15 地獄の始まり
翌日になって、荷造りはデルフィーネが自ずとやることなく、従者たちの手により着々と進められた。あれよあれよとストレッロが集めてくれた美しい服やドレスが立派な鞄に畳まれ入れられていく。
ストレッロの金で用意されたものを他の男の家で過ごすために持って行く。
自分だって複雑な気持ちになるのだから、デルフィーネを番と感じているストレッロの心境といったら──ちらりと横に立つストレッロを見ると瞳が轟々と燃えているのが見て取れた。
そしてその拳の戦慄きも。
また血が滲んでしまう。
「ストレッロ。傷が開きます」
「──無理だ、耐えられない」
答えになっていない呟きだった。
準備を見守るデルフィーネの横で、ストレッロの体は強張っている。
デルフィーネは頭痛がした。
(なんなの、この状況は)
どうすればいいのだ。なにが当たりなのだ?
自分はストレッロの傍にいると言えばいいのだろうか。
──いや、陛下はストレッロの反論を諌めた。
平等に過ごさなければならないのは避けられないだろう。
なんと言ってやればいい?
抱き締めて、信じて待っていてくれと言えばいいのだろうか。私はあなたのもとへ帰ってくると。
愛してもいないのに?
愛しているのだろうか。わからない。目まぐるしく毎日が動きすぎていて、その日にやらなければならないことをこなすのが精一杯でこの生活環境に馴染んだわけではない。苦労して、馴染もうとしている。
そんな中でストレッロを愛しているのかなんてわかるはずがなかった。
好意はある。
愛してくれているから。よくしてくれているから。
これが愛?
それとも情け?
「護衛の方々もいてくれますし、なんともないですよ、きっと──」
「デルフィーネが俺以外の男と過ごすのが耐えられないんだ!」
ざわついていた部屋がいっきに静まり返る。
メイドたちは互いに目を見合わせ、拳を作って震えているストレッロを見て、なにかを察したのか一礼をして部屋をあとにした。
荷物は広げられたままで、すぐに戻ってきて作業を再開することがわかる。
つまり気を利かせたのだ。
ストレッロが自分の手で自分の顔を毟るように顔を覆う。
「無理だ、絶対に無理だ耐えられない」
「大丈夫、大丈夫です。」
「どうすればいい……どうすれば──」
指の隙間から覗く真紅の瞳が嫌な光を帯びていた。
まるで、愚かな行為によってデルフィーネを守ろうとでもするかのように。
アナトラのように。
「ストレッロ、変なことを考えてはダメです。誰も傷つけてはいけません」
「わかってる。わかってるのに、勝手に体が動こうとするんだ」
デルフィーネは今にも自分で顔の皮膚を引き剥がさんとばかりに爪を立てているストレッロの手に手を伸ばして、そっと触れた。
「ダメです。誰かを傷つけるのは、してほしくないです」
「わかってる、わかってるんだデルフィーネ」
緊張の解けた手を握り締めてやると、ストレッロはようやく手をだらりと下ろした。
「毎日お手紙を書きます。ストレッロを想いながらたくさんの贈り物を作ります。それもお手紙と一緒に届けてもらいます」
「気を失いそうだ」
「あなたはそんな軟な騎士ではないでしょう?」
「わからない」
「大丈夫です。たったの30日ですから」
言うと、ストレッロはそっとデルフィーネを抱き締めた。
「たったの、30日だって……?
──地獄だ」
そう呟いた。
◇◆◇◆◇◆
「ででーーーん! これがオレの屋敷! というか家!」
王室の馬車で揺られること数日。
デルフィーネはバレーノが生活をする広大な敷地のなかの小さな平屋の前にいた。
美しい芝生が一面に広がっている。
空を遮るものはなく、人の喧騒もなく、風の音と草木が揺れる音と混ざって心地よい。
牛が敷地を優雅に歩いて草を食み、柵のなかには羊、また別の柵には豚、またまた別の柵には兎、鶏。
「裏では芋とかカボチャとか、まあ色々植えてんだ。見てみるか?」
「あ、は、はい──」
「いや、着替えたほうがいいか。そんな格好じゃまともに歩けねえし。あれ、平民時代の服もあんだろ? それに着替えろよ」
平民の服──も鞄の中に入れてくれているのをデルフィーネは見ていた気がした。
「──ああ、家ん中を案内しねえとどこで着替えるかもわかんねえよな。じゃあ、とりあえず入るか」
平屋の木戸を押し開けるバレーノに続き、護衛ふたりを引き連れて、デルフィーネは初めて足を踏み入れた。
懐かしい広さだった。
きらびやかな調度品もふかふかの絨毯もなく、歩けば張ってある木が軋み、暖炉には灰が山積み。小さなキッチンと、4人も座れないようなサイズの円卓と一脚の椅子。暖炉の前には一人掛けの揺り椅子がひとつ。
──懐かしい。
「あんま部屋がねえんだよな。まあ使ってねえから別にいいんだけど。護衛はふたりで一室使ってくれ。風呂とトイレはこっち。俺の寝室はここ。デルフィーネの部屋はここを使ってくれ。一応、この家では一番に日当たりがいいと思う。」
ばんばかドアを開けて立て続けに説明をしてくれるけれど、短い廊下にドアがいくつもあるのですぐに終わってしまう。ひとつひとつの部屋は小ぢんまりとしていて、数歩歩けばすぐに壁。
ベッドが用意されている。
「昨日、急遽ご近所さんに使い古しのベッドを譲ってもらったんだ。護衛にとっちゃ、少し小さいだろうけど我慢してくれ。椅子も今日受け取りに行く予定なんだ。
ああ、話が長くなったけど、とりあえず着替えちまえよ。スカートがわさわさして邪魔くせえ。着替えは護衛に手伝ってもらうのか?」
護衛が目を剥いた。
「馬鹿な……っ!」
「なんて下劣な考えを……!」
そんなふたりを制して言う。
「自分のことは自分でできます。なので侍女も不要だと言ったのです。」
「んじゃリビングで待ってるぞー。護衛は飯でも食うか? なんか飲む?」
「いらない!」
なんてやり取りをドア越しに聞きつつ、そそくさと着替えを始める。
ベッドを置けば歩き回れるのはほんの少しのスペースしかなく、その隙間に押し込むように机を置いてくれているのは、もしかして手紙だけはストレッロとの交流として許可されたからなのだろうかと思わなくもない。
クローゼットも、着てきた上等なドレスを一着引っ掛けるだけでほとんどのスペースが埋まってしまう。
「動きにくいのは、間違いない」
それほどドレスは重くて大きい。
身軽な服に着替えると、デルフィーネは平民のデルフィーネに戻ったような気分になっていた。
平民に扮したストレッロの婚約者ではなく、長く過ごしてきた平民本来のデルフィーネに。
デルフィーネはドアノブに手をかけた。
牛や豚の世話をしたりして。
もしかして野菜を売りに行くのかも。
久しぶりに体を思い切り動かせる?
不覚にも、わくわくしていた。




