第二幕: 霧の中の蜘蛛
やあ、君。
ファウストの魂がワトソンを追いつめた時、彼は手を借りるべきか迷う。
霧に囲まれた別荘で、礼儀正しい悪魔が微笑む。
モリアーティの糸が一本一本、首に巻きつく――合格点を取るための、想像の殺意。
神さえ見逃す暗闇の社交場を、君と共に覗こうか。
やあ、君。すぐそこに、自分の望みを叶えてくれる人がいたら、君は手を借りるはず。でも、その人がとんでもなく悪い人間だったら?
きっとまともなら、それでも手を借りないだろう。
追いつめられてない限りは、ね。
ちょうど、ワトソンもそうだった。
普段の彼、作家になる前の彼なら、もしかしたらーーまあいいさ。
ボクらは、今、ロンドンのとある別荘にいる。霧に囲まれた場所。あまりの霧の深さに、神さまだって見逃しす暗い建物の中に、いるんだ。
伝統的なクラシック風の部屋。
暖炉の火。
磨かれた家具。
上質な紅茶。
まるで紳士の社交場だ。
でも——
神さまだって見逃す暗闇の中。
そこにワトソンはソファの端に腰掛けていた。
向かい側にもソファがあり、
そこには白くてでかい蜘蛛が、
蜘蛛のような男が身を乗り出して、
ワトソンを見ていた。
彼の中を覗き込むかのように、
目の中を見つめているんだ。
彼の名はジェームズ・モリアーティ教授。数学の天才であり、犯罪界のナポレオン。
そして——
殺人の芸術家。まさに『霧の中の蜘蛛』だった。自分の手では決して手を下さない。想像による殺意の構築。
明確な悪意の指示を、
神に見捨てられた音楽家たちに下すんだ。
「悪くない。だが、及第点には至らない。」と彼の細長い指は話しながらも、糸を編むのをやめない。
白髪の禿げ気味の目が落ち窪んで、痩せすぎて、背の高い男だった。
彼はソファに座ってくつろぎながら、長い骨のような指を絡ませ合う。まさに蜘蛛が糸を編みあげているんだ。
彼の思考は、指で表される。
指には見えない糸が絡み合って、彼の頭脳の中にある計画を緻密に編みあげていく。
「合格点に届くには、何が必要と思うかね?」
その糸は——
ワトソンの首に、巻きついていく。
一本、また一本。
会話するたびに。
出来の悪い生徒に優しく囁くようだ。
こういう時の悪魔は、常に礼儀正しい。
自分が優れているアピールをする時には。
特にねーー。
ワトソンは、喉が渇いていた。
それでも出された紅茶には手を出さない。
彼は、この自称ファンに会いにきた。
彼が何をいうのか興味があったからだ。
「モリアーティさん。手紙をありがとう。」彼は礼儀正しく挨拶した。
がっしりとした体の上に乗っている頭を軽く下げた。
「ボクの小説は君を落胆させたんだと思って、ーー君が会いたいのなら、会おうって思ったんだ」
モリアーティは、頬をピクッとさせた。彼の唇はうすく笑う。
「落胆?まさかーー私の方こそ、誤解させた。」唇がさらに歪む、
「苦手なんだ。普段、こう感想の伝え方がーーね。」
ワトソンはモリアーティをしばらく眺めて、言葉を続けた。
「合格点にするためとは、実際にやれってこと?」
率直な彼の言葉に悪魔は眉をしかめた。
「君、バカげている。実際の経験で得られるものは些細なものだ。ーーそれに君は医師だ。」
悪魔は、まるで楽しい会話をしてるかのように続けた。
「私よりも上手く計算できるさ」とね。
二人は、話題としている事を、決してテーマとしてあげなかった。
あるとしたら、
合格点に届くには?
それのみだった。
悪魔との会話が終わる。
自宅に戻ると、ワトソンは部屋に散らばった紙の山を暖炉に投げ込む。
パチパチと拍手のように、
または悲鳴のように、残骸は灰になる。
終わった。前に進まなきゃいけない。
彼には道があった。
彼の背後から、ヴァイオリンの悲しい調べが流れていく。
安楽椅子に座って、ホームズが気持ち良さげに音楽を奏でる。
「悲しい曲だね。ーーなぜ、心地が良さそうなんだい?」
「ワトソン。僕は君の初めて書いた作品を思い出していたんだ。なんと言ったけーー」
ボクらは同時に言葉にした。
「緋色の研究」
言葉は虚空に消えた。
(第二幕は、赤い雫と共に閉じる)
第二幕、モリアーティの蜘蛛の糸がワトソンの渇望を優しく締め上げる会話劇。
紅茶の誘惑を避け、合格点の問いが現実の境界を曖昧に溶かす展開、ホラー味を濃くしてみました。
緋色の灰への布石、続きが気になりませんか? 感想お待ちしてます! 第三幕、すぐアップします。




