63:愛誓うガレット
最終話です!
空腹のアッシュさんをあまり長く待たせると気の毒なので、私は手早く《ジャガイモとクミンのガレット》を作った。
細切りにしたジャガイモ、ベーコン、チーズ、塩、そしてクミンパウダーを混ぜて焼くだけというお手軽な料理だ。朝食やランチにももってこいだが、お酒との相性もいいので、店では塩味を少し強めにして、おつまみとして出すこともある。
「やったね。僕の好きなヤツだ」
「ですよね。毎回ぺろりと召し上がられるから――」
テーブル席に移動すると、いただきますと口にしてから、ナイフとフォークを手に取るアッシュさん。私はその向かいに座り、にこにこと彼を見守ろうとした。
けれど、クミンのほろ苦く神秘的な香りが私の鼻腔を刺激して、チャンスを逃したらダメだと叱咤してきた。
食べる前に、言いたいことが――言わなくちゃいけないことがあるんだ。
「あの!」
思っていた倍以上も大きな声が出てしまい、アッシュさんだけでなく私まで驚いて目を丸くしてしまった。
緊張して、口の動かし方が分からない。声も裏返り、唇も震えている。
そんな私を急かさずに、アッシュさんは黙って待っていてくれた。
そうだ。私はいつもアッシュさんを待たせてばかり。
「きょ……今日、クミン入りのガレットを作ったのは、アッシュさんがお好きというのもあるんですが、別の理由もあって……。クミンは美容や薬にも使われるような、幅広い用途のあるスパイスで……、えっと、消化促進や食欲増進の効果があります。異国では、クミンの神々しい香りが恋人の心変わりを防ぐとも信じられていて……っ」
普段のスパイスマシンガントークはどこへやら。
もじもじとスパイス語りをする私は、顔がどんどん熱くなっていくのを感じながら、後半がすっかり尻切れトンボになっていた。
見兼ねたアッシュさんは、顎に長い指を添わせながら助け舟というか、ズバリ核心に近い内容を口にした。
「へぇ。つまり、君は僕の心変わりを防ごうと、これを作ってくれたわけだ。独占心ってヤツ?」
挑戦的に輝く金色の瞳が、私を捉えて離さない。
低くて艶のある声が、肌をぴりぴりと刺激する。
アッシュさんは、私の決定的な言葉をずっと待っていた。
私のそばで。二年以上も。
(待たせてごめんなさい。待っていてくれて、ありがとう……)
「それだけじゃないです。私の心も変わらないことを示したくて……。私にはかつてのアッシュさんのように、愛を証明する手段がありません。だから残りの人生をすべて使って、あなたを愛したい……。私、アッシュさんを死ぬまで愛する覚悟ができましたから――!」
言いたいことを言い切ると、目の前の景色がいつもより明るく見えた。
四年前、ルゥインの死で暗く歪んでしまった私の世界。
無限の絶望から逃げていた私と、時間に追われていたアッシュさんの運命がたまたま重なって、こんなふうに離れ難い気持ちをもたらすなんて想像もしていなかった。
大切な人や仲間を失う喪失感は一生消えることはないけれど、アッシュさんと二人なら、それも全部背負って生きていくことができると思った。
アッシュさんとの出会いは、私をじんわりと癒し、一歩前へと踏み出す勇気を与えてくれた。
「アッシュさん、大好きです」
「嬉しいなァ……。受け入れてもらえるのって……愛されるのってこんなに嬉しいんだね……」
軽口を叩くふうにしゃべるアッシュさんだったが、その声はくぐもっていて、金の双眼には涙が滲んでいた。
「必ず幸せにする。僕も死ぬまで君を愛する……。あー……ダメだ、もっと格好のいいこと言いたいのに、ありふれた言葉しか出てこない……」
こぼれた涙を乱暴に手の甲で拭うと、アッシュさんは立ち上がり、身を乗り出して、私の顎を指でクイと持ち上げた。
今までの余裕のある彼とは違い、切なそうに歪んだ表情から滲む抑えきれない感情は、私にも痛いほど伝わって来た。
「アッシュさん……」
「好きだよ、フィーナ。愛してる――」
そう告げるアッシュさんの表情は甘かったけれど、彼の口づけは優しく触れるだけではなくて、深く愛を貪り尽くそうとするものだった。
何度も角度を変えて、唇や頬、耳や首まで執拗に攻められて、私の体は痺れるようなとろける快楽にくらくらしてしまった。
「あ、あの……っ、ちょっと……待っ……んっ」
呼吸をするのも大変なくらい激しく求められ、私はびくびくと震えながら熱い息を短く吐き出すのだが、その様子がアッシュさんの加虐心を掻き立てているらしい。
ようやくアッシュさんは唇を離してくれたが、まだまだ満足できないと言いたげな目を私に向けてきた。
「二年お預けを食らってたんだ。足りるわけないだろ? 僕は、もっともっとフィーナがほしい」
「そ……そういう情熱的な言葉は、お食事が済んでからいくらでも聞きますから……!」
全身がふわふわと浮いたような感覚に包まれていた私は、テーブルに体重をかけてなんとか座った姿勢を保っていた。
テーブルにはクミンの神秘的な香りが漂うジャガイモのガレットが手付かずで置かれたままになっている。冷めても美味しいことは分かっていたが、私はアッシュさんが空腹であることだって知っていた。
「また大事なところでお腹がなっちゃいますよ」
「それはちょっと嫌だなァ。じゃ、焦らず前菜をいただくよ」
「前菜じゃないですよ」
「前菜だよ」
アッシュさんに柔らかい雰囲気が戻ってきたので、私たちは再びテーブルのガレットを囲み、向かい合って座った。
明日の夜からは、また【スパイス食堂】を営む日々が始まるが、その景色はきっと、昨日とは少し違うのだろう。
温かい色の灯りがお客さんと私たちを照らし、心を癒すスパイスの香りが店を包む。
美味しくて幸せな二人の残りの人生を想像すると、私の胸は晴れ晴れとした心地がして、自然と顔がほころんだのだった。
無事、ハッピーエンドを迎えることができました。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!




