。まだ何もしていないに等しい。にもかかわらず、全力でマラソンをしたかのような疲労感が、全身に圧し掛かっていた。それでもヤーンの心を支配していたのは、焦りでも恐怖でもなく、戦いへの純粋な喜びだった。自然と口元が綻んでいるが、対戦相手のカレト以外、ヤーン自身も含めて誰もそれに気が付いていなかった。

 笑顔を見て、未だ戦意が衰えていないことを確認すると、カレトが開いた間合いを低い姿勢で詰め、ヤーンが持つ盾へと下からの強力な一撃を放った。


「うぁっ!!」


 咄嗟に反応したものの、盾への衝撃は予想以上のもので、耐え切れずに盾を手放してしまった。だがただやられるわけにはいかないと思ったヤーンは、地面を蹴り上げてカレトに土を浴びせかけた。

 視界を塞がれる前に、すかさず飛ぶ。カレトは盾を片手で掴むと、すぐに目の前に置いて土を防いだ。

 その隙を突いて、ヤーンは即座に死角へと回り込み、背後から剣を振り下ろした。


「甘いな」


 一言だけ呟きながら、振り返りもせずにヤーンの斬撃を木剣で防ぐ。カレトの無理な態勢を押し負かそうとして力を込めるが、逆にカレトは力を緩めてヤーンの意表を突いた。


「おぁあっ!?」


 危うく転倒しそうになったヤーンだったが、一度引いて持ち直した。瞬間、カレトは竜巻のように振り向き、間合いを詰めると奪った盾でヤーンの木剣を外へと払った。

 無防備になったヤーンの装甲の隙間目掛けて、木剣を突く。更に後ろへ引いて逃げようとするヤーンだったが、完全には逃げ切れず、切先が当たってしまった。


「く…っ!!」


「実戦なら左腕は危なかったな」


 手加減している上に、軽く当たっただけだが、切先を伝って流れ込んだ恐怖の所為か、左肩が熱く疼いた。

 このまま近くに居てはまずいと思ったヤーンは、なんとか間合いを開き、態勢を立て直そうと後ろへと跳んだ。


「ふッ!!」


 その直後カレトがとった行動は、誰も予想をしていないものだった。後ろへ退くヤーン目掛け、フリスビーの要領で盾を投げつけたのだ。


「うわああぁっ!?」


 想定外の攻撃により、完全にバランスが崩れたヤーンは、そのまま勢いよく地面に倒れこんだ。カレトから外れた視線が空へと移る。どこまでも青い空だった。急いでカレトを捉えなおさねば、と思ったのも束の間、空の光を遮る黒い影が見る間に視界を覆い尽くした。紛れもなくそれは、カレトだった。

 顔の真横、指一本ほどの距離でザシュッという音がして、木剣が突き立てられた。


「……降参です」


 清々しい敗北感がヤーンに訪れた。敗北にも関わらず、周囲からは健闘を讃える歓声が沸いた。同時にカレトの胸中でも、目の前の敗者に対する感心と、有望な若者への期待と喜びが沸き起こった。


「攻守ともに、中々いいセンスをしている。急な事態への反応も見事だった。まあまだ甘い部分もあるが、慢心せずに鍛えれば、必ずいい騎士になれるだろう。何より、どんな状況であっても、決して諦めない心こそ、お前の誇るべき一番の才能だ」


 差しのべられた手を取り、ヤーンは立ち上がった。カレトは今まで打ち倒した者の中で、これほどまでに嬉しそうな顔の者に出会ったことがなかった。


『カレト、まだ確定じゃないけどさ』


 戦いの余韻と歓声の中、突然ドアマンが口を開いた。


『なんだ、いきなり』


『今のヤーンって彼が、ジョンかもしれない』


『…それは本当か』


 指摘され、カレトはようやく言われていたことを思い出す。

 クックーランドに逃げ出した患者は、自らの望みに近い場所で、自ら望んだ姿へと変質する。変質は人種、性別、年齢といったものを変えてしまうだけではなく、知識や技でさえもある程度願望を反映し補完してしまう。

 現実において運動音痴であったとしても、それどころか手足が衰えたり欠損していたりしても、クックーランドでは関係なく修正されてしまう。ジョンは長く閉じ込められて筋力が衰えている上に、元々運動神経も並以下らしく、とても先ほどのヤーンのような動きが出来るとは思えない。しかし、クックーランドで「物語に出てくる騎士のように強くなりたい」と願っていたとしたら、ヤーンのように頭一つ抜けた実力を持っていても何ら不思議ではないのだ。


『とりあえずさ、ヤーンのことは気にかけておいて。もし他に候補を見つけたら、僕も言うからさ』


『わかった』


 ヤーンとの模擬戦を終えた後は、また順番に何人もの新兵と手合せをした。一通り終えると、今度は実践的な戦い方や、実際に体験したり編み出したりした戦術を教えて行く内に、顧問生活一日目が終了した。


 指導を終えて、食堂へ向かおうとしていた時、一人の青年が声をかけてきた。


「あのっ、カレトさん!!」


「ん?…ああ、ヤーンか。どうかしたか」


「先ほどはご指導ありがとうございました。俺、余りの強さにもう感激してしまって…」


「そう褒められると、何だか照れくさいな。…ところで何か、用があって来たんじゃないのか?」


 ヤーンは頭をかきながら、視線を落として口ごもった。少しの間そうしていたが、やがて意を決したように、カレトの目を見ながら言った。


「あ、あのっ!!俺をカレト様の弟子にしてくださいっ!!」


「はあ?」


 突然の申し出に、カレトは戸惑った。今まで特に、誰かを弟子にとったことはなかった。それに今日のように指導の時間があるのだから、それでいいじゃないかと思っていた。

 断ろうとしたその時、ドアマンが声をかけた。


『…いいかもしれない。弟子だったら、接触する時間も増えるし、何より一緒に居たり質問をしても、誰にも不審に思われないだろうし』


『…それもそうだな』


「弟子か…それもいいかもしれないな。空いた時間でよければ、いくらでも付き合うぞ」


 ヤーンの瞳が一層輝き、顔を歓喜の色に染め上げ、拳を掲げて喜んだ。


「やっ…やったぁあああっ!!!」


 弟子をとることににいささかの困惑はあったものの、慕われること、そして何よりも熱意ある若者の頑張りを見ることは、やはりカレトにとっても嬉しいことだった。


「だが弟子になると言った以上、途中で投げ出すことは許さないからな」


「はいっ!!」


 ヤーンは飛び跳ねながら新兵用の食堂へ向かい、あっという間にいなくなってしまった。後姿がおかしくて、口元だけで笑いながら、カレトも食堂へ向かうことにした。

 夕飯の時も、朝食に引き続きそれなりに大変だった。


「おお、カレト殿!!お待ちしておりました!」


 食堂に入るや否や、マサードが両手を挙げて出迎えた。ついさっきまで一緒に居たにもかかわらず、待ち侘びたような口ぶりだった。

 マサードの声を聞き、食堂にすでに集まっていた団長たちが、こぞって集まってきた。


「聞きましたよ、今日の新兵たちとの手合せの様子!今度はぜひ、私とも手合せを!」


「相手から盾を奪い、しかも投擲武器に転用するとは思いつきませんでしたなぁ。いやはや、勝利への執念がうかがえます」


 王宮での初仕事の様子を聞きつけた団長たちは、一様にカレトとの戦いを望んだ。適当に相槌や返事をしながら夕飯を済ませている最中、ヤーンについて調べなくてはならないことを思い出した。


「そういえばマサード殿、今日私が手合せした新兵のヤーンという青年ですが、一体どういう経緯で入団したのかご存知ですか?」


「ふむ、ヤーンですか。…確かあいつは森で倒れてるところを騎士団に発見され、本人の希望で騎士団に入ったはずですな。魔物に襲われた所為なのか、昔のことをほとんど覚えていないらしいのですが…。何かあいつに気になるところでも?」


「いや、他の連中と比べても実力が高かったものですから、何か昔から修行でもしていたのかと思いまして」


 夕飯を終えると、特にもう予定はないらしいので、一旦部屋へ戻ることとなった。もう女中の案内はなかったが、何とか迷わずに部屋へと戻ることができた。

 部屋に着くなりドアマンが声をかけてきた。


『森で倒れていた上に記憶喪失か…。もうこれは間違いないだろうね』


 カレトもそれに頷いて答える。


『ああ、私もそう思う。一応、もう少し詳しく調べてみる。本人にも色々と聞かねばなるまい』


『うん、それでお願い。ヤーンには何か覚えていることを聞き出してみて。あとはさ、最近何か新たな化け物が出たっていう噂がないか調べてみて』


『まさか、この間仕留めたワームとかいう怪物が、よもやストレッサーではあるまいな』


『可能性がないわけじゃないね。そのあたりも含めてさ、聞き取りよろしく。それじゃ、健闘を祈る』


 ドアマンとの会話を終えると、一気に部屋が静まり返った気がした。しかし静寂も長くは続かなかった。風呂にでも行こうかと思っていたその時、扉を叩く音がした。


「あの、カレト様?」


 聞き覚えのある声だった。


「ヤーンか?今開ける」


 カレトがドアを開けると、ヤーンが笑顔で待っていた。


「夜遅くに失礼します。実は、もしこれから時間があれば、ぜひとも稽古に付き合ってもらいたいんですが…」


 申し訳なさそうに頭を下げながらのヤーンの申し出に、カレトは微笑んで答えた。


「そういう約束だったな。構わん、行こう」


「ありがとうございますっ!!」


 二人は連れ立って歩いて行った。向かう先は午前中に使用した訓練場だった。昼の熱気あふれる様相とは一変し、月と松明の光が、闇の中を頼りなく照らしていた。

 稽古の内容は的への打ち込みと一対一の打ち合いが中心となって行われた。容赦のない扱きによって、くたくたになったヤーンが地べたに倒れこんだ時点で終了となった。


「今日は初回だし、これくらいにしておこう」


 肩で息をしながら、弱弱しく「は…はい…」とヤーンが答えた。一方のカレトはまるで疲れた様子もなく、平然としていた。

 昼と夜、二度の打ち合いを通じて、やはりヤーンはなかなか腕が立つことがわかった。そしてカレトには、もう一つわかったことがあった。他の新兵たちとは、剣術の型が異なるのだ。現在はこの国における主流の型を中心に学んでいるのだろう、その影響も見受けられるものの、根本の部分に染み付いた型は別物だった。


「…ヤーン、お前はここに来る前はどこで剣術を習っていたんだ?ここの騎士団の技と、お前の扱う技は明らかに違う」


 しばらくの間、荒い呼吸だけが夜空に流れた。次第に落ち着きを取り戻すと、ようやくヤーンは口を開いた。


「俺、昔のことは全然覚えていないんです。気が付いたらニグフォの森に倒れてて、騎士団の人に助けられて…」


 身上を語るヤーンの瞳は、夜空を越えて星の遥か向こう側を眺めるような、遠い目をしていた。


「昔のことはさっぱりなんですけど…たまに、悪夢を見るんです」


「悪夢?」


「細い蝋燭が照らすだけの真っ暗な部屋で、俺の足は鎖に縛られてるんです。格子の嵌った小さな覗き窓の向こうには、姿はよくわからないけど、黒く大きな体を揺らす化け物が居るんです。それで、そいつが部屋に入ってきて、俺を殺そうとするところで…いつも目が覚めるんです。もしかしたら、それと記憶がないことは、なんか関係があるんじゃないかと思うんです」


 滔々と語るヤーンの瞳からは、いつもの星屑のような輝きが、ふっと消え失せていた。

 カレトはドアマンから聞いていた話を思い出し、何も言えなくなった。


 ジョンは実の父親から虐待を受けていた。その上、家を出て行った母親のように逃げてしまわないよう、暗い部屋にずっと閉じ込められていた。誰かが助けに来てくれるわけでもなく、心の拠り所は昔から好きだった冒険小説だけ。辛い時間が永遠のように続いてゆく中で、ついにジョンの心は壊れてしまい、現実には居られなくなってしまった。

 ドアマンは、クックーランド・シンドロームの患者と関わる際に、投げ捨てる様な口ぶりで言う。「生きるには辛すぎる現実から逃げ出した先の理想郷でも、本当の安楽を手に入れることはできないんだ」と。

 どんなに幸せな世界に逃げ出したとしても、心を壊した目に見えないハンマーは、蛇の様に絡み付いて彼らを逃さない。忘れられない辛い記憶や悪夢として纏わり付き、さらには姿形を手に入れて、奈落の底へと引きずり込もうとしている。物質化した心理的病巣のことを、ドアマンはストレッサーと呼んでいる。


『…やっぱり、ね。もう絶対に間違いない。ヤーンはジョン・バークレイの変質した姿だ。彼の見ている悪夢は、こちらに相応しいイメージにすり替えられた、虐待の記憶だ』


 いつもの人を小馬鹿にした調子が鳴りを潜めているのが、言葉だけでも感じ取れた。

 ドアマンには何も返すことなく、ヤーンを見据えながら、カレトは言った。


「誰よりも強くなれ、ヤーン。誰にも助けの声が届かぬ時に、自分を助けてやれるように」


 ヤーンには、唐突なカレトの言葉の意味がわからなかった。それでも、判然としない曖昧な心の深くに手を差し伸べるような、救いの言葉に聞こえた。


「…はい。いつか、俺もカレト様みたいに、どんな敵でも倒せるような、強い騎士になります」


 いつの間にかヤーンの瞳には、いつもの強い光が戻っていた。穏やかな夜風が通り抜けてゆく中で、二人は静かに笑った。


◇    ◇    ◇


 ヤーンと別れてからいくらか時間が過ぎて、テレビの映像がカラーバーに変わったため、カレトが完全に眠りに落ちたことがわかった。

 いつものソファに座っているのはドアマン。どうやら鉄男は自分の部屋に戻ってしまったらしく、今は居なかった。その代わりに、ドアマンの向かい側には、白衣の男が腰掛けていた。老齢の皺深い男だった。白衣に合わせたかのような白髪の下で、心を見透かすようなグレーの瞳がドアマンを捉えていた。


「先生、さっきの青年が、今回の患者のジョンだとにらんでいます」


 いつも他人と接する際の慇懃無礼な態度とは打って変わって、ドアマンは真剣な面持ちで老人と向き合っていた。


「聞いた話とさっきの彼の様子を見る限り、私もジョンがヤーンの正体で間違いないと思います」


 優しく穏やかな声で、老人は答えた。老人はただ”先生”とだけ呼ばれていた。


「今回は全てカレトに任せるつもりなのですか?」


「ええ、そのつもりです。僕の役目はカレトへのアドバイスと、現実に帰ってからのアフターケアくらいですから。ジョンの尊敬している騎士のイメージとそう変わらないでしょうし、何よりもカレトは腕っぷしだけじゃない「本当の強さ」を教えることができる、ジョンにとって一番の教師…いや、師匠ですから」


 先生はドアマンの言葉を聞くと、目をつぶり微笑んだ。


「…信頼しているのですね」


 ドアマンは思わず視線を床に逸らし、若干困惑気味に答えた。


「どう…なんでしょうね。僕には、自分のことが一番わかりませんから…。少なくとも今回の件に関しては、カレトが適任だと思いますし、信頼を置いてます」


「わからなくてもいいのです。焦ることはありません。一つずつ、小さな答えを見つけていけば、わかる日が来るでしょう」


 傍らに立て掛けておいた杖を手に取ると、先生は立ち上がり、そのまま部屋へと戻って行った。異なる七つのドアのうち、一番質素で粗末な木製のドアがキィと開くと、ソファに座るドアマンに一瞥し、部屋へ消えた。後には静寂とドアマンだけが残されていた。


「僕は…どうしたらいいんだろう…」


 自らの疑問も、その答えもわからぬまま、ぼんやりと天井を見上げながら、誰にでもなく言葉を投げかけた。


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