49:アシュバーンの過去(戦争編④)
アシュバーン過去編ラストです。
三日後。僕は、戦地から離れた村で避難民を支援していた部隊によって救出された。
氷点下の雪原で、飲まず食わずの状態で一人生き残っていた僕の存在に彼らは歓喜し、祝福してくれた。
だが僕は、彼らに触れられることを拒絶した。一人にしてくれと懇願し、逃げ出そうとした。
彼らは僕が戦いのショックで気が動転していると思ったらしい。対処に困り果て、上官を呼んだ。上官は臨時で軍に復帰していたヴェルファさんだった。
ヴェルファさんは僕を厚手の外套でくるむと、「ギルベルには会いたいだろ」と、強引に担いで馬車に放り込んだ。
帝都に戻ると氷の魔獣を討伐した戦功を称えられた。
犠牲になった者たちも報われると、遺族から泣いて感謝された。
各国からも認められ、アシュバーン・フォン・ドナペディルは、大陸を救った英雄となった。
けれど僕はそんなことは望んでいなかった。ただひたすら、この現実が悪夢であれば覚めてくれと願っていたのだ――。
◆◆◆
僕がギルベルと二人きりになれたのは、帝都帰還から五日後のことだった。
ギルベルの執務室が酷く懐かしく感じられると、急にふらりとして力が入らなくなってしまった僕は、彼に支えられるようにしてソファに座った。
何から話したらいいか分からず、しばらく沈黙していた僕をギルベルは静かに待ってくれた。
「ギル……。これを返したい……」
ぽつりと呟くようにして口から出た言葉は、新しく貰った勲章のことだった。
氷の魔獣を討伐した栄誉を称えるそれは、僕にとっては罪の証同然だった。見たくない、思い出したくない……、そんな思いで胸から勲章を剥ぎ取り、テーブルに置いた。
「すまない……。僕のせいで……仲間たちが……」
「お前のせいじゃない。皆、命を懸けて戦っていたんだ。自分を責める必要は――」
嗚咽を漏らす僕の背中をさするギルベルの手は、とても熱く感じられ――僕は嫌でも思い出してしまった。
「触らないでくれ! 僕のせいで……、いや。僕が仲間たちを殺したんだ……!」
僕はギルベルの手を払い除け、震えて涙を流しながら彼を見つめた。怯えて泣き叫ぶ自分など、これまで想像したこともなかった。
ギルベルは驚き、言葉を失っているようだった。
「氷の魔獣の魔力を奪おうとしたんだよ。途中までは上手くいってた……。勝てると思った……。だけど、入って来たんだよ。魔力だけじゃなくて、氷の魔獣の魂が……‼ 僕の中に‼」
絶命する寸前、氷の魔獣が僕の体に滑り込ませてきたものは、奴の本体ともいえる「魂」だった。奴は取り込まれたフリをして、満身創痍の僕の体に乗り移ってきたのだ。
氷の魔獣が僕に成り代わろうとしていた。意識を奪われまいとすればするほど、押し返してくる力も強くなり、僕はついに魔力を制御できなくなった。
僕は意識を失い、魔力を暴走させてしまった。
ほんの一瞬で、たくさんの仲間が死んだ。僕が殺した。
そのことをようやく打ち明けることができた僕を、ギルベルは目を赤くして見つめていた。今僕にどんな言葉を掛けたとしても、何の励ましにもならないことを分かっていたのだろう。
「僕は英雄なんかじゃない……。仲間を虐殺した人殺しだ……。それに、氷の魔獣に打ち勝てず、今も命を蝕まれている……」
僕の舌には銀色の魔法陣が刻まれていた。これは氷の魔獣が刻んだ呪い――、僕の命を消費して氷の魔力を作り続けるというものだった。いわば、死の呪いだ。
そして氷の魔力の量が限界値を超えると、またあの日のように暴走してしまう……。そう思うと、僕は恐ろしくて眠ることもできていなかった。
「いっそ殺してくれ、ギル……。僕を地獄に送ってくれ……」
「そんなことを言うな」
「親友の君にしか頼めない……」
蒼白な顔で俯いていた僕は、顔を上げて縋るような視線をギルベルに向けた。底抜けに優しい親友にこんなことを頼む残酷さは理解していたが、僕はそれでも懇願せずにはいられなかった。
けれど、ギルベルは首を縦には振らなかった。
「地獄はここだ、アシュバーン。俺はお前と二人で見るなら、眺める景色は地の底でもかまわない……。だから生きて……、人々のために英雄として死んでくれ……」
体ごと深く屈めて頭を下げるギルベルの黒い瞳からは、雫がぽたぽたと零れ落ちていた。
「嫌だよ……。僕だけ生きるなんて……。みんな、僕を信じてついて来たのに……、なんで……僕だけ……」
ギルベルは虚ろな目をした僕の肩を抱きしめた。
殺めてしまった仲間たちの命を背負い、英雄の皮を被り、偽りで飾って生きていく――。
僕はただ、ギルベルの夢を叶えたかっただけなのに。
「まだ終わっていない。俺も背負う。それでも苦しかったら、すべて俺のせいにしてかまわないから……!」
「この罪は僕だけのものだよ、ギル……。でも時間がないから、君の夢を僕の夢にさせてくれ……」
自分の体のことは、自分が一番よく理解していた。おそらく僕は二年足らずで死ぬ。魔力の暴走がなければ、の話だ。氷の魔獣は僕の命を貪りながら、氷の魔力で僕を、そして周囲の人間を殺してやろうと、機を窺っているのだ。
「王国との国境に深い森があっただろう? あそこを僕にくれるかい……? 氷の魔力が暴走しかけたら、あそこに駆け込むよ。それくらいの我儘、きいてくれるよね……?」
僕はギルベルの肩に顔をうずめ、声を殺して泣いた。
◆◆◆
ギルベルは、僕が雪を素手で掘り起こしてかき集めた兵たちの遺品を遺族に返すつもりだと話した。壊れて原型をとどめていないものも多かったため、遺族の悲しみを大きくしないためにも、僕の魔法で少しだけ直してほしいと言った。
ギルベルは、「ヴェルファ先生から託されていた。お前が雪原で倒れていた時、握りしめていたものらしい」と言って、小さな箱の蓋を開けた。中身は、細かく千切れてしまった糸だった。
「これは……」
ルゥインが手首に巻いていた組紐だった。しょっちゅう手遊びしていたので、きっと大切なものなのではないかと思って見ていた。
もう彼に尋ねる術はないが、もしかしたら婚約者から持たされたお守りだったのかもしれない。
僕が糸くずに指を向けると、銀色の細い氷がバラバラになった糸を絡め取るようにして、シュルル……と太い一本の紐に戻っていった。
(ごめんね……婚約者さん……。僕のこと、恨んでいいよ……)
過去編終了です。
次からいよいよクライマックス章の予定です。お付き合いいただけますと幸いです。




