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16 懐かしい生活


「おーい、デルフィーネ! 紐を受け取ってくれー!」

「はーい! 投げてくださーい!」


 ほれ、と投げられたロープがふわりと空で弧を描く。デルフィーネが片手で掴み、輪を作って荷台に引っ掛ける。

 荷車である。

 馬はおらず、人力で荷台を引く小さなもので、乗せられているのは3人分のダイニング用の椅子と、布団だ。落ちてしまわぬようにバレーノと固定する作業をしている。


「奥さんが来てくれてよかったよー! ひとりでぐうたらしてんだから、この人ー!」

「まだ結婚するかわかんねえの! プロポーズの答え待ち!」

「逃がしちまったら一緒に飲み明かしてやるよ!」

「酒は持ってきなよー!」

「うるせえ! 椅子ありがとなー! 来月返しにくるから!」

「はいよー!」


 そんなやりとりが、椅子を譲渡してくれた家の住人となされている。老夫婦だが、よく日に焼けていて活発な人柄と生活が垣間見えた。


(近所とは?)


 広大な敷地のそのまた向こうに建てられたこの家にくるまで、デルフィーネは果たしてどのくらいの時間を歩いたのかを覚えていなかった。

 日が暮れるほどではないにしろ、朝に出て1時間は経っている。


「うわ、借りすぎたな。デルフィーネも一緒に引いてくれるか?」

「もちろん──」

「なりません。デルフィーネ様がお怪我をされてはいけませんので」


 と、割って入ったのは護衛のひとりである。名前はガット。髪はくせ毛で色素の薄い茶色。猫目のように釣り上がった瞳は大きく、心なしか虹彩が紡錘形である。体格は小柄だが、人一倍警戒心が強そうだった。

 護衛は交代で休みを取ることにしているらしく、常につくのはひとりとなった。今は家でムッカが寝ている。ムッカは無口だけれど体が大きく、迫力満点の騎士である。雰囲気を見れば、彼も隊長に匹敵しそうな物々しさがあった。


 ガットは猫目でバレーノを牽制する。

 擁護に回った。


「大丈夫ですよ。私も平民ですから、このくらいのことは日常的でしたから。それにバレーノ様おひとりだと、本当に日が暮れてしまいます」


 言うと、うんと長い時間を考えてから、ようやく手袋をすることを条件にガットが引き下がってくれた。ガット自身が引いてやりたい気持ちは山々だが『護衛だからすぐに剣を抜ける状態にいないと──』という葛藤が見え見えである。

 バレーノとふたりで並び、荷台を引いた。


 肩が触れ合う距離だった。

 重いが、必死になるほどではなかった。


 バレーノが隣で言う。


「敬語はなしにしようぜ。平民同士で敬語なんていらねえし」

「わかり──った」


 笑い声が少し上のほうから聞こえた。


「そこはちゃんとわかったって言い直せよ。実は面倒くさがりか?」

「いーえ」

「あと、様もなしな。ここらへんじゃ、オレが王族だったってことも知られてねえんだ。ただの放浪者。やたらデカい敷地を貰った、いいところの次男坊くらいの認識なんだよ」

「わかり──わかった」


 はは、と隣でまたバレーノが笑う。

 貴族らしからぬ、歯を見せた笑い方。それを隠そうとも、照れるともしない元王族(へいみん)のバレーノ。


 素行に問題あり、とはどういうことなのだろう。

 説明がされなかった──つまり、あまり踏み込んではならない領域なのだろうか。

 自分からは聞かないほうがいいのだろう。


 バレーノが思い出したように言った。


「帰ったら芋を蒸してくんねえか? オレがサラダとか煮物作るから」

「わかった。でも、芋だけでいいの?」

「えっ。料理できんのか?」

「難しいのはちょっと」

「上等、上等! 今日はゆっくりしてさ、明日、飯屋に連れてくから! 朝飯食いすぎるなよー。安くて多くて美味えんだ」


 ふと横を見ると、バレーノの喉が揺れて、笑い声を奏でている。


 彼の声は、清々しかった。

 自由で、軽やかで、遠くまでよく通る。

 ストレッロとは真逆の人──。


 ストレッロへの手紙になんて書こう。


 ふたりで荷台を引きました。

 布団を敷きます。

 久しぶりに芋を蒸しました。


 自由になった気がしました。


 デルフィーネは首を振る。

 だめだめ。

 そんなことを書いたらストレッロはまた怒り狂って誰かを傷付けてしまう。

 ストレッロが喜び、ストレッロが安心する文を考えないと。


 悩むデルフィーネの横顔を、バレーノが見つめているとは知らずに小石に突っかかって膝をついた。


 ガットがぎゃあ! と猫の悲鳴よろしくデルフィーネの代わりに青ざめてくれたが、怪我はしなかった。

 きっとガットたちも、デルフィーネを無事に帰すためにやきもきしているに違いない。


◇◆◇◆◇◆


 寝坊した──窓から差し込む光が眩しく、早朝ではないと知る。瞬時に悟るというには、理解に時間が掛かった。

 そんなまさか、早速?

 デルフィーネはばたばたと着替えて乱暴に髪を結び、ドアの前で任務を全うしてくれているムッカに挨拶と詫びを入れ、すぐに顔を洗いに向かった。

 王宮にいた頃の数百分の1ほどの手間と時間で身支度を整え、どうせデルフィーネが走り回っていた音や姿は見えていたであろう直近のダイニングに顔を出す。


 小さな円卓にバレーノはついていた。

 デルフィーネを今か今かと待っていたのか、満面の笑みでデルフィーネを迎える。

 悪びれながら謝った。


「寝すぎちゃった……」

「別にいいだろ、そんなの。疲れてたか、ここがよっぽど気に入ったんじゃねえの?」


 どきり、とする。確かに、平民の生活は慣れ親しんだものだ。それに、あれほどごった返していた人がここにはほとんどいない。静けさの中で、誰の目も気にせず、なんのマナーも気にせずに眠りにつけたのはバレーノの言うとおり安心できた。

 返答に窮していると悪戯にバレーノが笑った。


「なんてな。行こうぜ! 朝飯なし! 店へ直行! ロバで行くぞー! 護衛のロバも用意したから! 留守番の護衛のぶんは美味えもん持って帰ってきてやるからなー!」


 と、眠っているであろうガットの部屋に向かってバレーノは言いながら、デルフィーネの手を掴んで引く。


「触れるな」


 とは、ムッカである。

 言葉少なに、目、顔、体の3つで覇気を出しまくるムッカはバレーノよりも頭ひとつ分は背が高い。

 そのムッカに睨まれているとて、バレーノは気にしないようだった。


「平等に過ごせと命令じゃねえか。 ストレッロだってどうせこのくらい触ってたんじゃねえの? 差別されたって騒ぐぞ?」


 ムッカに対する威嚇は、さすが元王族の片鱗が見て取れた。

 臆さず、怯まず、目をぎらつかせて見据える。

 しかも、騒ぎを起こす相手はきっと国王陛下だ。バレーノに対する陛下の甘さを見るに、騒がれたらよくないことはムッカも理解している。

 ムッカは返事に困った。

 既にバレーノは意識を次に向けていた。


「デルフィーネはオレと一緒な」

「同じ馬に乗ることは許さな──」

「じゃああんたがデルフィーネと乗るか? ロバは2頭しかいねえんだ。()()()()()()()()()()()()()ぞ?」


 またムッカが固唾を呑んだのは、その事実を知ったら誰の逆鱗に触れるかを察したからだ。

 ここにはいない、権力も腕力もあるあの人。


 無言を受け止めて、バレーノはもう構わなかった。

 ムッカにも食い下がる材料はなく、仕方なしに後を追ってくる。


 可哀想に。

 本来ならばストレッロの指揮のもと、誉れ高き任務についていたはずなのにこんな仕事に指名されてしまって、可哀想。


 デルフィーネは横目でムッカを窺いながら、なにか詫びの品でも買ってやらねばならないと思った。(ただし、リボン以外の)

 バレーノは器用にロバの蔵に自分とデルフィーネを跨がらせ、手綱を取る。


「走るぞー。あんたぁ、付いてこいよー!」


 付いてこいというのはムッカに対して向けられたものだった。ムッカは返事もせずに、慣れた手つきで手綱をとる。体の大きさに対してあのロバはやや可愛すぎる気もするが。


 バレーノが腹を蹴ってロバを走らせ始める。案外速い。


「馬よりチビだろ?」


 しばらく走って慣れたところで、耳元でバレーノが言う。

 気遣ってくれたのだとわかった。

 背の高い馬に乗るより、ロバのほうが怖くないだろうというデルフィーネへの思いやり。


「あとでブラッシングしてやってくれ。こいつはブラッシング好きで、それが褒美になる」

「今日この子と初めて会ったのに平気? 嫌がらない?」

「オレも一緒にいるから。大丈夫。こいつもあんたの気持ちを察してるから。なー? そうだろー?」


 バレーノがロバの鬣に声をかけると、ぶるると鼻を鳴らして返事をした。


「ほらな?」


 と、してやったりの顔。

 デルフィーネは目を細めて疑いをかけた。


「えー? 今の否定したんじゃない? 初めての人間は嫌だ、って」

「ちっちっちっ。甘いな。ペットは飼い主に似るって言うじゃねえか」

「……つまり?」


 これを持ってろ、と手綱を渡されて、慌てて両手で握り締めた。

 なにをするのかと思いきや、雑にまとめた髪を器用にロバに乗りながら直してくれているらしかった。結びをほどいて、髪が落ちて、バレーノの指で梳かれる。


 丁寧な手つきでまたひとつに結ばれる。


「あんたを嫌うはずがねえってこと」


 ちゅ、と音がしたのは、どこに唇が触れたのだろう。

 わからなかった。

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