53:雪降る帝城
遡ること半刻前――。
長い船旅を終え、私はヴェルファさんに連れられて帝国のお城にやって来た。
宮廷魔術師の勤務地がお城であることは考えればすぐに分かることなのだが、まさか自分がこんな高貴な場所を訪れることになるとは微塵も思っていなかったので、私の足はすっかり竦んでしまっていた。
帝城は思っていたほど美麗に飾られているというわけではなく、質実剛健という言葉が似合う堅固そうな城だった。
だが、お城はお城。広くて高くて大きくて、騎士や使用人もたくさんおり、王国の田舎貴族の私など、場違いも甚だしいと思えてならなかった。
「アッシュさんはこんなすごい場所で働いてらしたんですね……」
綺麗な敷物が敷かれた立派な廊下を歩きながら、私は数歩前を歩くヴェルファさんに話しかけた。
ヴェルファさんはさすがは公爵様というだけあり、とても堂々とした佇まいをしていたが、私に向けてくれる表情は今まで通り柔らかかった。
「あぁ。とんだ社畜ヤロウでさ、朝から晩までよく働いてたよ。まぁ、内容に興味があるなら、フィーナちゃんが直接聞いてやってくれ。きっと自慢げに話すぜ?」
「……はい」
私の知らないアッシュさんの話を聞いて、もっともっと知りたい……という感情がふつふつと沸いた。
たくさんのことを秘密にされ、偽られていたことには腹が立ったり悲しく思ったこともあったが、それでも彼のことを嫌いにはなれなかった。どう言い表していいのか分からないが、私の心と簡単に切り離せない存在になっている――そんな感じがする。
もうすぐアッシュさんに会える――そう思うと、胸がぎゅうぎゅうと痛み、ドキドキと高鳴った。
王国に帰したはずの私が現れたら、アッシュさんはどんな顔をするだろう。
やっぱり怒るかな。呆れた顔で笑ってくれたらいいのにな……と、アッシュさんに会った時のことを想像して、私はそわそわしながらスカートの布をぎゅっと握った。
「大丈夫でしょうか……。私、お料理するの、久しぶりで……」
想像が再会した後にまで及んでいた私がそう口にすると、ヴェルファさんは「ぷっ」と堪えきれなくなったように吹き出した。
私はなぜヴェルファさんが笑ったのか理解できず、恥ずかしくなって辺りをきょろきょろと見回したが、笑われていたのは間違いなく私だった。
「だ……だって、本当にそうなんです! アッシュさんと二人で食べたアヒージョが最後で……。あの日の夜にあんなことに……」
「ごめん、ごめん。うん、分かった、分かった……。ウチの娼館に泊まった日も、フィーナちゃん、まったく調理場に近づかなかったもんな。アイツを思い出すから、嫌なんだろうなとは思ってたんだ」
否定できずに沈黙すると、ヴェルファさんは「んじゃ、めちゃくちゃ美味いもん食わせてやらないとね」と、頭の後ろに手を組んで笑ってみせた。
(ヴェルファさんのお陰で、ちょっと落ち着いたかも……。今度こそ……ちゃんとアッシュさんと話をするんだ――!)
ふぅーっと息と一緒に緊張を吐き出しながら、ヴェルファさんの後ろを小走りでついて行く。
ヴェルファさんは、「アシュバーンの部屋は一番上の階にあって」と階段を指差していたのだが、不意にひんやりと冷たい空気が首筋を撫でた気がした私は、近くにあった床から天井近くまであるような大きな窓ガラスを振り返った。
立派な窓からは、真っ白な雪が降る積もったお城の中庭が見えていた。
そこには体格のいい黒髪男性と、細身の白髪男性が立っていて――。
私は大窓を勢いよく押して開くと、中庭に飛び出した。
身を切るような寒さを吹き飛ばす大声で名前を叫んだ私を振り返ったのは、泣き出しそうな瞳をしたアッシュさんだった。




