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11 ティグレーとのティータイム


 従者がデルフィーネを呼びに来たのは、なんの兆しもない夕暮れどきだった。


「王太子殿下がお呼びです。ご案内します」


 従者が放ったのはその二言だけである。

 元々冷たい印象を持たせる人なのか、平民であるデルフィーネになんらかのマイナスの気持ちがあるのか、判断の難しい男性だった。

 ちょうどよくデルフィーネはストレッロとの夕食のためにドレスを着付けをし直して貰ったあとであり、化粧も直していたため、準備の時間を設けずにそのまま従者について行くことにした。


 前回入室した部屋とは違うドア。

 前回のは隣接する騎士の隊舎内にあるティグレー用の執務室で、こちらは王宮内の私室らしかった。

 従者がデルフィーネの来訪を告げ、入室する。マナーよろしく儀式的な挨拶をした。


「座りたまえ」


 小綺麗な円卓のうえに置かれているのは二組のティーカップと、注ぎ口から湯気が立ちのぼるティーポット。

 促されたのはティグレーの向かいの席だった。


(椅子を引いてくれるのかな。椅子を引いてくれない場合は、たしか自分では引かずに従者を待って……)


 と、頭の中で付け焼き刃の曖昧な知識を反芻する。正しいのかも定かではない。

 しかし、さすがそこは教養のある人なのか、ティグレーは慣れた手つきでデルフィーネをエスコートした。



「単刀直入に聞く。君は王族の一員になりたくないのか?」



 席に着くや、投げかけられた鋭い質問。

 ティーポットで紅茶を注ぐのは自分がやるべきなのかを考えていたデルフィーネは、不意を突かれた形になった。


「……え」

「君の笑顔に見覚えがある。どこが痛むんだ? それとも顔のどこかが痙攣でもするのか?」


 隠しきれていなかった。

 咄嗟に右目瞼に触れたのが答えだった。

 ティグレーは自分で紅茶をふたつのカップに注いでから一口飲むと、背もたれに寄りかかって、らしからぬ姿勢を取った。大きな溜息を伴った動作だった。


「君を誤解していたようだ。王族の一員になれて、豪遊三昧、贅沢三昧、権力にあやかってなんでも思い通りにするのが夢の女なのだと思っていた。


 まさか、苦痛に感じているとは。」


 デルフィーネは即座に否定した。

 肯定できるはずがなかった。


「いえ、苦痛などではありません。ストレッロ……第二王子殿下にはたいへんよくしただいておりますし、愛されていると実感できますし、私を包む深い愛は大きな安心に繋がっています。それに、なに不自由なく暮らせますのも殿下のおかげで──」

「じゃあ、なぜその痙攣は起きるのだと思う?」

「そ、それは──」


 また痙攣が始まった。やや大きな痙攣だった。

 ティグレーの目が細められ、痙攣などしていないと答えるのは無意味だとわかる。

 後ろめたくなって、右手で右目をほんのりと隠した。


「これは自分のせいで……」

「そう。そう思うよね。なぜ?」

「それは、私が」

「平民だから?」


 沈黙。

 またティグレーの深い溜息。


 やや間があった。


「亡命もさせてやれる。どうする?」


 驚きの提案だ。

 デルフィーネは振り仰いだ。

 ティグレーが語り出した。


「僕の昔の話だ。王妃殿下──つまり母は身体が弱くてね、望めても子どもはふたり以下。それでいて陛下は律儀な人で母以外の女を側妃にするつもりはなく、僕が王太子になることはほぼ幼少期から決定していた。


 それに、陛下は母との穏やかな余生を僕が成人するよりも遥か前から、あるいは物心つく前から希望していたんだ。無論、僕だけに打ち明けてくれていたのだけれど。」


 こくりと一口紅茶を飲む。

 デルフィーネもそれに倣って、茶を飲んだ。ほんのり甘い紅茶だった。少し痙攣が落ち着いた。


「陛下は僕に(まつりごと)を早く引き継ぎたがっている。母が長くないんだ。まだ会えていないだろう?」


 頷く。


「もうほとんど起き上がれないからだ。」


 まったく知らなかった。

 勝手に、平民である自分に会いたくないから挨拶をさせてくれる場もないのだと思い込んでいた。

 歪んだ偏見を持っているのは自分──途端に恥ずかしくなった。


「つまり、なにが言いたいかと言うと、僕も昔から笑顔を作るのが得意だったということだよ。」


 ティグレーの目はカップの中の液面に注がれている。

 そこに笑顔はない。


「子ども時代から政治を引き継ぐために大人たちと対等に会話しなければならず、それよりも知識を得て指示を出す立場にあった。

 もちろん聞いたこともない単語や問題、即座に解決策の見出だせないトラブルも数え切れないほどあった。

 そのたびに、僕に任せてくれと笑った。

 その場で指示は出せずに、帰ってから死に物狂いで勉強して深夜には指示を出す──その繰り返し。


 王太子である僕が『わからないなんて有り得ない』んだよ。

 あってはいけないんだ。


 だから、君のその笑顔を知っている。その痙攣も。焦りを隠すための、疎外感に耐える奇妙な笑い方も。


 ストレッロを叱ってやるな。

 あいつは僕に厳しくしすぎたと反省した陛下が自由に生活させた結果、笑顔を取り繕うという経験がほとんどない。

 だから、君の苦痛にも気付きにくい。わかるか?」


「もちろんです」

「それで、どうする? ストレッロから逃げたいなら、逃がしてやるけど。奇しくも(つがい)保護法というものがあって、護ってやることはできる。……もちろん(つがい)を見つけた側にもある程度の法もあるのだが、まあ知らなくていいだろう。」


 考えた。

 それはきっとストレッロを思いのほか苦痛の地獄に落とすであろう行為だ。

 逃げたいか?

 逃げて、その先の生活の保障は?


「金は持たせる。仕事も与えてやる。」


 ストレッロはひどく悲しむに違いない。

 そうまでして自分はストレッロから逃げたいのか。


 いいや、彼は本当によくしてくれる。

 体を求められた夜もないし、傷付く言葉を投げ掛けられたり、思いやりのない行動はひとつとてなかった。


 彼を好ましいとは思う。

 頼りがいがあって、厳しい表情がデルフィーネの存在により緩むその瞬間は、愛されていると強く実感でき、これを人は幸せと呼ぶのだろうと思う。


 なにが問題か?

 そう、自分なのだ。


 自分の知識不足。平民であると卑下する自己嫌悪。

 それに尽きる。


「大丈夫です。なんとか、します」

「そうか」


 また紅茶を一口。

 かなりの沈黙が続いたあとで──


(つがい)という存在は、苦労もあるものなのだな」


 ティグレーがそう呟いた。


「まあ、いい。君は自然体でいたほうがいい。どうあっても平民だし、どうあっても知識と教養の差はある。(つがい)というのは、神秘的な存在だ。他の誰になにかを言われても、貴重な存在である事実は変わらない。あまり苦痛に感じずに、多少は好き勝手に生きたほうがいい。


 もう行きなさい。

 ストレッロが待っている」


 それからのティグレーはなにも言わなかった。紅茶を飲み、茶菓子を食べ、もうそこにデルフィーネはいないみたいに寛いでいる。

 だからデルフィーネはマナーどおりの挨拶をして、部屋の戸を開けた──


 そこにストレッロが立っていた。ノックをしようとしたその手の形で、危うくデルフィーネの額を叩いてしまうところだった。


「びっくりした……」

「デルフィーネ。迎えに来た」

「兄に挨拶はないのか」

「デルフィーネとふたりで会うのはお控えください」


 外敵から守るようにストレッロが躍り出る。

 言動を見てティグレーが鼻で笑ってあしらったので、デルフィーネは改めて礼を執り、部屋をあとにした。

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