5:違法薬物じゃありません!
最新設備のキッチンは、立っているだけでわくわくした。実家の年季の入った厨房を使うと、いつも家族が可哀想な視線を向けて来たので、なんだか悪い事をしているような気分になっていたが、ここは違う。誰からもため息を吐かれることがなく、ひたすらに私の自由な空間だ。まぁ、借り物なので、丁寧に大事に使わせていただくんだけど。
私はるんるんで食材を調理台に並べ、研究に研究を重ねたレシピを頭に思い浮かべた。それは王国から南に遠く離れた暑い国の料理を再現したレシピで、体がカッカと温まる料理だ。
(深夜に食べるなんて背徳深いけど、私の分も作っちゃおう)
まずは氷漬けにされた鶏肉の下処理を始めた。小ぶりな丸鶏が立派なメロンくらいのサイズの氷に包まれていて、魔法が使えない私では一瞬でどうこうできるものではないことは、一目瞭然。きっとイケメンに頼めば即鶏肉を取り出すことができるのだろうが、なんだか悔しいので、湯煎して氷を溶かすことにした。
(さっきのマジックバッグ、私も欲しいなぁ……。ルゥインとの新婚旅行にあったら絶対便利だよね……)
溶けていく氷を見つめながら、生まれて初めて見た異次元魔法具と大好きな婚約者に想いを馳せる。新婚旅行先はどこがいいだろう。やっぱりスパイス料理がたくさん食べられる国がいいかなぁ……っと、そうだった。スパイス料理を作らなくちゃと、私はハッと我に返って、テキパキと氷から解放された丸鶏を包丁で捌き、鶏モモ肉部にフォークで穴をぷすぷすと開けると、一口大にカットした。
残りの肉は鍋でコトコト煮ておく。本当は三時間くらい煮込みたいが、今日は時短バージョンで勘弁してもらおう。
お次は野菜だ。一度包丁とまな板を綺麗に洗ってから、玉ねぎとトマトをみじん切りにする。
有難いことに私は玉ねぎを切っても涙が出ない。オリビアからは「姉さまは涙がカラカラに枯れちゃったのよ」と砂漠のバケモノを見るかのような視線を向けられたことがあるが、調理中に涙なんて必要ないので、枯れていてけっこうだ。
(誰に何を言われたって、料理は楽しいんだから……!)
フライパンを火にかけ、油を熱し、玉ねぎ、鶏モモ肉も投入して中火で炒めていると、それだけで食欲をそそる香りがキッチンに広がっていく。けれど、こんなものじゃない。
(お待ちかねのスパイス! 入ります‼)
私は命とルゥインの次に大切にしている木箱――スパイスボックスを開くと、粉末の入った三種類の小瓶の蓋を開けた。
「はわぁぁぁ……、これよこれぇ……」
ふわりと強く個性的な香りが鼻腔を刺激し、私の頬の筋肉は自然とゆるゆるになってしまう。はぁはぁ……と、呼吸は荒く、表情は多分、割と恍惚としていると思う。ソファからキッチンを見張っているイケメンの引き気味な視線が痛いが、決して違法薬物ではない。決して!
だらしなく緩んだ頬を両手でもにゅもにゅと揉みつつ上に引き上げてから、私は粉末以外のスパイスや保冷庫で見つけたバターを少々加え、さらにフライパンを加熱した。
そして刻んだトマトと鍋でコトコトしていた鶏出汁、砂糖、塩を投入し、とろみがつくまで時々混ぜながら煮込んでいくと――。
「なにそれ。チキンのトマト煮? ブイヨンの匂いなじゃさそうだね」
いつの間にかキッチンを覗きに来ていたイケメンが、美しい眉根を不可解そうに寄せてフライパンを睨みつけていた。胸の前で腕を組み、斜め四十五度の角度を付けた少し偉そうな体勢は、顔とスタイルが良くなければ許し難い……というのはいいとして。
彼の言ったチキンのトマト煮という表現は、広い意味では間違っていない。けれど、この料理には別の名前があった。
「カレーです! チキンカレーですよ‼」




