4.願った復讐
瘴気の中にあってもなお黒かった瘴気の塊は、その色がかなり薄くなっていた。代わりに目立つのが、こぶし大の黒く丸いもの。それが黒い塊の、人間で言う心臓の辺りに見える。
「あなたは、人なのね」
どういう経緯で、瘴気を集めることになったのかは分からない。けれど、この世界では幾度となく繰り返されてきたことだ。
瘴気の正体は、人間の悪い"気"。欲望、悲しみ、苦しみ、恐怖、絶望。そういったものが集まったもの。さらには、地に流れた人の血が、それらを増幅・凝縮させていき、一つの場所に惹かれるように集まっていく。
集まっていく場所には、必ず何かがある。人だったり動物だったり、色々だ。おそらく、そうした気を集めやすい何かしらの原因があったのだろう。今となっては、それを知る術などないけれど。
ピシピシッと音がする。暴れている黒い塊に、串刺しにしている地面にヒビが入っている。それを冷静に見ながら、私は右手を挙げて、高めた力を解放した。
「光よ。彼の者を包んで」
その瞬間、串刺しにしていた地面は砕けた。けれど、光に囚われた黒い塊は、そこから逃れられない。
うずくまっている黒い塊の色が、薄くなっていく。――そして、周囲に溶けるように消えて、残ったのはこぶし大の黒くて丸いものだけ。
本来ならここでもっと浄化の力を注ぐべきなのだ。そして完全に浄化する。それが私の役目。
でも、今の私に、それはできない。
私の中にある、父親や姉に対しての気持ち。苦しい、痛い、悲しい、そして……憎い。聖女の私が、瘴気の力となる気持ちを強く持ってしまっている。加えてオーノの流す血が、私の気持ちを黒い塊への力と代えてしまっている。
だから、私はオーノが残した原初の精霊たちを見回した。
「力を貸して」
四つの存在が頷いた。オーノが亡くなってもなお、この場に残っているのは、瘴気を消すのが、精霊たちの役目だからだ。
「火よ、彼の者を灼き続ける炎を。――風よ。火の力を支え、増大させて」
私がそう言った瞬間、心臓にズキッとした痛みが走った。
煉獄の炎が黒い塊を包み込み、その炎が風の力でさらに燃え上がる。
「地よ。大地に大穴を開けて」
地面に穴が開いた。黒い塊が下に落ちて、その姿が見えなくなる。心臓に走るさらなる痛みを無視して、私はその側まで寄ってさらに言った。
「水よ。彼の者が出てこられないよう、水牢を作って」
奥深くに、水が湧いたのが分かる。それを確認して、最後の命令を下した。
「地よ、穴を閉じて。水牢を包む、どこまでも続く牢獄を」
どこまでも深く見えていた大穴が、一瞬でなくなった。それを確認して、へたり込みたくなる。――けれど、まだあと少し。
「ありがとう」
四体の原初の精霊たちに声をかける。四体の精霊の体は、透けていた。使役していたのがオーノじゃなく、四つの力を持たない私だったせいだ。そのせいで、その存在を維持できないほどに、精霊たちの負担が大きくなった。
私の声に反応した精霊たちは頷くと、その場で透けて、完全に溶け消えた。それを確認して、私は自然と口の端を上げた。
これで目的の一つは果たした。魔法の源となる、四つの原初の精霊たち。その存在が失われた今、あと数日程度でこの世界から魔力と魔法が消える。
「……! …………! ………!」
地の深くから、音が聞こえる。怨嗟の音。私を、オーノを、世界を恨む、黒い塊が発する音だ。
浄化ができないなら封印するしかない。魔法の遺跡で瘴気の正体を知ったときから、こうなる未来は見えていた。
『俺たちが瘴気を浄化して国に戻ったら、俺たちは殺されるよ。そして、俺の兄と君の姉が、世界を救った聖女と四の使い手として人々の前に立ち、称賛されて崇められる。そういう筋書きが、最初からできているんだよ』
オーノの言葉を思い出す。そう、だから。
――そんな人たちのために、なぜ私たちが命をかけて、浄化してあげなければならないの?
心に宿ってしまったその思いは、もうどうしたって消えない。
だから、私は嗤う。私以外、何も存在しなくなった場所で一人で嗤って、最後の仕上げをする。
「光よ。――世界を、浄化して」
黒い塊は封印しても、世界には瘴気が残っている。それらを浄化するのが、私の聖女としての最後の役目で……あの人たちを罠にかけるための仕上げだ。
ズキンッと今までになく、心臓に痛みが走った。本来光の力しか持たない私が、原初の精霊たちを使役した反動だ。負担が精霊たちだけに止まるはずがない。私にも大きな負担がのし掛かっていたのだ。
息が詰まる。けれど、私はその場に立ち続けたまま、世界が浄化されるのを見続けた。世界から瘴気が消えて光の力が消えるまで、見届ける。
そして、すべての浄化が終わって……私はその場で倒れた。
『聖女よ。ありがとう』
降ってきた声に、私は見えない神の存在を感じた。世界を救うための神託を下ろし、魔法の遺跡で私たちに過去を見せた神だ。
「ありがとう、でいいんですか?」
私とオーノが何を選択し、その結果この世界がどうなるのか、分かっているだろうに。
『もちろんです。世界を滅ぼす瘴気は消えました。この後、この世界がどう歩んでいくかは、生きるヒトが決めることですからね』
「適当なんですね」
『神とは、そういうものですよ』
本当に適当すぎる返事が返ってきたと思ったら、フッと神の気配が消えた。本当に、私にお礼を言うためだけに顕われたのか。
「生きる人が決めること、か」
私とオーノだって、この世界で生きる人だ。神託は降ろした。けれど、それをどう活用するかは、人の自由だということなんだろう。
「アハハハッアハハハッ!」
笑いが零れた。笑いながら、心臓が強い痛みを発して、それでも私は笑い続ける。
これで復讐は完了だ。
世界中を浄化したのはメッセージだ。瘴気の浄化が終了したのだという、メッセージ。魔法が消える前に、顔見せして威張り散らしてもらうための、メッセージ。
きっと、オーノの兄と私の姉は、自分たちが聖女と四の使い手だと、世界を救ったんだと大いばりするだろう。
でも、あと数日で魔力が失われる。魔法が発動しなくなり、魔道具が使えなくなる。
世界を救ったと顔見せしてわずか数日後のその変化を、果たして人々はどう捉えるだろうか。瘴気の浄化と魔力の喪失が、無関係だと思ってくれる人が、どれだけいるのか。
その時きっと、その名を名乗り大いばりしたツケが、あの人たちに回ってくる。何をしたのかと、お前たちがやったんだろうと、世界中から責められる。
魔法に頼り切っているあの国は大混乱に陥るだろう。その時、あの人たちはどうするんだろうか。無事でいられるんだろうか。
そして瘴気の源は封じただけ。いつかきっと、また瘴気は復活する。果たしてその時、この世界はどうなるんだろうか。
「アハハハハッ、アハハ……ぐっ」
息が詰まった。心臓の痛みがまたさらに強くなった。
もう私も長くない。でも別にいい。私たちの復讐の結果がどうなるのか、別に興味はないから。ただ、思う存分に苦しめばいいと、それだけを思う。
私は最後の力で立ち上がった。歩いてオーノの側に行く。死ぬときは、彼の側で死にたい。
寄り添って、目を閉じた。
空に広がる赤い景色が、最期に見えた気がした。
これで終わりとなります。
お読み下さり、ありがとうございました。
この後の「あの人たち」についての話も考えてはいますが、うまく話がまとまらないので、ここで完結としておきます。
そのうちポロッと更新することがある……かもしれません。