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12 金の髪の嘘つき

「待てやコラァ! てめえこのままで済むと思ってんのか!」


 リーナシエラは素直に足を止めた。逃げだそうとした背に叩き付けられたその声に、今まではなかった殺気を感じる。リーナシエラは慎重に男性の方に向き直った。

 途端後悔する。

 男性の右手にナイフがある。

 殺気など気にせず、一目散に駆け去っていれば十分逃げ切れただろうに。

 男性がじわりと間合いを縮める。リーナシエラは右手を握り締めた。剣を抜けば恐らく勝てる。


(でもここで流血沙汰なんて起こしちゃったら、とばっちりがザタナス行っちゃう)


 ザタナスはリーナシエラの保護者であり、人助けにせよ、最初に手を出してしまったのはリーナシエラの方だ。


「さっきまでの威勢はどこ行ったよ? 刃物は怖いでちゅかー、お嬢ちゃん」


 優勢を確信したにやにや笑い。ナイフの間合いまであと数歩。リーナシエラは唇をかみ、剣の柄に手をゆっくりと手を伸ばす。


「こらこら、女の子相手に何やってるの、おじさん」


 若い男声が割って入った。声の出所に目を向けると、年齢はザタナスと同じぐらいだろうか、酒場から出て来たところらしい男が立っていた。若い男はナイフの男性とリーナシエラを順番に見、こちらに歩いてくると自分の背後にリーナシエラをかばった。


「どけよ。てめえには関係ねえだろ」

「関係なくてもナイフ持った男が女の子に襲いかかろうとしてたら普通止めるでしょ」


 ナイフの男性が眉間の縦皺を更に深くした。


「何も知らねえ癖に出しゃばんなっつってんだよ! そのクソガキはなあ……」


 男性の語尾が急速に小さくなった。若い男は先を促すように首を傾ける。


「この子が?」

「……そのクソガキは……」


 男性はあからさまに舌を打つと顔をしかめる。


「とにかく、そのクソガキは俺に恥かかせやがったんだよ。いいからとっととどけ」

「恥ってどんな?」

「てめえにゃ……」

「人に言えないほど恥ずかしいことっていうことか。この子があんたに? 言いがかりじゃないんだろうね」


 リーナシエラからは若い男の表情は見えない。しかし声と言葉は平静そのもので、一方ナイフの男性は憤怒の形相で顔も真っ赤に染まっている。


「ぐだぐだうるせえんだよ! どかねえとてめえから先に沈めるぞ!」


 ちらつかされたナイフに、若い男は軽く肩をすくめただけだった。


「名乗った方がいいかな。僕の名はロルフレート・ケーラー。元王立軍中尉で、今は除隊して傭兵をやってる」


 ナイフの男性が短く息を飲んだのが分かった。構えたナイフが揺らぐ。


「王立軍だと……?」

「ああ。市衛軍じゃないよ。だから強い奴は嫌になるほど見てきた。例えばどんな戦闘の最前線に駆り出されても必ず無傷で帰って来る奴とかね。その僕から見て、あなたはかなり強い。今すぐ入隊しても十中八九上位グループだ」


 リーナシエラはロルフレートと名乗った男を見上げた。当然甘やかな金色の後ろ頭しか見えない。


「……そうか?」


 男性は半信半疑の表情で首をひねる。ロルフレートは大きく頷いた。


「僕があなたに嘘を言って何の得があるんだ? 僕は軍人としては並程度だけど、一応剣の心得はある」


 ロルフレートの腰に目をやると、長めの上着の裾から鞘が覗いている。リーナシエラは改めて彼の背中、腕、それに立ち方を観察した。


(そういえば、似てる)


 ザタナスが何気なく立つと、筋肉の緊張のさせ方や体重のかけ方がこの男と似たような感じになる。元王立軍というのは本当なのかも知れない。

 ロルフレートは軽く両腕を広げた。


「あなたが望むなら精一杯相手を務めさせてもらうけど、多分僕もあなたも無傷じゃ済まないと思う。あなたは強い。僕は並でこの子は弱い。分かり切ったことをわざわざ確認して痛い思いをすることはないと思うんだけど。この子も反省してるようだし」


 手のひらで頭に触れられ、リーナシエラは慌てて頭を下げた。


「ごめんなさい。調子に乗ってやり過ぎました」


 声に出さず三つ数えてから少し顔を上げると、男性は仏頂面でナイフをしまうところだった。


「……分かりゃあいいんだよ、分かりゃあ。おいガキ、今度同じことしやがったら容赦しねえからな」


 男性の言い草を釈然としない気持ちで聞いていたリーナシエラは、ロルフレートに突かれて口を開く。


「はい。……すみませんでした」


 男性はどこか満足げに頷いてからこちらに背を向けた。その背中が通りの突き当たりを曲がったのを見届けてから、ロルフレートはリーナシエラに向き直った。リーナシエラと目線の高さを合わせるように腰をかがめる。


「最後、合わせてくれてありがとう。君、機転が利くね」


 ロルフレートは灰みがかった緑の瞳を細め、微笑んだ。薄暗い中でも瞳の色まで分かるほどの近距離。リーナシエラは思わず一歩距離を取った。


「いえ、あの、ありがとうございました。助かりました」

「どういたしまして。当然のことをしたまでですよ」


 おどけるように言ったロルフレートの笑顔を見ながら、リーナシエラは全然違うな、と考えた。身長や体格、立ち方などはザタナスと似ているが、向かい合うと全く違う。ザタナスは彼のような裏を感じさせない笑い方はしないし、今の場面であれば口から出て来るのは痛烈な皮肉のはずだ。むしろザタナスの場合、リーナシエラがナイフを振りかざされている時に割って入ってくれはしない。自力でどうにかしろ、と笑って見ているに違いない。


「でも君みたいな子供がこんな時間にこんなところにいるのは感心しないよ。君、路上で暮らしてる子(ストリートチルドレン)じゃないよね。家はこの辺なの?」


 リーナシエラは首を振った。


「違います。ちょっと……ええと、待ち合わせしてて」

「待ち合わせ? ご両親と?」

「親じゃなくて、……」


 とっさに否定してしまってから言葉を探す。


「……親じゃないけど、一緒に住んでる人です。私、親いないから」


 ロルフレートの笑みが崩れた。しまった、とでも言いたげな表情になる。


「そうか……ごめん」

「何で謝るんですか? 同じような子はいっぱいいますよ。私は家があってザタナ……一緒に住む人がいるんだから幸せな方です」


 四年前、ビストレン市内で大規模なマフィアの抗争があった。その時にリーナシエラは両親とそれまでの暮らしを失った。今の生活は、金銭面は苦しいし家事は意外と重労働な上に剣の修練もあるし、極めつけに同居人はザタナスだし、とあの頃とは全く違うが、リーナシエラはそれでも幸せだ、と思う。

 しかしロルフレートはゆっくりと首を振った。


「同じような子がたくさんいるからって、君が平気ということにはならない。全く、僕としたことが色々と無神経だったな」


 リーナシエラは反応に困って眉を寄せる。両親を失ったのは悲しく辛いことだが、それについて過剰に反応されるのは苦手だ。


「あの、ロルフレートさん」

「ロルフでいいよ。呼びづらいだろ。そういえば、君の名前を聞いていなかったな」

「リーナシエラ・マジエストです。ロルフさん、私、本当に……」


 気にしてませんから、と続けようとしたリーナシエラは、伸びてきたロルフレートの手に気付いて飛び退いた。


「何なんですか!」

「ごめんごめん、そんなに鮮やかな赤い瞳って初めて見たから、よく見せてもらいたくなって。王后の冠って、見たことないよね? そんなに大きくないけど質は極上って言われてるガーネットが付いてるんだけど、それみたいな色だね」

「そうですか。お母さんと同じ色だねってよく言われたんですけど」

「へえ。マジエストっていう名字もあんまり聞かないし、お母さん、移民か何かだったのかな」


 リーナシエラは首を傾げた。


「さあ、聞いたことないです。でもマジエストはお父さんの方の名字ですよ。確かにうち以外でマジエストっていう人には会ったことないですけど」

「そうか。もしよかったら教えて欲しいんだけど、お母さんの名前と旧姓は何ていうの?響きから出身が分かるかも知れないからさ」

「よくある名前だと思いますよ。リタ・デーネルです」


 ロルフレートは顎をなでる。


「うん、……確かに、よくある名前だね。これだけじゃ分からないな……ごめん、単なる好奇心で、また無神経なことを聞いてしまったね」

「いえ、それはもう大丈夫ですから」


 いやいや、と首を振るロルフレートを見つめながら、リーナシエラは左の手のひらを首筋に当てた。いい人のように見えるけれど、あまりこちらの話を聞いてくれないというのは勘弁して欲しい。

 それに、恐らくザタナスがドルヒに入ってから半時程が経つ。教会の二更の鐘には間があるが、早ければそろそろ帰って来てもおかしくない時間だ。

 リーナシエラがそわそわしだしたのに気付いたか、ロルフレートは腰を伸ばして周囲を見回し、リーナシエラに視線を戻した。さすがに疲れたのか、真っ直ぐ立ったまま、


「そろそろ時間? 何時に待ち合わせなの?」

「二更の鐘までにはってことで正確にいつ来るのかはちょっと」


 上の空で答えると、ロルフレートが軽く眉根を寄せた。


「二更? そんな遅くまでこんなところで待たされてるの?」


 リーナシエラは慌てて言い繕う。


「というか、すぐ戻るけど、二更の鐘までに帰ってこなかったら先に帰れっていうことで」


 ロルフレートの眉が更に寄る。


「二更の鐘が鳴ってから、夜道を一人で帰れって?」


 リーナシエラは内心頭を抱えた。言い繕ったつもりが墓穴を掘ってしまった。


「あの、私、そういうの慣れてるので大丈夫なんです」

「慣れてるって……一体君の同居人は何なの? 夜中の辺縁街を女の子一人に歩かせるって、君が死んでもいいって意味じゃないか」

「えっ……いえ、そうじゃなくて」

「それも頻繁にそんなことさせられてるの? リーナシエラ、君の同居人、今どこにいるか分かるかい? 一言言ってやらないと気が済まない」


 リーナシエラは頭に手を当てた。どうすれば穏便にこの場を収めることが出来るのだろう。


「ええと、今日は仕事の関係で家から遠いんですけど、いつもはもっと近いところなので、そんなに危なくないんです」

「夜中に一人で歩いて危なくない子供なんて、マフィアの首領の子供でぎりぎりじゃないか? ……いや、逆に危ないか」


 疑わしい表情に変化はなかったが、ロルフレートは一度首を傾け、頷いた。


「とにかく。君みたいな子が夜中に一人歩きなんて以ての外だよ。今日は僕が家まで送るから」


 リーナシエラは自分の耳を疑った。ロルフレートの言葉を三度反芻し、顔を上げる。


「そこまでしてもらう理由はないです。それにうち、ワイト地区だから遠いですよ」

「女の子が犯罪の餌食になるのをみすみす見逃すわけにはいかないでしょ。ワイト地区なら尚更ね。知らない? ワイトはビストレンで一番治安が悪いんだよ」

「……うちの周りはそうでもないんですけど」

「それは今まで運がよかっただけ。被害に遭ってから後悔しても遅いんだよ」


 リーナシエラは唇を引き結んだ。かくなる上は、と拳に力を入れる。あまり使いたくなかったが、最後の手段に出よう。


「……あの、ロルフさんが悪い人じゃないって証拠はあるんですか? 送ってもらってる途中で、その剣で斬られちゃうかも知れないし」


 助けた子供に悪人呼ばわりされたロルフレートは、怒る風でもなく、頭をかいた。困ったように眉根を寄せる。


「うーん、それもそうか。昔は王立軍にいたけど証明するものはないし、第一今は流れの傭兵だからなあ。さっき助けたのに免じて信じてもらうしかないんだけど」

「私だって信じたいですけど、被害に遭ってから後悔しても遅いって言ったのはロルフさんです。それにロルフさん嘘つきじゃないですか」


 ロルフレートは目を丸くした。


「嘘つきだって? 僕は君に嘘をついた覚えはないよ」

「さっき、あの男の人に強いって言ったのは嘘ですよね。ロルフさんの方がずーっと強いと思うんですけど」


 言うと、リーナシエラを見下ろす灰緑の目がほんの少しすがめられた。殺気というほど強くはないが、先程までの穏やかな瞳とは種類が違う。


「そう言う君も、もしかして結構やるのかな? 背負ってるそれ、はったりじゃなくて本物?」


 どう返すべきか、答えあぐねて黙っていると、ロルフレートは小さく笑った。


「助けたのも大きなお世話だったりしてね。そうすればこんな嘘つきと関わり合いになることもなかったんだし」


 リーナシエラは唇をかみ、ロルフレートを見上げる。


「ロルフさん……」


 リーナシエラが先を続ける前に、ロルフレートが声を上げて笑った。


「はは、ごめんね、変なこと言って。少し動揺したんだ、年齢と容姿に惑わされて目の前に立ってる人間の実力も量れなかったのかってね」

「ロルフさん、さっきのは本当に助かったんです。自分じゃあの人をあれ以上傷付けないで切り抜けられなかったし」

「僕の方も言わせてもらうなら、あの時はあの男をおだてた方が穏便に片が付くと思ったからああ言ったんだよ。僕はあの男より強いし、王立軍だったらあの男は底辺だから、つまりは嘘なんだけどね」


 リーナシエラは肩を落とした。


「……ごめんなさい」

「いいよ、別に。ところでリーナシエラ、何で剣二振りも持ってるの? 二刀流?」


 リーナシエラは首を振り、ザタナスの剣に触れる。


「こっちは預かりものです、剣の師匠からの」

「例の同居人?」


 リーナシエラが首肯すると、ロルフレートは「なるほどね」と言って頷いた。


「リーナシエラ、君が普通の女の子じゃないっていうのは分かったけど、やっぱり送らせてもらえないかな。でなければ君の同居人が戻って来るまで一緒に待たせて欲しい。表通りの人通りが多いところにいれば、君なら僕に殺されたりしないだろう?」


 それはどうだろう、とリーナシエラは曖昧に笑う。ロルフレートの実力は正確には分からないが、リーナシエラが少しでも隙を見せれば一刀のもとに切り伏せられてしまうような気もする。

 とはいえ、問題はそこではない。


「ええと、申し訳ないんですけど、師匠が戻って来た時に知らない人と一緒だと、ちょっと……」


 知らない人間に声をかけられてもついて行くなと言い含められている。それにロルフレートと知り合った経緯を話せば、もめ事に首を突っ込んだこともばれてしまうため、リーナシエラは両の手のひらを肩の高さに掲げて後ずさる。


「大丈夫大丈夫。君も知ってるでしょ、僕は嘘とか誤魔化しは得意なんだ。君の不利にならないように言い繕うからさ」


 ロルフレートの陰りなき笑顔に、これ以上あがく気力が失せ、リーナシエラは天を仰ぐ。こんなことなら、さっき「本当に助かった」などと取り繕ったりせず、さっさと背を向けてしまえばよかった、とリーナシエラは密かにため息をついた。

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