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7:契約

カレー編ラストです!

「あの……その……、すみませんでした……」


 私が気まずさを滲ませて頭を下げると、イケメン――アッシュさんは笑いをクククと堪えて肩を震わせていた。きっと、目覚めた時から私のこんな反応を見ることを楽しみにしていたに違いない。彼はとびきり楽しそうにニヤニヤしていた。


「いいよ、いいよ。窓ガラスを盗賊さながらに割ったって、家主を毛布で芋虫みたいに巻いたって、キッチンを我が物顔で使ったってかまわないさ」


「うぅ……。もう、言わないでください」


 真っ赤になって縮こまっている私をよそに、アッシュさんは「僕は感謝しているんだよ」と言いながら、指先を割れた窓ガラスに向けてパチンッと鳴らす。うわぁ、指パッチンが上手い。私の3倍くらいいい音が鳴っていた。

 そして音に気を取られていたら、いつの間にか窓ガラスが修復されているではないか。


「えっ! 直ってる⁉」


「さっき自己紹介したでしょ。僕、魔術師だから」


「すごいです! こんなの初めて見ました!」


 アッシュさんに素直にマウントされてもいいくらい、私はすっかり感心していた。

 王国の田舎では、指パッチン無詠唱で魔法を使う人に出会うことなんてまずあり得ない。一般人はじっくり魔力を練り上げて、魔法陣をせっせと書いて、少々長めの呪文を唱えてようやく魔法を使うことができる。私の家族だって、そうやってポーションを作っている。だから、こうも易々と魔法を発動させることが現実に可能であるという事自体が驚きだった。


「いいですね……。たくさんガラスを割ってもすぐに直せて……」


「そんなにガラスばっかり割らないから。もっと有効活用してるから」


 私は思ったことを口にしただけだが、どうやらズレたことを言ってしまったらしい。アッシュさんがため息を吐き出している。そしてひと言。


「ちょっと世間ズレしてそうで心配だけど、僕がサポートするから安心して」


「えっ? もしかして、婚約者探しに協力してくれるんですか⁉」


「はい? 違いますけど? 誰だよ、婚約者って」


 会話が嚙み合わず、私とアッシュさんは互いに「あ?」と輩のような目つきで見つめ合った。何を言ってるんだァ、この人は。


「君にスパイス料理の店を持たせてあげようってコトさ。光栄だろ?」


「失礼承知で申し上げますが、おっしゃっている意味が分かりません!」


 この人、ヤバい薬でも吸っているんだろうか……。あぁ、待って。私今、馬車のおじさんと同じ目をしているような気がする。多分。

 そして、頭の整理が追い付かない私にアッシュさんはドヤ顔で説明を始めた。


「僕は帝国各地に飲食店を持っていてね。近々もう一店舗増やす構想を練っていたんだよ。深夜の帝都でワケアリの客を相手にする、何かに特化した料理店をさ」


 アッシュさんはフフンと偉そうにソファにもたれ、右手の人差し指で私とカレーを順番に指差した。


「つまり、私にスパイス料理店を持たせると⁉」


「それ、さっき僕が言った」


 アッシュさんのツッコミはスルーして、目をまん丸にして驚いている私の頭に駆け巡る、理想の店のビジョン。お店の広さはこぢんまりとしていても、テーブルや椅子といった家具にはこだわりたい。カウンター席もほしいし、四隅にはルゥインセレクトの観葉植物を置いて、スパイスをお洒落に飾る棚だって必須で――……って、ちょっと待て。


「深夜の帝都でワケアリの客を相手にするって言いました?」


 私はつい聞き逃しそうになった言葉を急いでアッシュさんに付き返した。


「うん。さっき言ったよ?」


 人を小馬鹿に態度のまま、アッシュさんは「ターゲット層は明確にしないと」と、それっぽいことを言った。


「貴族に商人、騎士に傭兵、平民に子ども……。次は夜の街の住人だ。帝都の裏の顔が見れて、きっと面白いよ」


「面白いって、そんな……。お断りします! 私は帝都にいる婚約者に会いに、はるばる来たんですから!」


「へぇ? 帝都のどこにいるの、その彼は」


 きっぱりと断ったつもりなのに、アッシュさんは一向に引かない。私が「これから探すところで……」と言葉を濁すと、目がきゅっと嬉しそうに細まった。もう勝ちを確信している目だ。


「ちょうどいいじゃないか。闇雲に人探しなんて時間の無駄さ。店に来る客から情報を集めればいい。夜の客は昼間の客よりも深くて広い情報を持っているし、ついでに羽振りも良い。結婚資金を貯めるつもりで頑張ってみたらどうだい?」


「け……、結婚資金‼」


 その言葉が、私の胸にクリティカルヒットした。なんてずるいイケメンなのかしら……と、頭では思っていても、ルゥインとの幸せな未来を描く私の胸は、わくわくと陽気に踊り始めていた。

 それに元々、いつか自分の店を持ちたいと思っていたのだから、この提案に乗らないという選択肢はない。


 というわけで、私はあれよあれよという間にアッシュさんが魔法で出した契約書にサインをさせられ、深夜に営業するスパイス料理専門店の雇われ料理人に担ぎ上げられてしまった。


「あー、よかった。もし断固拒否するようだったら、不法侵入と器物損壊罪で訴えてやるって、脅すつもりだったから」


 契約書を筒状にくるくると丸めながら、アッシュさんは物騒なことを口にした。この人、本当に性格がアレだ。イケメンじゃなかったら、みんな許さないと思う。


「利害の一致があっての契約ですから。婚約者が見つかるまでの期間限定ですし、料理は私の采配でやらせていただきますし!」


 雇用関係が明確であっても、いいように使い潰されるつもりはない。負けてたまるかという気持ちを込めて、私はむんっと仁王立ちで胸を張った。

 すると、アッシュさんは意外にも――。


「かまわないよ。君のスパイス料理、美味しかったから」


 いつの間にか綺麗に空っぽになっていたカレー皿を見つけた私の心は、小さな火が灯ったかのようにポッ温かくなっていた。

 アッシュさんの飾らないひと言が、私の胸につかえていた孤独や息苦しさをあっさりと取っ払ってしまった。そんな感覚が体中を駆け巡っている。まるで魔法だ。

 これが誰かに完食してもらえた達成感。美味しいと言ってもらえた喜びなのかと気がつくと、悔しいけれど言葉が出ないくらい嬉しかった。


「美味しく食べてくださって、ありがとうございます……」


 初対面のアッシュさんには、私が涙を堪えている理由なんて想像もつかないだろう。別に家の事情を知ってほしいなんて思わない。ただ、またスパイス料理を食べてくれたら嬉しいなと思う。


「……あ、えーっと、そういえば名前聞いてなかったね」


アッシュさんに尋ねられ、私は自分が名乗っていなかったことに気が付いた。


「フィーナ・ブルオンです。先日家出をしましたが、生まれはザクト王国の男爵家です」


 スカートの裾を摘まみ上げて頭を下げていた私が顔を上げるのを待ってから、アッシュさんは右手を差し出してきた。

 白くてほっそりしている彼の手を取ると、行き倒れていた時には冷え冷えだったそれが、すこし温まっていることが分かる。それでもやっぱり、普通の人よりは冷たい手だったが。


「フィーナ。これからよろしく」


「不束者ですが、よろしくお願いいたします!」


 こうして私は晴れて自分の店(雇われの身なので厳密には違う)を持つことになったのだが、相性の悪いオーナーと仲良くなっていくのは、まだまだ遠い話だった。


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