第一幕:殺せない原稿
やあ、君。
この物語は、永遠の探求者ファウストの魂が、時を超えて受け継がれる新たな旅路だ。
今回は、霧のロンドン、ベーカー街の片隅で。ホームズの影に埋もれる男、ワトソンがその宿主となる。
彼のタイプライターには、幻視の血が滴る。知性と狂気の狭間で揺れる創作の日常を、君と共に覗き見よう。
ファウストの魂は、君の心にも宿るかもしれない。さあ、紙の山を掻き分けて入ろうか。
【第一幕】
やあ、君。
今回の物語は、ファウストが天に召された後の話だ。
彼の壊れた魂は、
次の誰かに受け継がれた。
もしかして、君の時代にも彼の魂を持つ者がいるかもしれない。
ボクが誰かって?
語り部ファウストさ。
ヨハン・ゲオルク・ファウスト。
君と共に物語を見つめる者であり、
君の友だ。
今度のファウストの魂を引き継ぐ者がわかった。19世紀後半のロンドンのベーカー街の下宿の一つ、221Bにいる彼を、ファウストを見に行かなきゃいけない。
物語は進むんだ。
いつも通りさ。
机の前でタイプライターを何度も打っては、書き直し、目を通してはーー
「ああ、これじゃ殺せない!」と叫ぶか呟いている。体つきは頑健として、首周りは筋肉によって膨張していた。口髭は整えられており、目は知性にあふれていたが、今は熱のこもった狂気の光が星光のように瞬く。
部屋には暖炉の火がゆらめき、彼の想いを高めていく。
彼の背後には、くしゃくしゃに握り潰したり、引き裂いた紙が山のように散らばる。捨てないのかだって?
もう一度見直すための、執行猶予のために置いているんだ。
彼の名はジョン・F・ワトソン
Fとはファウストだ。
この秘密の名はボクらだけが、
知っている。
本当は「ヘイミッシュ」だって?
そんなのーーまあいいさ。
ワトソンには金がない。
どちらかと言うと、彼自身のせいだ。
知的活動はお腹が空く。
お金が入れば、お気に入りの喫茶店で気ままに食べるのが好きだ。
特にトーストに蜂蜜をたっぷりーーまあいい。話を進めるよ。
ワトソンにはルームシェアをしている相手がいる。部屋代の折半をしてる相手だ。
名はシャーロック・ホームズ。
安楽椅子に腰掛けている鋭い目つきをした長身の痩せ型の男、
ホームズが手にしたヴァイオリンを抱きかかえるようにして、叫ぶワトソンに言った。
「ワトソン君、筆を折りたまえ。どうせ誰も僕の事件解決なんて興味ないさ。」
彼はヴァイオリンの弦をいじりながら、呟く。
「コーヒーのシミのようなものだ。
過去の栄光なんて、
読み返すだけムダだ。
君の知性を殺すだけだ。
それなら、僕のヴァイオリンの腕前を聴いておくことをおススメするぜ」
ホームズは、ワトソンがこうやって、タイプライターに記録するのが気に入らないようだった。
事件を本にしてバカすぎる読者に売るよりも、ホームズ、彼だけのために記録して欲しかったんだ。
ワトソンはホームズの記録係だ。
そして、作家だ。
彼には金がない。
それは彼自身のせいだった。
彼はホームズと事件を解決し、
その事件を本当のように書かなきゃならなかった。
なぜかって?
それはーー
「ボクを哀れに思うなら、ちゃんとした推理を教えてくれ!全てだ!
ボクなんかに推理させないでくれ!
ボクに人を殺させないでくれ!」
ワトソンは両腕をあげてみせた。
もうウンザリとでも言うように。
ホームズは、ヴァイオリンからワトソンに顔を向けた。彼の唇は嘲笑で歪み、目は細まる。
「イヤだね。君だけに教えるのは構わないが、君は僕の推理をバカ共にみせる。ーーそれが気に入らない」
もうその話は終わりだった。
彼は美しいヴァイオリンを奏でる。
その音楽はワトソンの頬をひきつらせた。
彼は、気持ちを落ち着かせる為に、
おくられてきたファンレターを眺める。
ああ、君、これを見たかい?
天使と悪魔が、同じ封筒で届く。
ワトソンはファンレターを読む。
「素晴らしい!」
「真実味がある!」
「まるで本当に見てきたかのよう!」
彼らは知らない。
本当に見てきたんだ。
ワトソンは——想像の中で。
何度も、何度も。
ワトソンの小説による稼ぎは、あまりない。二束三文で、買い叩かれるものだ。
でも——
読者は気づいている。
この文章には、何かが込められていると。
血が。
魂が。
狂気が。
だから彼らは、讃美歌を歌う。
殺人者を称えて。
そして、彼の執筆を賛美するんだ。
天使が神の讃美歌を永遠の光の中でたたえるように。
その中の一枚が彼の目を引いた。
「へたくそ。使いのモノを向かわせる M」
まるで、聖歌隊に酔っ払いが混じったものさ。
「M」の手紙。
「へたくそ」
たった一言。
でもワトソンは震えた。
なぜなら——
この人は、分かっている。
ワトソンが何をしているのか。
どう殺しているのか。
彼は、脅迫かと思いホームズに目を向けた。相談するには、いい相手だが、
ホームズはワトソンを見捨てた。
脅迫?
違う。
これは——
招待状だ。
ワトソンは、その手紙をポケットに隠した。
その瞬間——
蜘蛛の糸が、彼の首に巻きついた。
(こうして、第一幕は蜘蛛の糸により閉じる。)
第一幕、ワトソンの「ああ、これじゃ殺せない!」叫びから始まる狂気の日常、ファンレターの天使悪魔対比で締めくくり。前のシリーズのメタ苛立ちを、物語世界のホラー味にシフトしてみました。
「M」の手紙が蜘蛛の糸を予感させるこのフック、続きへの布石です。ワトソンの幻視がどう暴走するのか、感想待ってます! 次幕、近々アップ予定。