19 約束
デルフィーネ
会いたい
ストレッロ
◇
デルフィーネは心配になってしまった。
こんなに短い文面の手紙は初めてだった。バレーノのもとで暮らし始めてから3週間が経つ。その間、毎日手紙のやりとりをしていたけれど、たったひと言なんてこれまでありはしなかった。
壊れかけている。
きっとストレッロはなにかしらの理由で壊れかけているのだ。
任務がうまくいかなかった?
それとも私がここにいるから?
「会いに行かないと……でもあと5日あるし……」
どこかで密かに待ち合わせをしようか。
いや、自分が出掛けようとするとバレーノが付いてくるに違いない。行く理由を察してか、あるいは知らずか、どちらにせよバレーノはやはりデルフィーネをひとりで行動させたがらない。
ストレッロはおそらくふたりで会いたいという意味なのだ。他の誰かがいたら意味をなさない。
どうしよう。
デルフィーネは手紙を鞄にしまい、ドアの前で任務中の体の大きなムッカを見上げて問うた。
「ムッカさん、ご相談が……」
「なにか」
「ストレッロが……どうやら限界のようなのです。なにか、どうにかしてあげたいのですが、どうしたらよいでしょうか」
彼は表情に乏しい。
むっすりとした感情の起伏のない目で見下され、やや待った。
「話すのが最も効率的です」
それはわかっている。
それができないから困っているのだ。
「しかし、どうやって……」
「話せばいいのです」
「でも国王陛下が会うのは許さないって……」
「会うという言葉は『顔を合わせて対面する』の意味です。陛下が禁じたのは会うこと。顔を合わせなければ、会うという言葉を満たしたとは言えません」
どうやら本気で言っているようだ。
デルフィーネはムッカが言わんとしていることを理解しつつも、首を捻ってしまう。
「……それはなかなか屁理屈というか……。いいものなのでしょうか?」
「法の網を掻い潜るには、そういった言葉尻をうまく利用するものです。お手紙を発送するのは明日の朝になってしまいますが、ひと言やふた言で済むような伝書鳩ならたちまち届きます。鳩を使いますか?」
ストレッロにしてもらった親切の数々を思い起こす。そして彼の愛の深さも。彼には恩を返さなければならない。
「お願いします」
デルフィーネは急いで紙の切れ端に用件を書き記した。
◇◆◇◆◇◆
窓越しにお話しましょう。
今夜、待っています。
それだけのメモを受け取ったストレッロは、デルフィーネがルールを破るような子ではないはずなのにとにわかには信じがたかったけれど、どうやら話すという表現になにかしらの含みがあって、会うとはいえない曖昧な部分を責めた逢瀬なのだとなんとなく察しがついた。
ストレッロはぼろぼろだった。
狂ったように鍛え続けても気絶できない強靭な体の中にある頭と心は常にデルフィーネを求め続けていた。
喉の渇きにも似ていた。
ある意味では空腹とも。
なにをしていても満たされず、不安に追われ、なにかをしていなければ落ち着かず、でも満たされず、眠れず、食事も喉を通らず、ついに今まで着ていた隊服が合わなくなるほど体型が変わってしまっていた。
その仕立て直しさえする気力が湧かず、ストレッロは常にぶかぶかの服を着て徘徊するように力なく歩くようになっていた。
国王陛下でさえその変貌ぶりに驚愕し、言葉を失うほどで、あのティグレーがストレッロのために医者まで呼んでやった。
医者に処方された薬も一包も飲む気になれないのに。
デルフィーネ。
会いたい。
戻ってきてくれ。
どうやってバレーノの小屋まで来たのだろう。
過程を全く思い出せない。それでも暗闇にぼんやりと姿をうつす小屋が見えてきて、ふらつく足で歩み寄る。
この香り──。
遠くからでもわかるこの香り。
窓が開いているのだとすぐにわかった。
窓の前に立つと、香りがぐっと強くなる──
「こちらを見てはいけません。会ってはいけないのですから」
デルフィーネの声がした。小さな声だ。誰にも知られぬようにと声を細めている。すぐ近くで聞こえる。
その姿を見たかった。けれどなんとかくるりと姿勢を変えて、窓に背を向ける。
「大丈夫ですか」
そう問われ、そんなはずがないだろうと力なく笑った。
首を振るだけで精一杯だった。
「あと少しです。あと少しですから」
本当に?
本当にあと5日でこの地獄が終わるのか。
もしかして永遠に続くのじゃないだろうか。
もしその結果になったら、戦場の最前線に立ち続けて、勝利を収めたあとで名誉の戦死を遂げよう。それ以外に自分に残された道は──いや、デルフィーネ以外に自分が選ぶ道があるとしたら、その道しかなかった。
「帰ってきてくれ」
やっと言えた。
背後でデルフィーネが困った気配がした。
デルフィーネの喜怒哀楽が乾いた身体によく伝わってくる。
「ですが国王陛下のご命令が……私にはどうすることも……」
「わかっている。違う。そうじゃない。5日後に、帰ってきてくれという意味だ」
やや、間があった。
困惑。
まさか、もう答えを出しているのだろうか。それを打ち明けようとでもしている?
「え……帰りますけど……どういう意味でしょうか。帰ってくるなという命令でも……?」
「違う。バレーノのところではなく、俺のところに戻ってきてくれという意味だ」
服の擦れる音。
首を傾げたのだ。
「戻りますけど……」
目をぱちくり。
俯いていた顔をあげる。
見渡す限り自然が広がる敷地が、先よりもなんだか明るくなった気がした。
「戻ってきてくれるのか?」
「え、ええ……? だって戻ると約束をしましたし……私たちって婚約したのでは……?」
「バレーノを選ばないのか? ここのほうが楽しく暮らせるだろう? 貴族の嗜みも学ばなくていいし、マナーもルールも気にしなくていいし。服も動きやすいし、化粧もしなくていいし」
「確かに気楽には暮らせますけど……」
「それでも戻ってきてくれるのか?」
「はい……? それを心配してたのです?」
「当たり前だ──」
そこまで言って、ふわりと香りに包まれた。
窓から身を乗り出したデルフィーネが抱いてくれたのだった。顔を見ようとして、慌てて前を見据える。
「こんなに痩せてしまって……私よりもストレッロがよく食べないと」
「……なにも味がしないんだ。デルフィーネがいないから」
「すぐに戻ります」
「迎えに来る。朝一番に」
「わかりしました。ムッカとガットと共にお待ちします」
「ありがとう。ありがとう、デルフィーネ」
それからしばらくの間、抱かれていた。
そのまま抱かれていたかったけれど、デルフィーネの腕の冷たさを察して諌めた。
「もう窓を閉めて寝てくれ。体を壊してしまう
「明日から朝食をたくさん食べると約束してください」
「……わかった。デルフィーネのために努力する」
「お願いします」
そうして、かなり努めてデルフィーネの腕から離れた。
振り返りそうになって、耐える。
なんとか歩を進め、その場を離れることに成功した。
王宮に着くまでの記憶は鮮明に残っていた。




