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17 氷色の真実

流血・肉体損傷描写があります。

 リーナシエラの切っ先は揺らがない。

 ザタナスは軽く肩をすくめた。自分の剣を先程まで座っていたソファに投げ置き、リーナシエラに歩み寄る。

 踏み込みではない、ごく普通の歩き方。リーナシエラは動かない。

 剣の間合いに入ったところで足を止め、右手を腰に当てる。


「どうした、打ち込んで来ねえのか?」


 紅蓮の瞳が、揺れたように見えた。

 ザタナスが再び歩き始めたのとリーナシエラが後ろ足で床を蹴って踏み込んだのがほぼ同時。

 手首を狙って伸びた剣先を、体を開いてかわし、鍔もと近くを脇に挟み込む。

 リーナシエラの目が見開かれる。柄から手を放して逃れようとした彼女の手首を、ザタナスは捕らえた。

 リーナシエラは関節の可動域が常人より遥かに広い。普通の人間相手なら十分有効な『関節を極める』という方法では、無力化が難しい。

 ザタナスはリーナシエラの足を払って絨毯の上に倒し、膝下と両腕を押さえ込んだ。


「……何だよ、最後のは。俺はあんなふぬけた剣を教えた覚えはねえぞ」


 今度ははっきりと、リーナシエラの瞳が揺れた。


「……して」

「ん? 何だよ、はっきり言え」


 静謐さの仮面が割れる。深紅の瞳に涙がたまり、それをこらえるようにリーナシエラはきつく眉根を寄せた。


「どうして」


 ザタナスは強いて表情を動かさぬよう努める。


「どうして優しくするの。どうして剣を教えてくれるの。どうして嫌いにさせてくれないの――大っ嫌い!」


 叫んだ拍子に涙がこぼれた。リーナシエラはザタナスの視線から逃れるように横を向く。


「……どうしてザタナスなの」


 ザタナスは唇を引き結び、拘束を解いた。立ち上がって額に手を当て、慎重に息をつく。

 数回呼吸して自分が冷静であることを確かめてから、ザタナスは上体を起こしたリーナシエラの足元に膝をついた。未だ血の止まらないリーナシエラの左足に触れると、筋肉がびくりと反応する。


「……っさ、触らないで」


 いつものリーナシエラらしくない、虫の鳴くような声。脚をたたんでスカートの下に隠したリーナシエラは、ザタナスの方を見もせず、床の一点に視線を注いでいる。

 ザタナスは血に触れた指を拳に握り込み、反対の手で道具入れから当て布と包帯を取り出した。それらをリーナシエラの膝の上に投げる。


「とりあえず止血はしとけ」


 うつむいたままのリーナシエラの表情はよく見えない。彼女は皺になるほどきつくスカートを握り締めた後、のろのろと当て布を手に取る。

 それを確認して、ザタナスは立ち上がった。床の上に転がっているリーナシエラの剣を拾い、ソファに戻って鞘に納める。次いで自分の剣も鞘に戻して剣帯を腰に巻いた。


「……何だよ」


 呆気に取られたようにぽかんと口を開けていたアロルドは、ザタナスが睨め付けると白昼夢から冷めたように幾度か瞬いた。


「いや、嬢ちゃんが〈魔王〉相手にここまでやるとは」

「だから何だよ。俺の弟子だぞ」


 ザタナスが不機嫌に言うと、アロルドはしたり顔で顎をなでた。


「あの女も自分の子供がこんなに強くなりゃあ、思い残すことはねえだろうよ」


 その言葉の意味を問いただす前に、あるかなきかの足音が聞こえたような気がしてザタナスは背後を振り返った。ドアがそろそろと開き、漆黒のドレスの裾が揺れる。


「おっと、噂をすれば。――なあ、リタ・マジエスト」


 庇護欲をそそるほど華奢ながら、魅惑的な曲線を描く身体。それを大胆なデザインのドレスと何かから身を守るような白い肩掛けで包み、白金の髪を高く結い上げた女性がその場に立ち尽くしていた。表情は青ざめているが、それでいてなお目鼻立ちの整った相貌は美しい。見開かれたその瞳は、リーナシエラと同じ深紅。視線は絨毯に座り込んだ少女に向けられている。

 ザタナスは爪が食い込むほど強く拳を握り、リーナシエラに目をやる。リーナシエラは包帯を巻く手を途中で止め、現れた女を見つめていた。


「……あ、さっき会った……あれ、でも今――」

「ちょっと待った。嬢ちゃん、その女とは俺に先に話させてくれ」


 アロルドは椅子から立ち、大またにザタナスとリーナシエラの間を横切った。リーナシエラを凝視していた女は、初めて自分に近付いてくるアロルドの存在に気付いたかのように彼を見、身を翻した。


「待てやこら」


 女の折れそうな程に細い手首を、太い指が掴む。女は舌打ちしてアロルドに向き直った。


「気安く触んないでよ」


 アロルドは鼻を鳴らし、汚物でも投げ捨てるように女の手首を放した。


「リタ、てめえ今夜どこ行ってた?」


 アロルドが低く凄めば、リタと呼ばれた女も優美な顔をしかめて吐き捨てる。


「どこだっていいでしょ。あんたの知ったこっちゃないわ」

「じゃあ首領はどうなんだ」


 リタの綺麗に手入れされた眉がつり上がった。


「何であの人が出て来んの? あの人は今日『家族の日』で奥さんとガキと一緒よ。そんな時ぐらいあたしだって好きにするわ」

「そりゃ言えねえよな、首領のいない隙に他の男と逢い引きなんてよ」

「適当なこと――」

「とぼけても無駄だぜ。何せ目撃者がいるんだからな」


 アロルドは肩越しに振り返り、親指でリーナシエラを指し示す。


「てめえの娘だ、これ以上ない証人だろ?」


 リタは努めてリーナシエラを見ないようにしているようだった。アロルドに視線を貼り付けたまま彼女は腰に手を当てる。


「馬鹿言わないで。あたしは……」

「黙れよ。ドルヒの近くにてめえがいたことは確かなんだ、あの男と会ってたんだろうが」


 リタは形のいい唇をかみ、黙り込んだ。


「てめえがあの話を唆してきたところからしておかしいと思ってたんだよ。言ってみりゃあハスターへの裏切りだからな。首領のお情けで生き長らえてるてめえが勧めるってのはおかしな話だ。……あの男とグルだったんだな。なら合点がいくぜ」


 けっ、とアロルドは忌々しげに吐き捨てる。


「にしてもあの男も口ほどにもねえ。計画の邪魔になる〈魔王〉を最初に潰すなんてぶち上げたくせに無傷でぴんぴんしてんじゃねえか」


 リタは顔を上げた。右手で肩掛けの位置を直し、腕を組む。


「だったら何なのよ」

「何だと?」

「あたしがあの男とグルだったら何だっつーのよ。その口ほどにもない男の口車に乗って裏切ったのはあんたの決断でしょ? そりゃ、あの人の頂点は揺らがないし、跡を継ぐのは馬鹿息子。あんたにこれ以上の出世の芽はないんだから将来の身の振り方も考えたくなるわよねえ?」

「このくそアマ、開き直りやがって……」


 アロルドは手下に「おい」と一声かけた。一人がナイフを抜き、アロルドの横に立つ。


「とりあえずそのお綺麗な顔と身体にとびきり醜い傷を付けさせてもらうぜ。女の武器がなきゃてめえは虫けらも同然だからな」


 ナイフを持った男がリタに一歩近付く。


「待って!」


 リーナシエラの声が響いた。振り返れば、リーナシエラは立ち上がり、困惑の目でリタを見つめている。


「アロルドさん、ちょっと待って……下さい。その人って……」


 ザタナスと同じくリーナシエラを振り返っていたアロルドの唇が歪んだ。


「はっ、そうか、その方が効果的かも知れねえな。……おい、リタ」


 アロルドはにやつきながらリタに向き直る。


「生き別れの母子の感動のご対面だ。逃げんじゃねえぞ。……お前、リタが逃げようとしたら斬れ。いいな」


 手下に命じ、アロルドは部屋を横切って椅子に座った。両腕を肘掛けに置いてふんぞり返る。

 リーナシエラはアロルドを振り返ってからリタを見、眉を寄せてザタナスに一瞬目をくれる。はっとしたように目を伏せたリーナシエラは、顔を上げると再びリタを見つめた。「あの」と決心したように声を押し出す。


「お母さん……なの?」


 リタは目を逸らしたまま答えない。リーナシエラはこめかみに手のひらを押し当てた。


「……う、そ……だって、お母さんは四年前に死んだって……」


 手を下ろし、拳を握る。


「お母さんはあんまりお化粧とかしなかったし、そんな派手っぽい服着なかったし、何て言うかもっと……太ってたし。それに言葉遣いだってもっと丁寧だったもん」


 一息で言い切ったリーナシエラは、肩で息をついた。


「でも……お母さんなの?」


 リタは痛みをこらえるかのように眉を歪ませ、ゆっくりと視線を上げる。そして首を横に振った。


「違うわ。あなたの母親は死んだ。……それにティモシオの妻も」


 彼女の返答は想定外だったのだろう、リーナシエラは意味を理解するのに数瞬の時間を要したようだった。リーナシエラはわずかに目を見はる。


「……だって」

「だってじゃないわ、頭の回転が鈍いわね。あたしはあなたの母親じゃない。あなたのことなんて知らない――って言ってるのよ」

「そんな……」

「ええい、まだるっこしい!」


 アロルドが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。


「俺が簡潔に教えてやるよ。その女はな、元々うちの首領の愛人だったんだ。嬢ちゃん、愛人って分かるか? 夫婦じゃないが囲ってナニをする関係の女のことだな」

「アロルド・ブロジーニ、シエラに妙なこと吹き込むんじゃねえ」


 思わず口を挟んだザタナスをうるさげに見、アロルドは先を続ける。


「ま、とにかくハスターの首領の愛人だ。若くて美人でそこそこ気が利いたから首領の寵愛はそれはそれは凄かったぞ。溺愛ってのはあれのことだな。……にもかかわらず、だ」


 いったん言葉を切り、リタを意味ありげに見やる。


「その女は首領の元から逃げ出したんだよ。それもよりにもよってノーデンスの構成員の小僧に一目惚れだ。それがザタナス・ロゼケニーに殺された嬢ちゃんの父親だな」


 リーナシエラの肩の線が硬くなった。剣の柄に手を触れながらザタナスは自問する。

 ――この男を今すぐ斬ってしまうべきではないか。リーナシエラにこの品性下劣な男の話を聞かせておいて、何の意味がある?


「で、まあ面白くもねえ幸せな数年間ははしょるが、四年前、夫を殺されたこの女は何とのこのことハスターに戻って来やがった。子供がいるのにそれを放ってだぜ? 首領も何考えてんだか、またこの女を愛人にしたのさ。よっぽど身体の相性でもよかったのかね」


 理解出来ん、というのを身振りで表し、アロルドはリーナシエラに一歩近付いた。


「どうだ、嬢ちゃん。嬢ちゃんの母親は、こういう最低な女なんだよ」


 リーナシエラの身体が小刻みに震えている。


「……お母さ――」

「だから違うって言ってるでしょう! あたしに子供なんていない!」


 まるで強く殴られたかのようにリーナシエラの身体がよろめいた。絨毯に膝をつく。


「おうおう、ひでえ母親だな。どうだい嬢ちゃん、薄情な母親に復讐したくねえか?」


 アロルドが言いながらリーナシエラに歩み寄る。


「あの女の娘だ、きっと年頃になったらすんげえ美女になるだろうよ。その美貌で首領に取り入るのさ」


 アロルドはリーナシエラに視線を近付けるように腰を折った。


「母親を蹴落として筆頭の愛人に収まるってのはいい復讐だと思わねえか? そうだな、可愛いっちゃあ可愛いし、何なら今からやってみてもいけるかも知れねえぞ。確かリタが最初に愛人になったのが十四だったか五だったか。嬢ちゃん今十二歳だったか? いけるいける」


 リーナシエラは凍り付いたように動かない。視線は勝手なことを言い続けるアロルドを通り越し、リタだけに向けられている。アロルドがリーナシエラの頬に触れようと手を伸ばした。

 ザタナスは踏み込んだ。抜き打ち気味に剣を一閃させる。

 ぽとりと絨毯の上に肉の塊が落ちた。


「……ぃああああっ!」


 一瞬遅れてアロルドが左手を押さえ、床に突っ伏した。アロルドの左手から噴き出した鮮血がリーナシエラの服を転々と汚す。

 不意にリーナシエラの身体から力が抜けた。ザタナスは普段よりも一層小さく見えるその身体を抱き留める。

 ザタナスは剣を収め、リーナシエラを抱いて立ち上がった。


「ザタ、ナ……てんめえっ……!」


 悪鬼の形相で見上げるアロルドを、ザタナスは鼻で笑う。


「あんたはハスターを裏切って俺を潰そうとしたんだろ? 空振りに終わったみたいだがな。なのにこんな指一本で騒ぐんじゃねえよ」


 ザタナスは転がるアロルドの親指を足先で示す。


「急いだ方がいいんじゃねえか? 腕がいい医者にかかりゃ、うまくすればくっつくかも知れないぜ?」


 言い捨ててリーナシエラの剣を掴む。ザタナスはドアの前でナイフを構えていたアロルドの手下に、「早く医者に連れてってやれよ」と助言してから鞘に入ったままの剣で喉元を突いた。咳き込みながら膝をついた手下の脇を通り抜ける。


「……どけよ」


 先程からドアの前に陣取ったままのリタは、深紅の瞳をわずかに揺らしてザタナスの腕の中のリーナシエラを見た。


「……その子は……」

「母親じゃねえんだろ。いいから早くどけ」


 リタは唇をかみ、道を空ける。


「……くそったれめ」


 誰にともなく毒づき、ザタナスは足を速めた。

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