猫屋敷律子の共感覚事件簿 4
僕たちの高校では週三で体育の授業がある。いつも四限目だ。
僕は自分の席で体操服に着がえていると、教室の扉が急に開いた。
「邪魔するわ」
そう、猫屋敷である。男子たちの間で驚きの声が上がり、みんなが彼女を見ていた。
最初に声をかけたのは、みんなのリーダーである岡崎だ。
「ね、猫屋敷さん。今この教室は、ボクたちが着がえるのに使ってるんだけど……」
爽やかで、かつ不快感を与えない彼の注意は素晴らしい。さすが岡崎、ナイスだ。
だが、猫屋敷は聞いちゃいなかった。キョロキョロと視線を移して、僕を見つけたかと思うとずかずか教室に侵入してくる。
「犬井くん。わたし昨日、いろいろと考えたの。考えたわ」
「考えたのは分かったから、今は時と場所を考えてよ!」
すると猫屋敷を追いかけて来たのか、山本と上野も教室に入って来る。
「ごめんね、剣也。あたしら、行くなって何度も止めたんだけど……」
「猫屋敷さんが聞いてくれなくてぇ……」
上野と山本がそれぞれ岡崎に謝ってくる。
元凶の猫屋敷はというと、ピンと来ていないような顔で僕の生着がえをじっと見ていた。なんていう羞恥プレイだろう。
「それで要件は何なの?」
「ここに来た目的はひとつよ。この教室の中に、岡崎くんのブレスレットを盗んだ人はいる?」
猫屋敷はそう言って、教室にいる男子全員を見渡した。
「あのう猫屋敷さん。み、みんなに教えるつもりですかぁ?」
顔を赤らめながら山本がそう質問する。
「岡崎くん、みんなにブレスレットの件を説明して」
山本の質問を無視してそう言った。
「あ、うん」
ここにいる男子は岡崎のブレスレットが無くなったことを知らないので、全員に説明していた。その時にペアルックのことも話していたので、二人とも顔が真っ赤になっていた。
「それで新井悠成くん、あなたはブレスレットを盗んだの?」
彼がブレスレットのことを知るもう一人だ。
「はあ? ちょっとケンちゃん、まさか俺が盗んだと思われてる感じ?」
「ボクはそんなこと思ってないよ。でも、可能性があるから聞いてるんだ」
「ないない! 俺が盗むはずないっしょ! だってケンちゃんは俺の親友だぜ? つか、そんなことして誰得なの? マジ勘弁してくれって感じ!」
新井はそう言うけど、僕は彼が怪しいと思っている。だって見た目がどう見てもチャラ男だし、言葉の節々からも知性が感じられない。
「新井くん、先週の体育を休んでたよね。それはどうしてなの?」
「お、お前まで俺がやったと思ってる感じ? はあ、意味分かんねえし!」
僕が彼を犯人だと思っている理由はもう一つある。
新井くんは先週の体育を見学していたのだ。僕は死ぬ気で走りながら、見学している新井に殺意を覚えたので、これは間違いない。
「悠成、質問にちゃんと答えて欲しい」
「だから先週は足が痛かったから見学しただけで、他に理由は無えんだって!」
新井はそう弁解するけど、口を必要以上に触っているし、目も左右に泳いでいる。声が急に大きくなるのも嘘をついている時の特徴だ。
上野の時は怖くて、彼女の仕草を確かめることが出来なかったけど、心理学は本来こういった場面でこそ真価が問われる。
焦った時こそ人の心理は動きやすい。今回はそれがより顕著に表れている。
動悸は不明だけど、ブレスレットを盗める可能性が一番高いのは新井だ。
そう思っているとまた扉が開き、体育教師の山田が現れた。
「てめえら、いつまで着替えてんだ? あと一分で来ねえ奴は、放課後も居残りで持久走な!」
山田は鬼のような顔でそう吐き捨てる。僕は本気で着替えた。
グランドで走る前にストレッチをしていると、ふらりと猫屋敷がやって来た。
「準備運動しなくて良いの? 走る前なのに余裕だね」
「新井くんのことだけど」
案の定というか、彼女は新井のことについて話を切り出した。せっかく世間話をして話を変えようとしたのに。走る前まで余計なことを考えたくない。
「はぁー。僕は彼が怪しいと思うよ。確証は無いけど、これでも心理学を伊達に学んでないからね」
「新井くんはやってない」
「はあ?」
「彼はやってない。それとわたし、盗んだ犯人が分かったわ。さっき確信したの」
「それどういうことだよ?」
僕がそう聞くと、山田がピーと笛を吹いた。
持久走は男女合同で、授業が終わるまでグランドを周回するという地獄の授業だ。
もし誰か倒れたら、山田のことを教育委員会に訴えてやろうと思う。
「そんじゃおめえら、死ぬ気で走りやがれ!」
僕たちはスタートラインに立ち、山田のホイッスルの音で走り始めた。さっそく先頭集団が出来上がり、僕は後ろの集団に属する。今は僕もボッチじゃない。
陸上部の上野を筆頭に、その後ろを岡崎と新井たちが続いている。今日は見学をしなかったらしい。遠ざかる彼らを見ながら、横を走る猫屋敷に聞いた。
「それでさっきの質問には答えてくれるんだよね?」
「もちろんよ」
「それなら新井が犯人じゃないと思った理由は?」
「色よ」
「あーはいはい、色ね」
僕がテキトーにあしらうと無言でぶつかってきた。顔を見ると少し怒っている。普段、感情を出さないのに珍しい。
「ちゃんと聞いて。わたしの目を信じて。新井くんの中に、モヤモヤの黒い色が見えなかったの」
猫屋敷が僕の目に訴えかけてくる。
「そんな答えは求めてない。もっと論理的な証拠を出してくれよ」
「それはわたしの役目じゃない。最初にも言ったわ。わたしは犯人を見つけるの」
なんてご都合主義なんだ。それは今には始まったことでは無いけど、つくづくそう思う。だけど、そんな愚痴を言っても彼女は止まらない。
猫屋敷はそうい奴なのだ。
「はぁー、もう分かったよ。僕が頭脳担当なんだよね? それなら犯人が誰なのか教えてよ。犯人が分かれば、証拠でも何でも見つけるからさ!」
僕はやけくそに言っていた。
「わたしの話、信じてくれるの?」
「信じないと君しつこいだろ」
自分でも何を言っているのか分からない。どうしてここまで本気になっているのか分からない。
おかしいな、僕はこんな熱血な奴じゃないのに。僕はもっと冷めた人間なんだ。
だけど猫屋敷はその時、初めて笑った。
正直、可愛いすぎたよ。実際にこの笑顔を近くで見れたなら、この発言は間違っていなかったと思えるほどに。
でも、やはり僕はバカだ。彼女の言葉を信じるというのは、彼女が共感覚だと信じるようなものだ。感情の色が見える? 何だよそれは。こんなことを信じる奴は普通いない。
「それで犯人は誰なんだ?」
そう聞くと猫屋敷の口が動いた。僕はブレスレットを盗んだ犯人の名前を聞いた。
すると後ろから風が吹いた気がした。
横を見れば、先頭を走っていた上野が僕たちを追い抜いている。一瞬、上野と目が合ったけど、睨まれたのですぐに反らした。
どうやら周回遅れになったらしい。女子にされると自分が凄くみじめに思える。
僕は遠ざかっていく上野の背中を見つめた。
彼女が犯人だった。