3.瘴気の源
「ゲホッゴホッ」
瘴気が濃くなって咳き込んだオーノが少しでも楽になるようにと、私は手を彼の腕に当てる。ほんの僅かに浄化の力を流せば、彼はホッとした顔をした。
「ありがとう。でも、力を使い過ぎるなよ」
「平気」
少しでも浄化していかないと、まともに呼吸もできそうにない。
周囲はもう真っ黒だ。碌に視界も効かない。それでも私は前へと進む。"聖女"としての本能なのか、この瘴気が流れてくる場所がはっきり分かる。
前に進んでそうたたないうちに、私はそれを見つけて、指を差した。
「――あれよ」
「なるほど、分かりやすいな」
黒い中にあっても目立つ、真っ黒な塊。その黒いものが波を打って、周囲に広がっていくのが分かる。
「では、始めようか」
オーノの言葉に私は一歩後ろに下がった。これから何をどうするべきか、それは魔法の遺跡で知った。
私は黒い塊の様子を見る。目を瞑って集中しているオーノの邪魔はさせないと思ったけど、その塊が何かをしてくる様子はない。
「現れよ。顕現せよ、原初の精霊たち。地よ、水よ、火よ、風よ。現れ出でて、その力を解放せよ」
オーノの言葉が終わると同時に、地面が光り、水が湧き出る。火が熾り、風が吹き荒れる。そしてその一瞬後には、四体の姿があった。人に似て人ではない存在。"原初の精霊"と呼ばれる、地・水・火・風の魔法それぞれの、力の源となっている精霊たち。
「放て」
オーノの言葉とほとんど同時に、黒い塊が竜巻に巻き込まれる。火に包まれたと思ったら、上から水が落ちてくる。そして、隆起した地面が岩になって黒い塊を閉じ込める。
やった、と思ったのは一瞬だった。岩がピシピシと音を立てたと思ったら、崩れ落ちる。そこから現れたものを見て、私は息を呑んだ。ただの黒い塊だったはずなのに、長い棘をまとっているような形になっている。
「ここからが本番だな」
でもオーノは全く怯んだ様子もなく、攻撃を続けた。
私は息を詰めてそれを見守る。手助けをしたいのを堪える。あの魔法の遺跡で見たのだ。原初の精霊たちの攻撃で黒い塊が弱ってからじゃないと、私の光の力は届かない。
オーノは攻撃を続けるけれど、どれも弾かれる。黒い塊の発した瘴気をまともに被ったときは、叫んでしまった。
「オーノっ!?」
「平気だ」
慌てる私を余所に、オーノはどこまでも冷静だった。
私は拳を握る。今はまだ我慢だ。今、私がやるべきことは、オーノを信じてその時まで力を高めておくことだ。
そうして覚悟を決めた時だった。
「あっ」
まともにオーノの攻撃が黒い塊に直撃した。黒い塊が火に包まれた。かと思ったら、風が吹き荒れて、その火がさらに大きくなる。動きが鈍ったのが分かる。
「…………! ……!」
黒い塊が、まるで悲鳴のような"音"を発した。あともう少しだと思ったとき、黒い塊が動いた。
「…………!」
火と風に包まれた中から、何かが飛び出してきた。それが何かを理解するより先に、「ぐ」というオーノのくぐもった声が聞こえた。
「え?」
オーノの背中から黒い何かが飛び出ていた。お腹から刺されて、それが体を貫通している。その黒いものを視線で辿れば、行き着く先は黒い塊。そこから触手のようなものが出て、その先端がオーノを貫いている。
その触手が動く。貫いたオーノの体から、触手が抜かれる。その瞬間、そこから大量の血が落ち始めて、ようやく私は現状を理解した。
「オーノ!」
叫んで手を伸ばす私を、オーノは制した。倒れもせず、傷口を手で押さえている。けれど、その手の隙間から血は流れ落ちていく。
「水よ、貫け」
オーノがそう言った瞬間、口からも血を吐いた。けれど、何一つ動揺した様子を見せない。水が一本の水流となって、黒い塊の中央を貫く。
「地よ、串刺しにしろ」
地面から先端が尖ったものが飛び出して、黒い塊を文字通り串刺しにした。
けれどその瞬間、オーノはさきほどよりも大量の血を口から吐き出した。そのまま力尽きたように後ろに倒れるのを、私は必死に支えた。
「オーノ!」
「リア、これでいいんだ。……分かってるだろ?」
ニッと口の端を上げて笑うオーノに、私は息を呑んだ。
そうだ、分かってる。――それでも。目から涙が落ちた。泣くなんていつぶりだろうと思う。
「オーノ……」
「あとは、任せた、リア。……フォーリア・ロッサ。君と出会えて、良かった」
満足そうに、笑顔で。彼の心臓の鼓動が……止まった。
「私、だって。あなたに会えて、良かった」
泣くのは止まらないまま、それでも無理矢理に笑顔を作る。オーノの体を地面に寝かせた。
「……変ね。"赤"の名前を冠しているのは私のはずなのに。あなたの方が、赤く染まってるんだから」
名前を付けてくれた、あの日の空を思い出す。赤く染まった、燃えるような赤。オーノとの、出会いの日。
「待っててね、オーノ。私もすぐ後を追うからね」
串刺しにされている黒い塊を見た。