15 She got to know truth.
リーナシエラが一歩後ろをとことことついてきている。
夜。治安の悪い辺縁街地域はもちろん、例え市街地だったとしてもリーナシエラのような少女を一人にしておくべきではない。
そんなことはロルフレートなどに指摘されずとも分かっている。周囲の人間に何やかやと言われがちなザタナスであるが、一応常識というものはわきまえているのだ。
しかし、とザタナスは弟子をちらりと振り返る。一見無防備に足を運んでいるようでいて、その実少しの隙もない。
ロルフレートは気付かなかったようだが、その辺のごろつきなど、何人束になっても同じだ。個人戦闘にかけては正規兵よりもよほど長けている。
(あの蜂蜜頭、知った風なことぬかしやがって)
ザタナスは声に出さず悪態をついた。元王立軍、それもザタナスと同じ西面旅団出身というだけでも怪しいのに、リーナシエラをダシに親切ごかしたことを言う。髪の色だけではなく頭の中身もどろどろと甘ったるい蜂蜜のような奴だ。
(シエラの実力も見抜けなかったてめえには口出しする権利なんかねえんだよ)
リーナシエラもリーナシエラだが。戦闘でぶちのめすのは実力・状況的に難しいとしても、逃げてまくだけならいくらでも方法があったはずだ。ザタナスとの落ち合い方は、それこそどうにでもなるのだから。
「何よ?」
何の脈絡もなく自分を振り返った師を不審に思ったのだろう。リーナシエラが首を傾げてザタナスを見上げている。
「……別に。何でもねえ」
そう言ったのにリーナシエラは困ったように眉を寄せた。
「もしかして、ロルフさんのこと? あれは本当に私が頼んだんじゃなくて、ロルフさんに押し切られただけなんだからね。……まあ、王立軍って言ってたのにザタナスに簡単に会わせちゃったのは、私が悪かったと思うけど」
リーナシエラは時々ひどく勘のいいことを言う。子供だからなのか女だからなのか、それともその双方なのかは知らないが。
「だから何でもねえっつってんだろ。反省会は一人でやってろ」
「何よその言い方! 元はと言えばザタナスが用もないのにこっち見るからでしょ!」
「うるせえ、俺がどこ見ようと勝手だ」
「いい年して子供みたいなこと言うのやめてよね。フェリクスだって言わないわよ、そんなこと」
「よりによってあいつと比べんなよ」
「だったら比べられるようなこと言わなければいいでしょ」
盛大に舌を打ち、ザタナスは歩みを再開させた。リーナシエラは口をつぐんだまま、先程までと同じように少し後ろを歩いている。この程度の口論は日常茶飯事で、特にしこりが残ることもない。少なくとも、これまでは。
「ねえ、ザタナス」
しばらく歩いたところでリーナシエラがおもむろに言った。
「ザタナスって歓楽街のお店のお姉さんに詳しいわよね?」
「……はあ?」
ザタナスは再び弟子を振り返った。何を言い始めるのかとリーナシエラを観察するが、どうやら謝金の原因をうんぬんするつもりではないようだ。躊躇うような瞳がこちらを見上げている。
「何が言いたい」
「教えて欲しいことがあるんだけど、ザタナスの知ってる人で――」
「あのな」
ザタナスはため息混じりにリーナシエラを遮る。
「詳しかろうが詳しくなかろうが、飲み屋の女のことなんか教えるわけねえだろうが、お前みたいな子供に」
「子供とか関係ないでしょ! もういいわよ、別の人に聞くから!」
憤然と眉を吊り上げ、リーナシエラは大またにザタナスを追い抜いた。その背中にザタナスは声を投げる。
「別のって誰に聞く気だよ。つーか何が聞きてえんだ?」
「教えてくれない人に言うわけないでしょ」
「はん、別にいいけどよ」
悠々と追い付き、ザタナスはリーナシエラに並ぶ。リーナシエラはそれに気付いてザタナスに目をくれたが、何も言わず歩き続けた。
※ ※ ※
ハスター本拠に戻ると、数時間前と同じ青年に、数時間前と同じ部屋へと通された。二更の鐘は既に鳴ったが、マフィアならばまだ宵の口だ。しばらく待つと、アロルド・ブロジーニとその手下がやって来た。着衣も数時間前に見たままである。そりゃそうだ、とザタナスは考えた。借金を盾に仕事を押し付けておいて、自分は休んだり女のところにしけ込んだりしていようものなら全身全霊をかけて邪魔してやる。
アロルドはザタナスを上から下までじっくり眺めてから嘆息した。
「ザタナス・ロゼケニー、……無事だったか。さすがだな」
「無事だったかって何だよ。賭場の偵察ぐらいでそうそう怪我なんかするか」
アロルドは取り繕うように笑った。
「はは、そりゃあそうだな」
内心首を傾げつつ、ザタナスは賭場ドルヒの偵察結果を報告した。
「ニグラート……ブルメスターのニグラートだと? 密かにビストレンに入り込んだ挙げ句、賭場に天空の果実だと……?」
「天空の果実のことは知ってるんだな?」
「もちろんだ。だが、ありゃあだめだ。売りさばくにゃさじ加減が難しすぎる。廃人や死人は金を貢げねえからな」
アロルドは眉間に皺を寄せて首を振る。
「ニグラートが天空の果実を売ってるのは、さじ加減が分かってるってこともあるだろうが、恐らく長く商売をする気がねえからだな。『例の日』が近いとか言ってたぜ」
言うとアロルドが視線を上げた。
「『例の日』? まさか抗争か?」
「そこまでは知らねえよ。あんたの依頼は『カペルに新しく出来た賭場が伯爵家肝煎りじゃないかどうかを調べる』だろ」
むしろ天空の果実や他の店舗の存在まで調べてやったのを感謝して欲しいぐらいである。アロルドは「そうだったな」と頷いた。
「ザタナス・ロゼケニー、助かったぜ。これは首領に報告して、多分こっちで潰すことになるだろう。あんたへの依頼はこれまでだ。残り四十キカルのことは無利子になるよう出来るだけ努力してみるよ」
「ああ、是非頑張ってくれ」
他人事のように言って立ち上がろうとした時、それまで黙っていたリーナシエラが「あの」と声を上げた。
「何だよ、シエラ」
問うとリーナシエラはザタナスを見、続いてアロルドに目を向けた。
「ええと、依頼とは全然関係ないんですけど、もし知ってたら教えて欲しいんですけど……」
「何だい、嬢ちゃん、言ってみな。嬢ちゃんにゃよく協力してもらったし、分かることなら何でも答えるぜ」
「ありがとうございます。……私、さっき賭場の近くで女の人を見たんです。その人の声が誰かに似てるな、と思ってずっと考えてて」
リーナシエラは一度視線を落とし、覚悟を決めたように再び顔を上げた。
「多分、お母さ……母に似てたんです。暗くてよく分からなかったけど、髪の色も似てたような気がするし、背も母と同じで高かったし、母はもっとぽっちゃりしてたけど、顔も似てたような」
ザタナスは思わず息を詰めた。リーナシエラの薄い肩を掴む。訝しげにこちらを振り仰いだリーナシエラの瞳から、ザタナスはわずかに目を逸らす。
「……何言ってんだ、シエラ。お前の母親は……」
リーナシエラがきょとんと瞬く。
「だから、もしかしてお母さんの妹とかかなって。私、両親の親戚の話とか全然聞いたことなかったんだけど、ビストレンにいるんだったら会ってみたいし……」
アロルドに視線を戻し、
「その人、髪の毛高めに結い上げてて、肩出しのドレスみたいなの着てたんです」
「シエラ」
「歓楽街のお店のお姉さんみたいだったから」
「シエラ……」
「ハスターならそういうの詳しくないですか?」
「シエラ!」
思ったよりも大きな声が出た。リーナシエラが怪訝な顔を向ける。
「人が喋ってるのに、さっきから何なのよ」
ザタナスは答えあぐねて唇をかみしめた。
先程リーナシエラがザタナスに聞こうとしていたのはこのことか。あの時遮らずに最後まで聞いて、適当に答えておけば……否、何と言われようと連れて行くのではなかった。まさかあんなところで――
「はっ……」
アロルドの声。ザタナスはそちらを見やる。
「はっ、ははははははは!」
顔面を片手で覆い、アロルドは哄笑する。指の間から覗く目は血走り、怒りに打ち震えているように見えた。
「そうか……そういうことかよ、あの売女め!」
リーナシエラが息を飲む気配がした。豹変したアロルドの態度に空恐ろしいものを感じてだろう、ザタナスの方へわずかに身を寄せる。
アロルドが手下の一人を呼び、何事か耳打ちした。手下は「承知しました」と答え、部屋を出て行く。
「よう、嬢ちゃん、いいこと教えてやろうか」
アロルドのにやけた顔に胡乱なものを感じ、ザタナスは剣の柄に手をかける。
「……アロルド・ブロジーニ」
「何だよ、ザタナス・ロゼケニー。俺は事実を言うだけで、嬢ちゃんには知る権利がある。あんたに止める権限があんのかよ」
リーナシエラに向けるものとは打って変わり、剣呑な眼差しがザタナスを射抜く。
「あんたの他にも知ってる奴ぐらいいるだろうに、何で誰も教えてやらんのかねえ」
「……何の話をしてるんですか」
かすかに震える声でリーナシエラが尋ねた。アロルドはにやけた表情に戻り、楽しくてたまらないといった様子で口を開く。
「嬢ちゃんの父親が死んだのは四年前だな」
リーナシエラの肩が揺れた。深紅の瞳は睨むような強さでアロルドを見つめている。
「どうして、私の父のことをアロルドさんが」
「俺以外もみんな知ってるぜ。何せ嬢ちゃんの父親はこの業界じゃ有名人だから……おっと、違うか。有名人『だった』から、な」
これ以上はないほど、アロルドの顔が醜く笑み歪む。
「ティモシオ・マジエストは四年前死んだ」
太く短い指がザタナスを指差す。
「殺したのはそこにいる男、ザタナス・ロゼケニーだ」