19 in those days 1
戦闘描写があります。
なお、軍隊関連のあれこれについては、ファンタジー軍隊ですので、現実と違う部分は「この世界ではそういうもの」ということで処理願います。
その日は快晴だった。
ザタナス・ロゼケニーは右手に模擬剣をぶら下げたまま空を見上げた。
季節は冬の終わり。遥か遠い青空には一片の曇りもなく、吹き付ける寒風も汗ばんだ肌には心地良い。
「どこ見てやがんだ、ロゼケニー!」
声と共に飛んできた斬撃をザタナスは己の剣で払い、そのまま右足で踏み込んで相手の胴を薙ぎ払う。
厚く重ねた布の束を打ったような鈍い音が響いた。
「有効! 勝者、ロゼケニー」
審判役の同僚の声が飛び、ザタナスは腹を押さえてうずくまっている相手をあきれ気味に見下ろした。
「何で敵の名前呼んでから攻撃するんだよ。そんな余裕かましてる暇があったら黙って少しでも早く打てっつーの」
模擬剣は訓練用に造られた刃のない剣である。金属の棒を振り回しているのと大差はないが、いくら防具を着けているとはいえ、思い切り叩かれれば衝撃は相当のものになる。
「お前が、ぼけっとよそ見してるからだろうが……!」
「だから隙を見付けたら塩送ってねえですぐさま叩けって。あと剣筋が元々左に逸れ気味だったぞ。右手に力入りすぎなんじゃねえか?」
とは言ったものの、ザタナスは隙を見せたつもりは毛頭なかった。彼が叫ぼうが叫ぶまいが結果は変わらなかっただろう。しかし、ほとんど名目上とはいえ、ザタナスは彼より一つ階級が高い。多少指導めいたことも言わなければならない。
「はいはい、ブラル少尉、負けた人はとっとと下がってくれ。ロゼケニー中尉は六人抜きおめでとう。次、アイスナー曹長!」
「おい、ガンツ」
ザタナスはうんざりと審判の名を呼んだ。
「いつまで続けんだよ、これ」
ガンツ・マルシュナーは漆黒の瞳を同情するように細めた。
「ここにいる全員に勝つか、我らが王太子様の視察が終わるまでだろうね。その前にお前が負ければ、興が削げて終了になるかも知れないが」
現在、ミグダルガド王立軍西面旅団の第一遊撃小隊と第三歩兵小隊の合同訓練が行われている。任務の都合上全員が参加しているわけではないが、それでも五十人はいるだろうか。
ザタナスは思い切り顔をしかめる。
「次で負けるか」
「やれるもんならやってみな」
付き合いの長いガンツには負けず嫌いを見透かされている。ザタナスはため息をついてアイスナーに向き直った。
「中尉、一手ご教授願います」
丁寧に礼を取ったアイスナーは、ザタナスより十歳ほど年上だった。落ち着いた物腰の通り、剣先を上げて構えた形にも浮ついたところがない。
「教えることもないような気もするがな」
ザタナスも中段に構え、ちらと兵舎の方を一瞥する。兵舎の前に天幕が張られ、訓練場には到底不釣り合いな、豪奢な椅子が設置されている。それに座っている幅広な男が現国王の長男、つまりこの国の王太子で、横に立っている神経質そうな男が西面旅団の旅団長だ。
訓練の視察は別に構わないが、通常の訓練ではなく、ザタナスが何人に勝ち抜くかという見世物と化しているのが気に入らない。周りでは一応他の面々が何組かに分かれて組み手や打ち込みなどをしているが、王太子は明らかにこちらしか見ていない。
ザタナスは発案した旅団長に口中で呪いの言葉を吐き、アイスナーに視線を戻す。
アイスナーの後ろ足が軽く引き付けられた。誘いだな、と判断しつつ、ザタナスはそれに乗って踏み込んだ。頭部目がけて振り下ろした剣がアイスナーのそれによって逸らされ、逆に手首を狙われる。
(……教本通りだが、うまいな)
ザタナスはアイスナーの模擬剣を自分のそれで受けて跳ね上げ、肩口に打ち込もうとする。しかしアイスナーの剣に阻まれた。
一瞬互いに剣を押し合うような形になる。ザタナスが押し込んだところで、アイスナーは一歩引いた。勢いのままに剣先を上げ、振り下ろす。ザタナスはわずかに身を沈めて打撃点を狂わせ、左方へ身体をさばく。続いて下段からアイスナーの手首を打ち上げた。アイスナーの剣が乱れる。止めに胸を狙った突きを叩き込んだところでガンツの声が上がった。
「有効! 勝者、ロゼケニー」
アイスナーは息を弾ませつつ剣を下ろした。
「ありがとうございました」
軽く頷き、ザタナスも土の上に剣先を下ろす。
「分かってると思うが、引いてからの打ち込みに焦りが出てたな。あとは、強いて言えば剣筋が綺麗すぎるんじゃねえか? 俺達は剣士じゃなくて兵士だ。多少汚い剣も必要だと思うが」
ザタナスは言葉を切って頭に手をやり、防具に阻まれる。
「まあ、これは俺の個人的な感想だ。あんたにはあんたの考えがある。気にしなくていい」
「いえ、勉強になりました。ロゼケニー中尉、ありがとうございました」
アイスナーの真っ直ぐ伸びた背を見送り、ザタナスは唇をへの字に曲げた。
「……やっぱ向いてねえ」
他人に助言する立場の自分を改めて考えると、身体中がむずむずしてくる。
十代前半までは洒落にならない悪ガキだったこの自分が。一体何をやっているのかと。
顔なじみの治安分隊の班長に勧められて士官学校の入試を受けたことは後悔していないが、まさかこうもとんとん拍子で部下を持つ身になるとは思わなかった。
「いや、そんなことないと思うよ。〈魔王〉の軍隊が着々と出来上がってるみたいで面白いって」
ザタナスはガンツを睨め付けた。
「俺は面白くねえ」
「面白くなくても仕事の一環だからね。じゃあ次――」
「何じゃ、グレルマン少将。西面旅団とはかように弱いのか」
男性にしては大分甲高い声が聞こえて来、ザタナスとガンツは天幕の方を振り返った。
「皆あの男一人にいいようにやられておるではないか。このような体たらくで国境の守りは大事ないのであろうな?」
肘掛けに頬杖をついた王太子が旅団長であるグレルマン少将にまくし立てている。王太子の声は甲高い上に声量が多く、安全を考えてかなり離れた場所にいるこちらにまでよく聞こえた。
グレルマンは慌てふためいているようだ。身振りを交えて何事か説明しているが、こちらの方は断片的にしか聞こえてこない。
「ほう、そうか。それは心強いが、しかしあれだけの人数が一太刀も浴びせられぬというのは、少将、そなたいかが思う?」
グレルマンは短い沈黙の後、天幕の隅に控えていた副旅団長を呼び寄せ、何事か指示した。副旅団長は頷くと天幕の外に出て来る。
「整列!」
号令をかけ慣れた太い声が大音声を発する。兵士達は訓練を中断し、整列した。副旅団長は寸分の狂いない六列縦隊を見回してから声を張り上げる。
「ただ今より実践形式の戦闘訓練を行う。第一組と第二組に分かれ、第一組は後方にある白線を砦と見立てて守り、第二組はそこへ攻め入る形とする」
実践形式の集団白兵戦訓練自体は珍しいものではない。だが子供の陣取り遊びでもあるまいに、副旅団長の訓練設定は大雑把すぎる。ザタナスは怪訝な目で副旅団長を見る。すると副旅団長と目が合った。
(何だ?)
その意図を推し量る前に副旅団長は目を逸らす。
「では、組分けを発表する。まず第一組。第一遊撃小隊第三分隊、第三歩兵小隊第一分隊……」
日常の立ち居振る舞いについてすら骨の髄まで叩き込まれているはずの兵士達が、上官の命令を聞いている最中だというのにわずかにざわめく。――これでは、訓練に参加している五つの分隊のうちほとんどが第一組に組み込まれる形となってしまう。
「続いて第二組。第一遊撃小隊第一分隊、以上。なお、両小隊長及び小隊長付きの士官四名は第一組に入るように。第一組の指揮官は第三歩兵小隊小隊長クレフ中尉、第二組は第一遊撃小隊第一分隊長ロゼケニー中尉とする」
ざわめきが大きくなる。ザタナスはグレルマン旅団長の意図を察し、わずかに唇を歪めた。
「副旅団長!」
王立軍らしからぬざわつきの中、よく通る声が響いた。聞こえてきた方を見れば、ガンツが右手を挙げている。
「ん? 何だ」
「副旅団長、お言葉ですが、それでは戦力の不均衡が甚だしいのではありませんか」
整列した兵士の誰もが思っていたであろうことを真っ直ぐに指摘する。あの馬鹿、とザタナスは顔をしかめた。
副旅団長は不快げに目を細め、ガンツを見やった。
「何だ、貴様は?」
「第一遊撃小隊小隊長付き、ガンツ・マルシュナー少尉です」
ガンツはほんのわずかも物怖じせずに名乗った。「ガンツ・マルシュナー」と呟くように繰り返し、副旅団長は顎をなでる。
「ああ、確かロゼケニー中尉の士官学校からの同期だったな。マルシュナー、ロゼケニーをかばおうとしても無駄だぞ。組分けを変える気はない」
「しかし、このままでは、訓練とはいえ打撲傷程度では済まな……」
言い募るガンツを、副旅団長は一喝した。
「黙れ、マルシュナー! 上官の決定に異を唱えるか。それならば貴様が第二組に入るか!」
第二組に入ることを罰のように言う時点で、語るに落ちたな、とザタナスは思ったが、ガンツはそのことには触れず、あっさり頷いた。
「では、そうさせていただきます」
しれっとそう言うと、ガンツは自分の列から外れ、堂々とこちらへ歩いてきた。副分隊長に「悪いね」と断ると、ザタナスの後ろに割り込む。直属の部下を持たない小隊長付きは実に身軽だ。
「馬鹿じゃねえの」
囁くと、
「あいつらがね」
という微笑混じりの声が返ってくる。ザタナスは同意する代わりに鼻を鳴らした。
副旅団長は気を取り直すように咳払いをすると、口を開いた。
「皆、配置につけ! いいか、特に第一組、数を恃んで手を抜くような者があれば、全員に懲罰を与えるからな、覚えておけ!」
第一遊撃小隊小隊長の合図に合わせ、兵士達は右の拳を胸につけて礼を取る。そして一斉に移動を始めた。
ザタナスは遊撃第一分隊を引き連れ、四角に整地した訓練場の、大多数の兵士とは反対側の辺に向かう。その肩越しにガンツが話しかけてきた。
「お前も随分な出世だよな。士官学校卒業して三年の一士官を潰すのに、第一遊撃小隊と第三歩兵小隊のほぼ全力だぞ」
「遊一も歩三も第二分隊は不参加だ。全力じゃねえ」
「それでも向こうはこっちの四倍だ。旅団長閣下も何をトチ狂ったんだか、王太子様の御前でお前を潰せば点数稼ぎになると思ってるのかね」
ザタナスはガンツを顧みる。
「お前、上に睨まれるような真似していいのかよ。俺と違ってお前は真っ当な幹部候補生だろ」
ガンツはおどけたように眉を上げた。
「おいおい、ここは俺の友情の深さに感銘を受けるところだろ」
「……鳥肌立つから友情とかお前が言うな」
ザタナスの呻きを無視し、ガンツは第一分隊の面々を振り返った。
「君達だって俺と同じ気持ちだよな?」
ザタナスの部下というだけで事実上袋叩きの標的とされてしまった被害者に対して何を言うのか、とザタナスはあきれたが、九名の隊員は残らず頷いた。
「もちろんです。隊長について行きますよ」
「隊長の下でなら人数四倍の敵と戦うぐらい何てことありませんって」
「つくづく隊長の部下でよかったです」
口々に言って頷き合う隊員達。ガンツは含み笑う。
「って言うか、あっちに混ざっててもザタナスにのめされるのが確実だからな。あれだけ人数いたら手足折って物理的に動けなくさせるのが手っ取り早いだろうし。ド被虐趣味でなきゃ御免被りたいよな。な?」
ガンツに同意を求められ、隊員達は返答に困ったように沈黙を守る。ザタナスは足を止め、その場に模擬剣を突き刺した。
「お前ら、あっちの組に入りたきゃ今からでも話つけてやるから正直に言えよ?」
グレルマン旅団長らはザタナスを潰せればよいのだろうから、さして問題なく受け入れられることだろう。
他意なく言ったつもりだったが、隊員達は勝手に何か物騒な裏読みをしたらしい。申し合わせたかのように全員が首を横に振る。
「た、隊長、誤解です」
「我々は、少尉のおっしゃったような理由は微塵も」
「そうですよ。俺達は純粋に隊長を慕ってっ!」
「こら、分隊長。部下をあんまりいじめるなよな」
笑み混じりに言うガンツにザタナスは冷ややかな視線を送る。ガンツが余計なことを言ったせいで、恐らく隊員達は不要な裏読みをしたに違いないというのに、何を他人事のような顔をしているのだ。
しかしガンツは全く意に介さず腕を組む。
「そんなことより指揮官、戦術はどうする? と言ってもこんなだだっ広い平地で鼻突き合わせてる状態じゃ、選択肢はほとんどないだろうが」
ザタナスはこめかみを軽くもんだ。
「何でお前が仕切るんだよ」
「それもそうだな。じゃ、選手交代だ」
ガンツはザタナスの肩を叩き、隊員らの後方へ回った。分隊において一番の下っ端である上等兵が前方に行くよう勧めているが、ガンツは首を振って断っている。
ガンツは優男面で着やせして見える上に頭も口も回るので誤解されがちだが、剣を持たせればあれで結構やる方だ。放っておいても大丈夫だろうと判断し、ザタナスは剣の柄頭に手を置いた。
「……戦術な。まあいつも通りだが、いいか、まず俺が敵集団に突っ込む。そうすると俺の相手をする以外の奴らはお前らを叩こうと進軍してくるはずだ」
ガンツも含め、目の前には十名。ザタナスは彼らの顔を見回し、言った。
「耐えろ」
顔色一つ変えぬ隊員達の後ろで、ガンツが一人目を丸くしている。
「多対一でも、背後急襲でも、急所狙いでも何でもいい。俺が全員沈めるまで絶対に倒れるな」
部下達が一斉に答えるのに軽く頷く。
「余裕があれば俺の討ちもらしを叩いてもいいが、あんまり前に出すぎるなよ」
ザタナスはガンツを見、唇の端をつり上げる。
「ガンツ、足引っ張るんじゃねえぞ」
「いつも通りって、……遊撃第一分隊って、まさかいつもこの調子なのか?」
「まあ、概ねそうですね。隊長が切り込んで我々が援護する形です。……隊長が配属になった初めの頃はそれなりに普通に作戦立てて役割分担してやってたんですが、部隊の性格上、あっちこっちに投入されるし、準備期間も段々短くなるしで、しまいに隊長がキレ……英断されまして。こっちの方が早くて確実だ、と」
副隊長が答える。ガンツは「隊長が、切り込み……」と呟くと痛ましげに隊員らを見た。
「苦労してるんだね……」
「……いえ、まあ、それほどでは」
曖昧に笑った副隊長が首を振った時、副旅団長の怒声が響いた。
「貴様ら、いつまで待たせるつもりだ! 早く始めんか!」
ザタナスは副旅団長と天幕を一瞥し、隊員達に二列横隊を指示した。第一組の方に向き直ると、そちらも布陣を終えたところのようだった。ザタナスが地面に突き刺していた模擬剣を抜いたところで、戦闘訓練の開始を告げる鐘が打ち鳴らされる。
ザタナスは靴裏で土を蹴立てて前に出ると、初めに目についた一人の肩口に剣を突き入れた。若い兵士の灰緑の目が見開かれ、手に残るのは骨を砕いた感触。戦闘不能と判断し、ザタナスは次の獲物を探して地面を蹴った。