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剣と魔法の国へ、ようこそ

 異世界へのドアを開いた時、吹き込んできた風は実に冷たかった。不快感のない、冷たく乾いた風だった。

 ドアの向こうに広がる世界は、地上から優に三十メートルはあり、普通に飛び降りたら間違いなく死ぬ。それにも関わらず、ドアマンは意を決したという雰囲気はなく、薄笑みを浮かべたまま放物線を描いた。後ろではユルゲン院長が、傍から見ると投身自殺にしか見えないその光景を目撃し、ショック死するのではないかというような驚きの表情に変わっていた。


「それじゃスティングレイ、よろしく」


 重力に従って下降してゆく状況に全く相応しくない、のんきな様子で呟いた。その直後だった。

 落下するドアマンの正面、足元に広がる森に面した空中に、ドア一枚分の空間が突如出現した。空間の向こうには、シックな暖色を基調とした、落ち着いた色彩の部屋が広がっていた。幅のある臙脂色のソファには二つの人影。

 髪の毛ほどの厚みもない空間に吸い込まれてゆくドアマンとは逆側から、入れ替わるようにして青い影が飛び出した。いかにもヒーローという出で立ちの、フルフェイスマスクにコスチュームの男の姿が完全に現れると同時に、どこかの一室に繋がる空間は、まるで嘘であったかのように消えてしまった。


◇    ◇    ◇


「おかえりー」


 ソファでくつろぐ影の一つ、日本人の少女がドアマンに向かって言葉を投げかけた。先端にパーマを当てたツインテールが特徴的な、明るい茶髪の少女だった。前を開けたベージュのブレザーと胸元の水色のリボンが、彼女が現役の女子高生であることを示している。少女は紙パックのジュースを口にしながら、ティーン向けのファッション雑誌片手にだらけている。

 少女の隣に居るのは、ロボットという表現以外に相応しい言葉のないものだった。バランスのとれた八頭身の体は、余すところなく金属で象られており、鋭角なシルエットから無骨な印象を受ける。顔にあたる箇所には、文字通り光る二つの目があったが、それを除くとおよそ鼻や口といったものは見当たらなかった。表面は光沢のないマットな加工が施されており、ブロックタイプの灰色の都市用迷彩が描かれているが、不思議なことに、ところどころにキラキラとしたラメが貼られていた。何が面白いのか、少女のものと似たような雑誌を読んでいた。

 さらに、二人から少し離れたところで鎧を纏った騎士が、険しい表情で腕を組んでいる。兜とランスを傍らに置き、腰には剣を佩いていた。剣は西洋のものにも関わらず、鞘には下げ緒が結われていた。鎧は年季が入っているが、几帳面に手入れがされているようで、白銀が電燈を照り返し輝いていた。年齢は三十代前後のようで、彫りの深い顔立ちを飾るのは、耳にかからない程度の長さの金髪と深い緑の瞳。


「ただいま。今日はずいぶん早く来てるじゃないか。えんら、君、ひょっとしてサボったのか?」


「違うよばかー。昨日から冬休み入ったの」


 どうやら「えんら」というのは、少女の名前らしい。にやついたドアマンの問いかけに対し、眉をハの字にして抗議していた。


「学校なくても制服って着るものなの?…ああ、君の場合、補習があるのか」


「うわ、しっつれーだなぁ…。あたし、赤点なんてとったことないから。なんかさ、制服って着慣れてるから楽なんだよねー。それにほら、これ着ていいのってさ、女子高生の今だけだし。着なきゃ勿体ない気がするんだー」


「ふぅん、そういうもんなのかねぇ。ところでダロクは?」


「多分、執務か何かで帰ってるんじゃない?」


 えんらと話していると、彼女の隣に座るロボットが視界に入った。ドアマンは手にしている雑誌が気になった様子で、ソファに向かいながら尋ねた。


「…鉄男、今度は何読んでるんだい」


 鉄男と呼ばれたロボットは、ドアマンに顔を向けると、意外にも滑らかに音声を発した。


「えんらに借りたファッション雑誌だ。なかなか興味深い。センスの良し悪しはさっぱりわからんが」


「まあ君が楽しんで読んでるなら、それでいいのか…」


 斜めに並ぶ二つのソファの前には背の低いテーブルがあり、その向こうには一台のテレビがあった。

 トランクを足元に置くとドアマンは、えんらと鉄男の隣のソファに深く腰掛け、ちらりとテレビに視線を移した。テレビには、ほんの十数秒前にドアマンが直面していた、森へ落ち行く光景が映し出されている。


「そうそう、聞いていたと思うけど、今回はカレトがメインで動いてもらうことになると思うから、よろしく」


 くつろいだまま、ドアマンは首を後ろに倒して、壁際に佇む騎士カレトに言った。


「…それは構わんが、何をすればいいんだ」


「んー…テキトーでいい。もちろん、適切で、妥当にって意味でね。必要に応じて僕が指示するよ。君にフランクな人付き合いは期待してないし」


 ピクリと眉が動き、カレトの眉間にしわが寄る。


「どーかーん。だってカレトさん、笑いって知ってる?ってレベルでいっつもぶすーっとしてるじゃん。なんか楽しいことないの?」


「…ぐっ…」


 眉間のしわがさらに深くなり、腕組みしながら握っている拳の力が強まってゆく。


「まったくだ。お前も俺の様に、常に笑顔を心掛けるといい」


 カレトに顔を向けてサムズアップする鉄男。


「そもそも表情のない貴様にだけは言われたくないわッ!!」


 ドアマンはくすくすと笑いながら、テレビに視線を戻す。モニターの向こうには、つい数分前にドアマンがいた途方もなく広い森の景色が映し出されている。どうやらこのテレビには、仕組みはわからないが、入れ替わりに出て行った人物の視覚・聴覚情報がリアルタイムで反映されているようだ。


◇    ◇    ◇


「グライダー展開、”キネティック・アクセル”発動!」


 特徴的なコスチュームの背面にある、バックパック状の装置から、瞬時にマンタ型のグライダーが展開。同時に男の全身が淡く光はじめ、ジェット噴射をしたかのように急加速、中空を駆け抜けて行った。空よりもビビッドな青い光が、さながら流星の如く森へと近づいてゆく。

 グライダーを収納し、木々の切れ間を器用にすり抜け地面に接触する寸前、まるでビデオの停止のようにピタッと止まり、片膝をついて着地した。淡い光は空間に霧散して、太陽の差し込まない森の中には、暗い静寂が訪れた。先ほどまで自分がいた場所を見上げると、どこまでも抜けるような青空は、覆い隠すようにして伸びる枝葉によって、ほとんどその姿を隠してしまっていた。


『スティングレイ、ご苦労様。ここから先はカレト交代だ』


 耳で聞く音よりも遥かに鮮明な声が頭の中に響いた。普通であれば周りを見渡し、その後に不審者か自分の異常か心霊現象を疑う所だが、さも当たり前の様子でスティングレイと呼ばれた男は頭の中の声に答えた。


『うん、わかった』


 先ほどと同じようにして、ドア一枚分の空間が眼前に生じる。スティングレイの青い姿が空間に飲み込まれるのと入れ替わりで、白銀の騎士カレトがその姿を現してゆき、暗い葉の軒下に全身を見せると、やはり空間は消失してしまった。


◇    ◇    ◇


「お帰り、スティングレイ」


 今度は出迎える立場になったドアマンが、ソファに腰掛けながら手を振る。えんらも「おつかれー」と言いながら手を振る。鉄男は一心不乱に雑誌をめくり、意に介す様子はない。


「ただいま。今回、僕の出番はこれだけかな」


「今のところはね。また空から落ちそうになったら、頼むよ」


 エイのシルエットを中央で二分した模様が描かれたフルフェイスマスクを外し、スティングレイは素顔を晒した。マスクの所為で癖のついた、ブルネットの短髪をくしゃくしゃとかきながら、端正な顔を際立たせる藍色の瞳でえんらを見つめた。まだ20歳にも満たない青年だった。


「えんら、学校はどうしたの?」


「はーちゃんもサボりとか言う気ぃ!?」


 スティングレイが何か言うよりも前に、怒りを露わにして抗議した。えんらはスティングレイのことを、本名のハロルドを崩してはーちゃんと呼ぶ。いきなりの怒りに、思わずスティングレイはたじろいだ。


「い、いや、そんなんじゃないってば!」


 ドアマンが意地の悪い笑みを浮かべながら、スティングレイに「やっぱりそう思うよね」と言うと、えんらはますます不機嫌になり、スティングレイはますます焦った。


「冗談はさておき、もし何にも用がないなら、帰ってもらって構わないよ」


「うーん…。僕、もう少し残るよ。興味あるし」


「あたし暇だからまだいるー」


 二人はそれぞれ答えた。鉄男はちょうど雑誌を読み終わったようで、テーブルの上に積んである別の雑誌に手を伸ばしていた。

 ドアマンは適当に返事をした後、雑誌の隣にある古風な黒電話を取った。電話にはダイヤルもコール音もなかった。ドアマンはすぐに受話器に向かって言った。


「カレト、まずは情報収集だ。とりあえずさっき上空から見えた王宮に向かってくれ。今向いてる方向にあったはずだ。あまり目立たず慎重に頼むよ」


 すると、受話器からカレトの声が流れてきた。どうやら先ほどスティングレイの頭に響いた声は、この電話を通して行われていたようだ。


『わかった』


◇    ◇    ◇


『わかった』


 頭の中で言葉を思い浮かべると、ドアマン達が居る部屋へと言葉が届いた。カレトも最初は不思議で仕方なかったが、慣れとは恐ろしいもので、付き合う内に何の疑問にも思わず答えるようになっていった。

 森は薄暗かったが、穏やかな風が流れていた。木々のざわめきと小鳥のさえずりが織り成す自然の合唱を聞いていると、カレトは故郷の国へ帰ってきたような気分になった。幼い頃、草いきれを肌に浴び、汗を振りまきながら野山を駆けた記憶がよぎり、懐かしくなった。


 草と土を踏みしめながら歩くこと三十分。ただ淡々と歩き続けている。カレトは日々重い甲冑を着こみ鍛えているだけあり、全く疲労感を感じていなかった。道中の変わったことと言えば、せいぜい角の生えたウサギや紫色のバッタといった見慣れない生物と遭遇したくらいで、他に面白味のあるものは何もなかった。右を見ても左を見ても、青々とした木が生えているだけである。

 もうそろそろ、くだんの王宮が見えてきてもいい頃だろうと思った矢先、それは起こった。

 かすかに耳に届いたのは、震えるような鳴き声だった。遠く彼方から聞こえたものだったが、地響きを引き連れ高速で近づいてくるのがわかった。どうやらそれは、地中を移動しているらしい。地上に姿を現さずとも、動線にある木々を地中へと飲み込んでゆく様子が伺えた。どうやらカレトと同じく王宮を目指して移動しているようだ。

 カレトは深くから迫る、姿の見えぬ脅威に備えてランスを構えた。だがカレトに気づいていないのか、はたまた取るに足らぬ相手とみなして無視をしたのか、カレトの横十メートルほどの距離の地点をあっという間に通り過ぎ、一心不乱に王宮へと向かって行く。もしあの怪物がこのまま王宮に到着してしまえば、罪のない人々の命が失われることになる。正義感溢れるカレトは、まだ見ぬ人々のため、また自らの信念のため、戦うことを決意した。

 突然カレトは、腰に下げた剣の鞘に結ばれた下げ緒を解いて引き抜いた。カレトが掲げると、下げ緒は夕陽を宿したかのように煌々と燃え始める。宙に放り投げると同時に、どこからともなく馬のいななきが轟いた。


「呼びかけに応じよ、我が愛馬サジティグニス!!万里を刹那に駆けるそなたが妙技、今こそ我が為に役立てよ!」


 地中の咆哮を割いて、騎士の雄叫びが響く。宙で停止した燃える下げ緒は、気が付くと手綱に形を変えていた。さらに手綱の炎が燃え移るようにして、見る間に炎が馬の輪郭をなぞってゆくと、逞しく美しい、炎の鬣を持つ霊馬サジティグニスが現れた。サジティグニスは主人の前で頭を垂れて忠誠の意思を示す。カレトは颯爽と馬の背に跨ると、片手で手綱を握りしめた。


「あまり目立つのは本意ではないが、やむをえん。行け、サジティグニス!」


 走ることへの歓喜の声を上げながら、サジティグニスの脚は地面を離れた。まるで足場があるかの如く、空中を力強く踏みしめる。サジティグニスは燃える残光の帯を描きながら、森を抜けて再び空へと舞い戻って行った。大地に隠れた怪物は既に遥か遠く、王宮の近くまで迫っていた。

 およそ高さ十五メートルほどの、レンガ造りの背の高い堅牢な城壁がぐるりと囲んでおり、中の様子を伺うことはできない。だが城門から覗く町の入口の様子と、人々の騒ぎ声から察するに、パニックに陥っているのは間違いないようだ。人々が城壁の向こうへ逃げると同時に、城門が閉じられた。

 しかし怪物の突進はすさまじく、ただ激突するだけでも破城槌の如き力で、たちまち粉々に砕いてしまうことが予想された。


「そなたの力、いざ見せてみよッ!!」


 カレトが叫ぶ。すると霊馬は炎の矢の如く、瞬きをする間もないほどの勢いで距離を詰めて行く。幸いなことに怪物は王宮の手前で止まった。直後に地面が盛り上がり、ついにその姿を現した。

 土に汚れていて判然としないが、土の合間から土さながらの茶色い表皮が太陽を照り返していた。まるでムカデをベースにして、蝉と竜を掛け合わせたような、外殻を持つ無数の足が生えた醜悪な生物だった。太さはおよそ三メートル、直径は少なくとも表に出ているだけで八メートルはあった。怪物は横に飛び出した丸い目を忙しなくギョロリと動かしながら、眼前の城壁に立つ衛兵を餌にしようと、にちゃついた口を大きく開いた。歯の全くないてらてらした口腔内から、蝉の口吻のような舌が獲物へと伸びてゆく。衛兵は土の塊によって視界を奪われているため、脅威が近いことはわかっていても、身動きを取ることができない。城壁の破壊こそ免れたが、このまま暴れられてしまっては、被害は甚大なものになってしまうのは、火を見るよりも明らかだった。


「うおおぉぁあぁぁぁッ!!」


 怪物が地中からその土まみれの姿を晒し、口を開いた丁度その瞬間。頭上に到着したカレトは手綱を離し、両手でランスに強く力を込める。鎧の下で筋肉が膨張し、血流が力を運ぶような感覚が肉体を支配する。何の躊躇もなく振り下ろすと、死を命じたランスは硬質な外殻を砕き、柔らかい肉に身を埋め、脳天を貫いた。

 元居た大地にランスで縫い付けられた怪物は、断末魔の声を上げることすら叶わずに、まさかの闖入者の手によって絶命してしまった。完全に死んだことを確認すると、カレトはランスを引き抜いた。潔癖に輝いていた白い刀身は、主と共に黒ずんだ体液に汚れてしまったが、流れることになったのが人の血ではなかったことに、カレトは安堵した。


「来い、サジティグニス。ご苦労だった」


 サジティグニスが主の下に駆け寄ると、手綱を残して燃え尽きた。しかし手綱の炎は宿ったままだった。手綱を握った手は血まみれだが、炎が触れると同時に血は蒸発するかのようにして霧散した。カレトが手綱を強く握ると、炎が全身とランスに燃え移ってゆき、すっかり元通り、戦う前の一点の曇りもない甲冑姿に戻った。


『…カレトー、後ろ後ろ』


 唐突に、今まで沈黙を守っていたドアマンの声が届いた。

 落ち着いて周りを見渡すと、城門の前や城壁の上に居た衛兵たちが、茫然としてカレトを見ていることに気が付いた。怪物退治に夢中で周囲の状況を全く気にかけていなかったが、改めて自分の状況を鑑みると、炎を纏った空飛ぶ馬に乗ってきた謎の騎士なんて、不審人物以外の何物でもないことにようやく気が付いた。そして何より、最初にドアマンに言われていた「あまり目立たず慎重に」という約束を、あっさりと反故にしてしまった事実に直面した。


『…どうすればいい』


 思わずヘルプを求めるカレトだったが、ドアマンからの返信は無情なものだった。


『勝手に突っ走って…自業自得。ヤバくなったら逃げる手はずは整えるけど、それまでは君の機転に期待してるよ』


 ドアマンの笑い声だけが、頭の中に反響していた。

 安全を悟った衛兵が門を開くと、横一列に王宮の兵隊と思しき軍勢、さらにその後ろには野次馬の市民たちが無数に集まっていた。一様に視線はカレトに注がれているが、誰一人として声を上げることはなく、沈黙がかえって心地悪い。

 カレトはこの先に起こりうる二つの選択肢を考えた。一つは怪物退治の英雄として歓迎される道。もう一つは――考えたくもないが――怪物に代わる新たな脅威として討伐される道。軍勢をかき分けてやってくる、一際立派な装備の人物を見ながら、自分の明日はどちらだろうという考えが、ゆらゆらと頼りなく揺れていた。



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