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17 星空を瞳に焼き付けて


 ストレッロ


 そういえば、あなたに手紙を書くのは初めてですね。

 字はどうでしょうか。

 うまく書けるようになったでしょう?

 もちろんまだまだ練習が必要ですが、見るに耐えない文字ではなくなりました。


 今朝も早くから訓練をしているのですか。

 あなたは特に自分に厳しい人ですから、無理をなさらぬようにお願いします。


 こちらは空が広いです。

 風の音がよく聞こえます。

 風がまるで姿の見えない妖精たちのように、私の洋服にまとわりついて遊んでとせがむのです。


 あなたを想って一針一針をうちました。

 ハンカチを同封します。


 いつもあなたの傍に。


 デルフィーネ



 ストレッロはデルフィーネからの手紙を素早く最後まで読んで、それからまた最初に戻って、今度はゆっくりと噛みしめるように何度も言葉を受け止めた。

 敢えてバレーノの話題を記さなかったのは、きっとデルフィーネの配慮であった。

 手紙からデルフィーネの香りが僅かに漂う。


 会いたい。会いたい。


 それにしても、ああ、腹立たしい。

 今この香りの傍にいるのはバレーノだ。


 自分ではない他の男。


 同封されていた紺色のハンカチは、ストレッロの瞳と同じ深い赤色で唐草に囲まれた剣が刺繍されている。

 彼女と同じ控えめな刺繍であるものの、丁寧な仕上がりだった。


「あと28日……」


 狂いそうになる。

 他の男と共にいるということ、そしてなにより、デルフィーネの心が奪われてしまうかもしれないという焦燥と不安の塊が胸の中でどんどん成長して重くなりつつある。


 デルフィーネは平民だ。

 王宮で暮らすよりも、バレーノとの生活のほうが馴染みがあって、過ごしやすいだろう。

 もしも、バレーノと生きると言われたら──?


 ──殺す? バレーノを?


 いや駄目だ、それは絶対に駄目だ。

 デルフィーネを困らせてしまう。

 デルフィーネを傷付けてしまう。

 自分がバレーノを選んだから、結果的にバレーノを死に追いやったと自責の念に駆られてしまうだろう。

 それは避けなければならない。


 デルフィーネに傍にいてほしいが、恐怖によって縛る関係ではいたくない。

 彼女が望み、心から幸せであると思う関係を築いて一生を優雅な暮らしを送らせてあげたい。


 そこでふと気付く。


 自分は、バレーノを殺すこと()()になにも感情を抱いていないのだ。

 殺したらデルフィーネがどう思うか、デルフィーネとの関係がどうなるか、デルフィーネとの未来がどう狂ってしまうか──それしか考えていなかった。


 ああ、もう既に狂っているのか。

 (つがい)を見つけた時点で、出会ってしまった時点で、自分は完全に狂ってしまった。


 自覚すると、(つがい)とは恐ろしいものだなと心底思う。

 彼女の人生を捻じ曲げ、自分の感情が彼女を軸とするものに変わる。


 (つがい)との出会いは、幸福と不幸の紙一重の間にある。


 ストレッロはハンカチをポケットにしまいながら、返事をするためにペンを取った。



◆◇◆◇◆◇



 デルフィーネ


 ハンカチをありがとう。

 美しいハンカチだ。常に持ち歩くことにする。

 

 寒くないか?

 空腹ではないか?

 体調はいいのか?

 デルフィーネの体と心が一番大切だ。

 何事もなく帰ってきてくれ。

 風とばかりではなく、俺とも庭を歩いてくれ。


 待ってる。


 ストレッロ



 デルフィーネを手紙そっと鞄へしまった。

 言葉少なだけれど、ストレッロが今か今かとデルフィーネの帰宅を待っているのが伝わってくる。

 早く帰ってやらねばならない。

 彼が廃人になってしまうから。


「おーい、デルフィーネ! 味見してくれねえか? なんか味が決まらねえんだよなー!」


 キッチンから声がする。はーい、と間延びした返事をしながらいそいそと部屋を出ると、鍋をお玉でかき混ぜながら困ったように眉根を寄せるバレーノに駆け寄った。

 野菜たっぷりのシチューだ。

 バレーノの横からスプーンで少し掬い、ふー、ふー、と息を吹きかける。

 ぺろりと舐めると、確かに味がぼんやりしている気がした。


「うーん、充分美味しいけど」

「もうちょい整えてえな。塩かな?」

「うーん……胡椒や山椒でもいいような」

「あー、それあり。ブラックペッパーいれてみよう。確かあるわ。混ぜてて」


 ほい、と渡されたお玉で鍋を混ぜる。

 自給自足の野菜は切り方が大きく、ムッカとガットが苦労してスプーン1本で食べている様子が目に浮かぶ。けれど、よく煮込むからこの大きさのほうが食べ応えがあっていいんだと固辞するのも目に見えていた。

 がさごそと棚からそれらしい瓶を取り出してくると、数振りブラックペッパーを鍋に落とす。


「よし、これでいっか。」


 と、傍らにあったスプーンを持ち上げてシチューを掬う。そして口に近付けたところで──。


「あ、それ私が使ったやつ」


 気付いてしまったことを伝えると、バレーノは思い切りシチューを吸い込んでしまったらしかった。


(あつ)ッ! あっつ!!」

「あわわわわわ大丈夫!? み、水でいい? 水! はい、飲んで!」


 慌ててコップに水を汲んで手渡すと、ごくごくと音を立てて飲み干したバレーノ。口端から溢れた水を手の甲で拭いながら、恨めしそうにデルフィーネを見やった。


「もう少しタイミングってもんを考えろよな……」

「こんなに驚くとは思わなくて」

「驚くに決まってんじゃねえか! あんたと間接キ──!」


 そこまで言って、はたと気恥ずかしさに気付いたらしかった。口を噤んで、ふんっと鼻を鳴らして鍋へと顔を向けてしまう。


「とにかく! 夜空を見に行こうぜ! オレが星座を教えてやるよ」


 ふと円卓を見ると、サンドイッチの詰まった藤のかごと、芝生に敷くための小さなカーペットが用意されていた。

 寸分の隙もなく任務に邁進するガットをちらりと見ると、言っても聞かないのだと目顔で訴えてくる。護衛に心から同情した。



「あれがオレ()。あぐらかいてんの。あれがデルフィーネ()。手紙を書いてんの」

「バレーノの適当さにお見逸れするわ」


 ははっと笑うのは隣で寝そべるバレーノ。

 ふたりは敷地内の芝生にカーペットを敷いて、サンドイッチとシチューをたらふく食べ、満腹が少し和らぐまで寝転んで空を見上げていた。護衛のガットは気を利かせて静かに傍らに座ってくれている。気配を隠すのも得意なようで、常に近くにいるのにあまりそれを感じさせない。


 バレーノが星をいくつか指差した。


「あれはガット()。怒った猫みたいに毛を逆立ててんの」

「なんだと?」


 とガット。

 そんな反応をするガットを横目に、さらに悪戯するみたいにこそっと耳打ちしてくる。


「ちっせえけどすばしっこいんだ。」

「貴様、斬られたいのか!」


 なんだかんだ、バレーノは人と打ち解けるのがうまい。

 そして不思議と憎まれ口も憎めないのが彼の魅力のひとつだった。真面目で愚直で努力家のストレッロとは正反対である。彼は今でこそ人から慕われてはいるものの、打ち解けるのに時間を要するタイプだ。


「あれはムッカ()。のっしりとした雄牛で、でけえ角がはえてんの。ほら、似てんだろ?」


 問われたガットは、最初は応じなかったくせに誘惑に負けたのかちらりとだけ星を見て、ぷっと笑いそうになって慌てて顔を引き締めた。

 その様子を見て、バレーノがけけけと笑う。

 存外、仲良くなれるのではなかろうか、このふたり。


 穏やかな夜だ。

 どこからも喧騒はなく、どこからもマナーを窺う視線がない。


「なんでオレがこんな生活してるか教えてやるよ。みーんなが知ってるけど、みーんなが知らないふりしてること。な? ガット?」


 ガットは今度こそ無視をした。 


 それは、自分はこれから明かされる事実を知らないし、聞いてもいないし、同意もしないという意思表明も含まれているに違いなかった。


 そしてそれからはバレーノは訥々と語った。


「オレは国王の弟の息子ってことになってるけど、本当は国王がオレの母ちゃんを無理矢理孕ませて産ませた正真正銘国王の息子。つまり王子ってわけ。本当はね。


 でもそれを認めると、本物の王妃から産まれた愛する王子であるストレッロ達と継承争いをしなくちゃならねえ。しかも残念ながら、父ちゃんの体のせいなのかオレ以外に母ちゃんには子どもはできなかったし、父ちゃんは国王の暴君ぶりを見て見ぬふりをしてオレを息子として育てた。


 だからあいつ、オレに強く出られねぇわけ」


 ばーか。と言った彼の横顔は笑っているのにどこか切なかった。

 後頭部で手を組んで、にやけた顔で物を言う彼はどこか荒んでいる印象を受ける。


「父ちゃんも母ちゃんもオレには激甘。ひとり息子だもん。そりゃ甘やかすわな。……いや、ご機嫌取りかな。母ちゃんは暴行された証拠のオレを愛してはくれなかったし、父ちゃんも他の男との情事の証を心から可愛がってはくれなかった。


 加えて国王も不貞を働いた結果の息子にはたじたじ。

 そんで好き勝手やってたらさ、素行に問題ありで除籍。月に一度の仕送りはしてやるから、ここでひとりで生きろだとよ。つまり体良(ていよ)くオレを追っ払えてラッキーって感じなんだよ、あいつ。」


 ま、ここの暮らしはオレに合ってて気に入ってるけどね──という言葉は嘆息とともに吐き出された。


 言葉は風に乗って静かに消えていく。


 ふむ。とデルフィーネは考える。

 果たしてこれは真面目に受け止めて慰めてやるべきなのか?

 きっと本当の過去を言っているのだろうけれど、辛気臭いのもなかなか苦手だし、どうにも彼にはその慰めかたは合わない気がする。それに自分は政治には素人だ。貴族の暮らしも、王族のなんたるやも知らない。

 事情を知らない素人がいかにうまく優しく取り繕った言葉を並べたって、それは彼の心には響かない薄っぺらなもの。


 デルフィーネは空を見上げて、星をいくつか指差した。


「あれ。あそこの星と、あの星と、あの星。と、あれとあれとあれとあれとあれ。こっちとこっちとこっちとこっち。そっちとそっちとそっちとそっち」

「多すぎじゃね? そいつらがなに?」




「わたしたち()


 バレーノの横顔を窺いながら言うと、はっと息を呑んでバレーノがデルフィーネのほうへ顔を向けた。


「私たちがふたりで荷車を引いてるところ」


 バレーノはなにも言ってくれずに、ただデルフィーネの瞳だけを見つめてくる。

 なんだか気障ったらしいことを言ってしまった気もするけれど、後に引けないからとりあえず思ったままを告げた。


「裏切られる気持ち。よくわかる。とても辛くて、苦しくて、今までのすべてが嘘で、嬉しかった過去の態度も言葉も思い出もなにもかも疑ってしまって、信じなければよかったと後悔する気持ちなら、よくわかる。


 裏切られた者同士、助け合おう。


 また荷車を一緒に引きに来てあげる。積荷はたくさんの牛乳でもいいし、薪でもいい。狩った獲物でもいい。何往復でもしてあげる。がたごと、がたごと音を鳴らしながら。ふたりでなら辛くないよ」


 結局、なにが言いたかったのだろう。


 一生を傍にいて支えてあげるとも言えない自分の立場で、最大限、自分は味方であることと力になることを伝えたいのに決定的な言葉は使えなくて、デルフィーネは頭がぐるぐるするまで考えたけれどなにも思い浮かばなくなってしまった。


 だから、えーと。と詰まっていると、バレーノの手が伸びてきて、そっとデルフィーネの頬を包んだ。

 星空を映してきらめくバレーノの瞳。

 ストレッロに比べると長い髪がゆらりと揺れる。


「ガットがいなかったら絶対(ぜってぇ)今ここでキスしてる」


 えっ。と驚いたデルフィーネを引き剥がしてくれたのは、もちろんガットだ。


「騎士生命を賭けて全力で阻止する」


 ガットの本気の瞳を見て、デルフィーネとバレーノはまた笑った。

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