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10 婚約式の準備


 婚約のためには、婚約式というものを行うらしい。

 デルフィーネはその文化についてまったく知らなかったけれど、教師からの教授によれば婚約式を挙げ、期間を設けてからの結婚式というのが通例のようだった。


 婚約式のための仕立屋に体の寸法を測られ、ドレスの色だの、生地だの、ベールの長さだの、会場の飾りつけだの、アクセサリーだの、料理だの、来賓への贈り物など、デルフィーネはよくわからないままストレッロの思うままの指示と決定に頷いていく。

 どれが、どのくらいの価値があるのかわからないし、慣例とか、誰がどれを好むとかもわからないから、任せておく以外にないのだ。


(足を引っ張っている……)


 自分の役に立たなさを憂いてしまう。

 落ち着いたらボランティア活動をしようとストレッロは言ってくれているけれど、それまでにデルフィーネは自分の存在が皆の迷惑になっていることが苦痛になっていた。


 微笑んでいるだけの、役立たず。

 なにもわからないお人形。


「式の流れは──」


 ストレッロが誰かと何かを取り決めている。

 専門用語が多すぎてわからない。勉強してきたつもりだったけれど、2か月足らずでは足元にも及ばない知識の差。


(その家紋は確か、えーと……どんな方々だったっけ)


 きっと執事もメイドも皆、デルフィーネの頭が空っぽであると気が付いている。


 デルフィーネは必死に笑顔を取り繕った。


 誰の話も少しもわからないけれど、にっこりと微笑んで、その心のうちを表に出さないように、背中に伝う冷や汗を微塵も感じさせないように、寸分の狂いもなく微笑み続ける。

 最近、右目の瞼が痙攣するようになっていた。


 誰にもわからないくらいに小さく、けれど痙攣し始めると少しの間は止まらない。

 些細なことなのに、この痙攣が気になって仕方ない。

 そっと指でマッサージをしても効果はなく、デルフィーネは悩んでいた。


 目の前で繰り広げられる玄人と玄人の会話。

 ついて行けていないのに、その式の主人公である自分。


 ついて行けない。

 置いてけぼり。


(どうして私、こんなところにいるんだろう。)


 自分のことを誰も知らない場所で新たな出発をしたかっただけで、こんな豪華な装いも暮らしも望んでいなかった。

 欲しかったのは、安定した静かで穏やかな日常。

 かけ離れている挙句、見下されている今の環境はデルフィーネにとってかなりの負担になっていた。


「デルフィーネ、どうだろうか」


 問いかけられていると気付くのに遅れた。

 一拍の間が空いて、はっとする。


「え、す、すみません、なんでしょう?」

「デルフィーネのドレスの色に合わせてテーブルクロスや飾る花も色を揃えようとしている。けれど少し落ち着いた雰囲気になりすぎると助言があった。花だけでも色を変えようか?」

「は、花……」


 ええと、まず自分は何色のドレスを着るんだったか。

 ストレッロの瞳に合わせて赤色──は、婚約式にはそぐわないとされて白色にしてアクセサリーや小物を赤色で統一するのだったか。

 どこまでの話し合いを聞いていたっけ。

 ええと、ええと。



 花。



 ふと、ピンク色の花が記憶にふわりと浮かんだ。

 赤の血が僅かに飛散した、誰にも受け取ってもらえないのに手折られた可哀想な小さな花。

 あの花の名前は──事件があったあとにすぐに調べた。

 花言葉は心の安らぎ。



 そして、「自然体でいて」。



 デルフィーネはぽつりと言った。



「……花はスーパーベルがいいです。ピンク色の」



 ぎょっと目を剥いたのはストレッロだった。

 デルフィーネは気づかなかった。瞼の痙攣を抑えようと、無理に大きな笑顔を力で作っていたから。


「赤色にも映えますし、可愛らしくて……いかがでしょうか」


 沈黙。

 しばらくの間、誰もなにも言わなかった。

 根負けしたのは提案した本人であるデルフィーネだった。


「そぐわないのであれば、他の花で構いません」


 それ以外に、花の名前なんて知らない。

 アナトラが女性になんと言われてデルフィーネにあの花を選んだのかも、本心を聞けないし、もしかして、本当に励ましてくれる意味で選ばれた花だったのかもしれないと思うと、今の孤独に負けてしまいそうになるし、そんな彼を傷付けてしまったことへの罪悪感が強すぎるから、やはり耐えられない。


 ああ、痙攣が止まらない。


「やれやれ。婚約式とは、家族が一員と認めてから挙げるものだとばかり思っていたけれど、どうやらふたりの認識は違うようだね」


 そこへティグレーがやってきた。

 暇つぶしなのか、日々の鬱憤を晴らしにでも立ち寄ったのか、小馬鹿にした顔で会場を見回す。

 デルフィーネの前で立ち止まった。


「さぞや嬉しいだろう? 晴れて貴族の仲間入り。ましてや王族の一員になるのだもの」

「殿下──」

「ティグレー第一王子に拝謁します。身に余る光栄です。ありがとうございます」


 ストレッロが諌めようとするのと同時にデルフィーネはカーテシーをした。

 無論、デルフィーネ本人は初対面時の皮肉を込めてカーテシーをしたわけではなかった。けれど、どうやらティグレーは気に障ったらしく、整った顔を歪めてデルフィーネを見下す。


「この平民が──いや、ちょっと待て。お前、まさか……」


 デルフィーネを睨みつけていたかと思うと、ティグレーはやや驚いた顔をして、今度はデルフィーネを見つめてきた。蔑むのではなく、探るような目だった。


「あー……なるほど?」


 それだけを言って立ち去ってしまう。

 なにをしに来たんだと思いつつ、その背中に礼を執った。


「デルフィーネの望む花ならばなんでも飾ろう。ほかに希望があれば些細なことでも言ってくれ。すべて叶えたい」


 ストレッロが言う。

 デルフィーネは曖昧に笑って、返事をごまかした。


 その日の夕暮れに、デルフィーネはティグレーから呼び出された。

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