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黒騎士をヤリ捨てた女性こと、リュリーティス・ヴァウェは、リュノ国の貴族名鑑に名を連ねる伯爵令嬢である。
そして、たった1日だけ貴族男性の元に嫁いだ20歳のバツイチ令嬢でもある。
リュリーティスがバツイチになった原因は、二年前の冬。盛大な挙式後の、初夜でのこと。
純潔を捧げる不安と期待に胸を膨らませていたものの、待てど暮らせど夫のローヴィス・カノナはやってこない。
邸宅のダンスホールでは、二人の結婚を祝う宴が未だに続いている。
独身の友人たちが夫を離してくれないのか、湯あみに時間がかかっているのか。まさか結婚前に懇意にしていた女性に別れを告げているとか……!?
そんなことを悶々と考えながらじっとリュリーティスは、寝室で夫を待っていた。
貴族同士の結婚なんて、政治的なものでしかなく、ローヴィスとは愛し、愛され結ばれた相手ではない。
けれど、今日は初夜である。白い結婚のまま朝を迎えるなんて、夫が許しても世間は許してはくれない。一生、笑いものになるだろう。
社交界の花になりたいという野望は欠片もないが、噂のネタにはなりたくない。
シナモン色の髪に、若葉色の二重の瞳。細身の身体に、つつましい胸。華やかさとは縁遠い、丘に咲く一輪花のような容姿のリュリーティスは、生涯平凡に暮らせればいいやという欲がない性格だ。
それでも気が弱いわけではない。やるべきことは、きちんとしてもらわないとという責任感と行動力で、リュリーティスはショールを羽織って廊下に出た。
初夜を迎える新郎新婦に気を利かせて人払いをしているせいか、廊下は静まり返っているし、かなり寒い。
しんとした廊下をリュリーティスはショールの前をしっかり合わせながら、ゆっくりと歩く。間取りをまだ把握していないので、確認しながら歩かないと寝室に戻れない可能性がある。
大貴族であるカノナ家の邸宅は、リュリーティスの生家であるヴァウェ邸より遥かに大きく、複雑だ。
かなりの距離を歩いたけれど人の気配が一向に感じない現実に、リュリーティスは心細さも加わり、そろそろ心が折れかけてきた。
「……もう、戻った方がいいわね」
行き違いになってしまったら元も子もないし、そもそもローヴィスの部屋の場所も把握していない。
結婚前に家督を継いだローヴィスは、邸宅内を大幅に改修した。
婚約中に何度も訪問したけれど、彼は「壁紙が張り終えてない」とか「家具が整っていない」とか、そんなくだらない理由を口にして一度も私室に招いてはくれなかった。
挙式間近とはいえ、未婚女性が異性の私室に入るのを良しとしない風潮もあって、リュリーティスは深く考えずに頷いていたが、今となっては場所だけでも把握しておけば良かったと悔やまれる。
「……っていうか、私室と寝室って離れているものなの?」
リュリーティスの両親は、寝室を挟んで別々の部屋を使っていた。
仲の良い令嬢たちの口ぶりも同じようなものだったので、それが常識だと思っていたが、そうではない場合もあるらしい。
婚約直前に改修が始まったとはいえ、欲のない性格が災いして、ローヴィスに全て丸投げしたことは、リュリーティスの過ちだった。
そして、廊下の先に一つだけ明りが漏れている部屋を発見してしまったことも、大いなる過ちだった。