8:チェンジ希望
セロリのパスタ編 はじまりです!
翌朝……といってもギリギリ午前中の時間。私はふかふかのベッドで、最悪の気分で目を覚ました。
(うーーーん……、ここ、どこだっけ……?)
夢見が良くなかったせいで、記憶がぼんやりしている。
ちなみに夢の内容は、ルゥインが大河の向こうで私に手を振っているというもの。たしか川の対岸は死者の国……みたいな宗教観を持つ異国があったので、まぁかなり縁起はよくない。どうか正夢になりませんように……!
私は心を安定させるため、トランクにしまっていたルゥインからの手紙に全て目を通すと、ようやく頭がじわじわと動き始めた。
(そうだ。ルゥインとの未来のために、お店を頑張るんだった! けど……)
私が眠った場所は、アッシュさんというシュッとしたイケメンの家だ。というのも、彼に「住んでいいよ」と言われたから。これだけでもびっくりなのだが、たまたま振る舞ったカレーの味を気に入られて、新店舗の料理人にスカウトされたのだから、人生何が起こるが分からない。
けれど改めて思い返すと、不安要素がひたすらに多い。
アッシュさんは迷いの森に住んでいる時点でまともな人ではなさそうだし、初対面の私に対して口も態度も間違いなく悪かったし、帝国の飲食店経営者で魔術師って結局ナニ? と首を傾げたくなる。遭難して疲労し、深夜のテンションでハイになっていたところをまんまと付け込まれたような気がしてならず、私は「契約書の隅っこに奴隷従属項目が超小文字で書かれてたんじゃ……?」と朝から(昼前から)気が気でならない。
彼は「昼頃にまた来るから」と言い残し、転移魔法で去って行ったので、そろそろ来訪の時間かもしれない。会ったら契約書をもう一度見せてもらうか、控えを一部渡してもらえるか頼んでみよう。
そんなことを考えながら、私が寝巻から着替えようとしていると――。
「やぁ、昨日はどうも。急いで打ち合わせするから、早く一階に集合ね。僕には時間がないから」
ベッドの上に銀色に光り輝く魔法陣が出現したかと思うと、ひんやりとした空気を纏ったイケメン男性の姿が具現化した。昨晩見た、去って行く転移魔法の逆バージョン。そしてイケメンの名はアッシュさんだ。なんてスタイリッシュな登場。イケメンだから、いっそう様になる。
けれど、イケメンとて許されないことがある。
「女性の着替えに乱入しておいて、まるで無反応って‼」
脱ぎかけた寝巻で胸とお腹を隠しながら叫ぶ私。素肌を見られて「キャー」じゃない。スルーされて「ムカッ」だ。
「私、一応女ですし、婚約者のいる嫁入り前の身なんですが⁉」
私は涙目で食って掛かる。だが、一の文句は十以上になって返ってきた。
「僕が『見てないから……!』と慌てふためけば満足なのかい? それとも君が『お嫁に行けません!』とか、言ってみたかった? 残念だけど、女性の裸でのぼせ上がるような非モテ男じゃないし、君だって何があっても嫁に行くだろう? 転移魔法の出現先の指定には高度な技術を要するから、多少ズレることがあるのだって常識だ。あれ、君もしかして知らない? あと今は昼前なんだから、まさか寝起きで着替え前ってことの方がおかしいんじゃない? 一般的に。ちなみに僕は朝からちゃんと仕事をしてきて、現在昼休憩中なんだ。だから時間の有限性を理解してもらわないと困るんだよね。はい、じゃあ至急着替えて、一分後にミーティングだよ」
「え……、えぇ……?」
ものすごい勢いで長文喋るじゃん。
アッシュさんにすっかり圧倒されてしまった私は、口を魚のようにパクパクとさせたまま、何も言い返すことができなかった。
革製のブーツをカツカツと鳴らしながら部屋を颯爽と出て行くアッシュさんの後ろ姿は、まるで世界単位の大魔王だ。多分、あの人が「今日は何でもない日だから、みんな僕にプレゼントを持って来るんだよ」と言えば、誰も彼もが全財産をはたいて贈り物をしてしまうような異次元の圧がある。
いや、実際にはひと言も謝罪をしない、大人げない屁理屈マシンガンだったんだけど。
(うわぁ……。私、ほんとに大丈夫? 誰か上司をチェンジしてぇぇ……っ!)
思わず頭を抱えてしまう。
着替えを覗かれたことなど最早どうでもよくなるような、新生活の朝(昼前)だった。




