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番外編:共生のキャロットケーキ

コミカライズが決定しました!

読者の皆様、ありがとうございます!

★7章と8章の間。アッシュ視点の日常です★



 氷の魔獣の呪いが解けてから半年――。


 朝目覚めると、未だに自分が自由の身であることに驚かされる。

 体を蝕む凍てつくような痛みも、白い吐息も、老人のような真っ白な髪も、今はもうない。


 鏡に映っているのは、濃紺色の髪の僕。心臓はトクトクと脈打っていて、指先まで温かな血が通っていることが分かる。


 だけど、僕が自由な“生”を実感するのは、自分の姿を鏡で映し見た時じゃない。


「おはようございます。アッシュさん」


 階段を下りる僕を見つめるグリーンの瞳。

 フィーナの澄んだ双眼に映る僕は、自分でも恥ずかしくなるくらい柔らかい表情をしている。

 無意識に頬が緩み、眉尻が下がる。

 胸の中心に灯る熱――彼女への“愛”こそが、僕が生きている証だ。


「おはよう。フィーナ」


 1階の食堂のテーブルを使い、二人分の遅めの朝食を並べていたフィーナは、「ちょうど起きてこられる頃かなと思ってました」と、涼やかな声で迎えてくれた。


 僕は呪いが解けてから、スパイス食堂の2階で寝起きするようになっていた。

 理由は単純。少しでも多くの時間をフィーナと過ごしたいから。

 僕の寿命は通常の長さに戻ったワケだが、それでも染みついた焦燥感は抜けきっていない。

 今、目の前にある日常や幸福、命が明日には散っているかもしれない――。

 そんな想いがずっと胸から消えない僕は、同じ屋根の下で暮らしながら、想い人と蜜月な関係になれない現状にヤキモキしている。


 本当は、朝起きたら隣にいてほしい。もっとぬくもりを感じたい。ずっと抱きしめていたい。僕だけを見つめて、僕だけに愛を囁いてほしい。残りの時間を、すべて僕に費やしてほしい――……。


 だけど、僕がそうしないのは、彼女の抱える痛みが分かるから。

 大切なものを失った傷は、簡単には塞がらない。

 代わりの何かで埋められるなら、僕と彼女は出会っていなかった。


「アッシュさん、昨日のことなんですけど……」


 フィーナはシナモンの独特の甘い香りが漂う皿を並べながら、口を開いた。

 僕が最近気に入っている、オートミールとドライデーツを使ったキャロットケーキの香りだ。砂糖を使わず、ニンジンとデーツの甘みを活かしたレシピで、上にとろりとかかっているフロスティングも豆乳からできている。ヘルシーで栄養満点なのだと、以前フィーナが教えてくれた。

 僕の前にはキャロットケーキが二切れと、庭で採れたベビーリーフのサラダ。軽めのブランチだが、わざわざ好きなものを作ってくれたということは、彼女は「昨日のこと」を気にしていたのだろう。


 昨晩、スパイス食堂を訪れたとある女性客が、フィーナのことを酷く罵倒したのだ。

 その女性は上流階級のご令嬢で、僕に対して恋愛感情を抱いていたらしい。だから、僕が執着している女の顔を見てやろうと、わざわざフィーナのことを調べあげた上で、店に乗り込んできた。


「この女は、婚約者が死んで、コロッと次に乗り換えた阿婆擦れです! アシュバーン様に憑りつく依存女なんですよ!」


 ご令嬢の主張を真正面から受け取ったフィーナの目は、動揺で揺れていた。

 コロッと乗り換えてくれたら、僕は毎日ヤキモキしてないっていうのに。


 ヒステリックなキーキー声をこれ以上フィーナに聞かせたくなかった僕は、そのご令嬢を秒で丁寧に出禁にし、閉店後、速やかにご令嬢の実家を取り潰した。まァ、後半はフィーナが知るところじゃない。


 僕は深く尋ねられたらまずいので、その話題は忘れたふりをしようかと思っていたのだが、どうやらフィーナはさらりと流すことができなかったらしい。


「昨日の……っていうと、阿婆擦れだとか、依存女だとか? 僕はそんなコト思ってないから、それでいいんじゃない?」


「アッシュさんは優しいから……。でも、傍から見たらきっと、私はそう見えるんだと思います。いえ……実際、アッシュさんの好意に甘えてばかりですし……」


 フィーナの表情は晴れない。

 彼女は僕のプロポーズを保留にしているので、ずっと負い目を感じている。

 けれど今は、心の中にいる亡き婚約者と向き合う時なのだ。彼女は逃げることをやめ、立ち止まって過去と現実を見つめている。

 いつか前に進む時が来るのか、それは未来の彼女にしか分からない。


 僕はその「いつか」が来た時に、隣にいたい。

 だから、待ち続ける。

 僕は焦ってしまうこともあるケド、フィーナが生きる時間を与えてくれたことだって理解している。


「いいんだよ、甘えて。僕はフィーナを甘やかしたいんだから」


 僕はシルバーのフォークを手に取ると、皿の上のキャロットケーキにそれを刺し入れた。

 フォークが柔らかい生地に沈むと、期待感が湧き上がる。

 一口食べると、シナモンのわずかな辛みが鼻に抜け、独特の優しい甘味がじんわりと口の中に広がった。ニンジンとデーツ、そして豆乳のフロスティングの自然な甘さが、空っぽの胃袋に沁みる。

 僕はフィーナと店をやるようになってから、豪華で派手な宮廷料理よりも、こういった素朴な味わいが好きになっていた。


 きっと、明日はもっと好きになっている。

 予知の魔法は習得していないけれど、この僕には分かる。


「うーん、じゃァ、こういう考え方はどう?」


 僕は尚も曇ったままの表情を浮かべるフィーナの口元に、一口分のキャロットケーキを刺したフォークを近づけた。


「前に君が言ってたじゃないか。なんだっけ……植物同士が互いに良い影響を与え合うってヤツ。ハーブが野菜を虫から守ってくれたり、それぞれの育ちが良くなったりする――」


「ハーブの共生効果……コンパニオンプランツですか?」


「あァ、それそれ」


 僕がフィーナから教わった知識を引っ張り出すと、彼女の瞳にキラキラとした光が宿った。

 フィーナは僕がスパイスやハーブの話をすると喜ぶ。

 僕はそんな彼女の顔を見るのが密かな楽しみで、実はけっこうちゃんと覚えていたりする。


 コンパニオンプランツは、ハーブの強い香りが害虫へのバリアになったり、カビを予防してくれたりと、植物に有益な効果をもたらす。バジルとトマト、ミントとキャベツ、ラベンダーと薔薇など、相性のいい組合せがいくつかある。


(たしか、ニンジンは――)


 僕はキャロットケーキをチラリと見下ろすと、再びフィーナに視線を戻した。


「ローズマリーだ。ローズマリーが僕で、ニンジンが君」


「ふふっ。変なたとえですね。私がローズマリーじゃないんですか? 私の方が詳しいですよ?」


「だって、ローズマリーは“退魔のハーブ”って言うんだろ? 君が土に埋まってる間は、僕がきっちり囲い込んどくんだよ。収穫した後、シナモンみたいな甘っちょろいヤツに盗られないようにしとかないとね」


「アッシュさんってば……。シナモンは素敵なスパイスなんですよ。悪者にしないでくださいっ」


 冗談めかした口調の僕に微笑みながら、フィーナはフォークの先のキャロットケーキにぱくついた。

 我ながら美味しかったようで、「ん~♪」とたまらなさそうな声を漏らしている。

 期待していた反応ではなかったけれど、元気になってなによりだ。


 僕たちは、「依存」じゃなくて「共生」関係。

「いつか」の未来が来るまでは、それでいい。


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