57:愛の証明
「え……。え……? えぇぇーっ⁉」
私の素っ頓狂な声が響き渡り、店が揺れた。
予想していなかった急展開に頭が混乱して、情報の整理がまったく追い付かない。
アッシュさんは何て言った? 私、何か聞き間違いをしていない??
「呪いが消えたって言いました?」
「言った」
「愛が呪いを打ち消すって言いました?」
「言った」
「君をあ……愛してやまないって……」
頬を真っ赤にしながらもじもじとした小声で尋ねると、アッシュさんは吹っ切れた様子で「ちゃんと聞こえてるじゃないか」と語気を強めて言った。
私はそれでも何が何だか分からず、頭の中はお湯が沸いたかのように熱くなっていた。視界もぐるんぐるんと回っているような感覚がして、声はずっと上ずっている。
「だだだだって、アッシュさん、私の料理には特別な力がないって――」
「それは本当。いくら調べても、君の料理は至って普通のものでしかなくて……、特別な変化があったのは僕の方だった。感情の高まりが熱になって、氷の魔力どころか、魔獣の呪いそのものを燃やしていたんだ」
「わ……分かりません……!」
理解力がすっかり低下してしまった私をアッシュさんは半眼で「思考の拒否禁止」と、睨みつけると、テーブルの向かいに座る私の額に強烈なデコピンをお見舞いしてきたではないか。
「いたぁぁぁっっ!」
鈍い痛みに悶絶する私をクククと喉を鳴らして笑うアッシュさんは、頬杖を突いてこちらを愉快そうに見つめていた。
「なんで意地悪するんですか……っ」
「ホントはキスしたかったけど、今ので我慢してあげたんだよ」
「へっ⁉」
「……フィーナ。愛してる――」
アッシュさんの口から、改めて二度目の「愛してる」を聞いた私は、直感的に嘘じゃないと感じた。
不意打ちの眼差し――とても柔らかく、悪戯っぽくて、優しい視線が私に注がれて、むずむずと体が疼くような、全身が熱くなるような複雑な感覚に戸惑わずにはいられなかった。
「一緒に過ごすうちに、君に惹かれる自分が止められなかった。君の優しさの溢れる料理が、ただ命の終わりを待っていた僕に熱を灯してくれた。そして、愛を教えてくれた。僕が諦めていた、魔獣の呪いに対抗する熱い感情に根差した魔力を生み出させてくれたんだ。でも、君の気持ちが婚約者にあることだって分かってたし、婚約者――ルゥイン君の命を奪ってしまった罪もなくなることはない。……だから僕は君のそばを離れて、この気持ちを墓場まで持って行こうとしていたんだよ」
「アッシュさん……」
「なのに君がここまで追ってきて、料理を食べろって言うから。『よしよし』なんてしたら、料理人の大事な手が凍傷になっちゃうだろ」
アッシュさんはテーブルの向かいに座る私の両手を取ると、愛おしそうに優しく撫でた。「あったかいな、君の手は」、と。
「あ、あああアッシュさん……っ」
「驚いた? 僕って君のことすごく好きだったんだよ。前はわざと傷つけるような言動を取ったけど、強引にキスしたり、動けないくらい強く抱きしめたり……あぁ、抱き潰したいって思ってるのもホント。それくらい深く愛したい。誰にも触らせたくない。僕だけのフィーナにしたい。この胸の痛みも苦しさも、全部君のせいだからね」
真面目な顔で情熱的な台詞を並べ立てられ、私の意識は宇宙の彼方に飛んでいく寸前だった。
けれど突然愛していると言われても、こちらは何の心の準備もできておらず、ましてや気持ちの整理がついていなかった。
たしかにアッシュさんのことは好きだ。愛していると言われて、素直に嬉しかった。一緒にいたら楽しいし、もっとスパイス料理を食べてもらいたい。そしてこれからも二人でお店を続けたい。
(でも、私の心の中にはずっと、ルゥインがいる……)
ルゥインの笑顔も、声も、優しさも。それだけはずっと忘れなかったし、死んでも覚えていると思う。
私が彼のために生きた歪んだ時間も消えないし、なかったことにするつもりもない。
私はまだ、ルゥインのことを心の底から愛していた。
「わ……私もアッシュさんが好きです。でも、まだルゥインのこと……忘れられなくて……。もう二年経ってても、彼の……彼の死を忘れていた私にとっては昨日のこと同然で……、だからアッシュさんと同じ気持ちを求められても、応えきれない……です……」
私が手を撫でてくれているアッシュさんの手を握り返せないまま、かすれた声を搾り出す。
相手が真剣だからこそ、安易に受け入れるわけにはいかない。
大切なアッシュさんだから、なおさら。
アッシュさんはそんな私の手をクイと引き、自分の口元に近づけた。
ぺろりと出してみせた舌には呪いの痕は残っておらず。
私はアッシュさんに手の甲を舐められるのではないかとドキドキしてしまい、反射的にきゅっと目をつぶった。
(……っ、あれ……⁉)
人肌の柔らかいぬくもりを感じて私が目を開くと、アッシュさんは悪戯っぽい目をして、すりりと私の手に頬ずりをしていた。
「別のこと、期待してた顔だ。キスかな? それとも別のかな?」
「ふぇっ! ち、ちが……っ」
真っ赤になっておろおろする私がサッと手を引っ込めると、アッシュさんはニヤニヤしながら再びフォークを手に取った。そして、皿の中のソーセージをぷすりと刺した。
「タイムって、勇気が出るハーブなんでしょ? 勇気を持って告白した甲斐があるよ」
「わ、私オッケーとは言ってませんけど⁉」
会話が噛み合っていないことに慌てた私はヤキモキしてたまらなかったが、アッシュさんは落ち着いた口調で「そうだね」と言った。
「ルゥイン君に勝とうとか、代わりになろうなんて思っちゃいないよ。もちろん、二番に甘んじるつもりもない。……ただ、僕は僕なりに君に愛を伝え続けようかなって」
「でも、アッシュさん――」
口を開きかけた私の口に、アッシュさんはポトフのニンジンを「あーん」と放り込んで黙らせると、猫のように目を細めて微笑んだ。
「大丈夫。君、さっきからいい反応ばっかりだし。……僕には時間がたっぷりあるから」
とても優しくて意地悪な金色の瞳は、私を捉えて離さない。これからもずっと。私はそんな気がしてならなかった。




