パンツを育てる人
初のエッセイ小説です。面白いといいな。
ある日、洗濯物を干している最中の母が「捨てた方が良くない?」と独り言を言った。
思わず出たといった感じで、無視をしても良かったのだが、今聞かなかったら心残りになる可能性があると判断した娘のわたしは、母に尋ねてみることに決めた。
こういう独り言から始まる話は、『くだらないが面白くなる可能性が高い』という統計がわたしの中では取れているのだ。
どうしたの?と短くわたしが尋ねると、母はいやぁそれがさ、と話してくれた。
「パパのパンツさ、触ってみたらペラペラでさ」
「そうなんだ」
家ではよくある話だったが、なんとなく続きを聞きたかったわたしは、話の続きを促す。
「よく見たら擦り切れそうな感じだったんだよ。でも勝手に捨てたらパパは怒るかなぁって」
ちなみに、うちの父は全く怒らない人物である。わたしは父が怒っているところを一度も見たことがない。母が勝手に父のオヤツを食べて、それを母が自白したのを見たとき、父は「食べていいよ〜」とこころよく差し出していた。
他にも、買ってきたオヤツを娘のわたしやわたしの兄、そして母の分の三等分で分けて、父の分は分けずに三人で食べるなど、父が不満をあげても許されるようなことをしても、父は怒らない。
なんなら、美味しかったなら良かったねぇ〜と言わんばかりにニコニコする。もうおじさんという年代なのに、とても可愛らしく見えるのだ。背もあるし、白髪もあるし、しわもある。だが父は可愛いおじさんだ。
そんな温厚篤実という四字熟語そのもののような父が擦り切れたパンツ一枚ごときで怒り狂うはずがない。
おそらく一般的な反応を考えて発言したのだろうが、うちの家族は一般的とはとても言えない。
「いや、パパは怒らないと思うよ」
「ああ、そうだよね。やっぱり」
「でも捨てたらちょっとしょんぼりする可能性はあるかも」
「確かに」
母は言う。
パンツは何回も履くと生地が柔らかくなって尻にフィットする、と。
そうなってからの方が履き心地が良かったりする、とも。
「そんな経験、あるでしょ?」
「ある」
わたしは即答した。
検討する余地もない。すでに決定事項だ。
「捨てたらさ、せっかく育ててたのに、って言われるかなぁ?」
「デニムの話かな?」
ズボンはパンツと表記することもある。デニムもズボンで、ズボンということはパンツである。
今回は下着のほうのパンツだが。
デニムには『育てる』……つまり育成を楽しむ人がいると聞いたことがある。
具体的には『糊落とし』やら『たくさん履く』やら『頻繁に洗濯』など、経年劣化を促すことで世界に一つだけのデニムを作るとかなんとか。
デニムだけでなく、パンツを育成する人もきっと一定数いるだろう。
それが父だっただけのことだ。きっと。
「パンツからデニムの話になっちゃったね」
「そうだね」
結局、父のパンツは捨てずに干すことにした。
今後も、履いては洗濯をするというサイクルをくりかえすのだろう。
デニムのように、世界に一つだけの己のパンツを作り出すために。
これから父を見る目がなんとなく変わりそうだ。
──ああ、この人はパンツを育てる人なんだ、と。




