47:アシュバーンの過去(戦争編②)
僕は前線部隊員と自分に耐寒魔法を施し、氷の魔獣を引き付けた。銀色の巨体は予想通り動きが鈍かったため、隙を突いて後方射撃部隊の魔法で標的の防御壁を削り、最後は僕の炎の大魔法でトドメを刺し、激しい戦いは幕を閉じた。辛勝だった。
およそ丸一日に渡る死闘であり、緊張と恐怖で極限状態だった兵たちは、泣きながら勝利と生存を喜んだ。
さすがの僕も満身創痍だったが、これでギルベルも安心できるはずだと思うと、自然と口角が上がっていた。
僕を含め、帰還できることを皆が嬉しく思っていた。けれど、それが叶わなかった者もいる。当たり前だが兵の犠牲は免れず。回復魔法を専門とした衛生部隊の力をもってしても、戻らない命がたくさんあった。
犠牲となった彼らを弔ってやらねばと、僕は疲弊しきった体を引きずりながら遺体の安置所に向かった。
今思えば、虫の知らせがあったのかもしれない。
砦の端に設けたはずの遺体安置所にたどり着くと、そこには一人の衛生部隊員も、それどころか遺体すら見当たらなかった。
「なん……で……」
僕を蒼白にさせたものは、氷の魔獣だった。
鉄臭い悪臭が立ち込める中、銀色の毛で覆われた氷狼が、鋭利な氷柱のような歯で遺体を貪り食っていた。周囲には食い散らかされた人間の体が散らばっており、僕は思わず強烈な吐き気に見舞われた。
「おぇぇ……うぐ……っ、この……ッ」
僕が震えながら憎悪の両眼で睨みつけると、氷の魔獣はようやく食べることをやめ、こちらを向いた。
ギョロギョロとした紅い瞳が僕を見つめ、血の滴る口元からは凍るほど冷たい息がフーッフーッと吐き出されている。僕は咄嗟に耐寒魔法を唱えたが、気を抜くと四肢が凍ってしまいそうなほどの大吹雪が襲って来た。
(く……ッ。トドメを刺しきれていなくて、体力を失っていると信じたいが……。残りの魔力でいけるか……?)
だが僕は、そこで恐ろしい事態を耳にした。
「アシュバーン様! 大変です! 氷の魔獣が他に――」
一刻も早く大将に知らせなければと息を切らせて走って来た帝国の兵は、遺体安置所に入った途端、氷の魔獣に飛び掛かられて腹を食いちぎられた。
一瞬の出来事で、僕は敵の瞬発性に対応することができなかった。この速さは僕が討った個体にはなかった。そして兵が言いかけていた言葉と併せると、否定し難い事実が浮かび上がった。
目の前の獣は、僕が討ったものとは別の個体だったのだ。
(仲間がいたのか? まさか、ツガイか……⁉)
これを絶望と言わず、何というべきか。
兵の数は減り、生き残った者たちも皆、満身創痍。
そしてこの僕も――。
(ギル……、ダメだ。勝てない……)
氷の魔獣の咆哮が砦中に響き渡り、空気を震わせた。その意識を奪うような圧に僕は膝を突いてしまい、激しい吹雪で呼吸もままならなくなってしまう。耐寒魔法も途切れてしまい、途端に骨身が凍るような激しい痛みが全身を襲った。視界が霞み、意識が遠くなる。床に伏して身動きが取れず、死が迫るのを感じた。
その時だった。
若者が「うおぉぉぉッ!」と雄叫びを上げながら突っ込んできたかと思うと、倒れている僕の前に重歩兵の大楯を突き立てた。
大楯のおかげで直撃していた吹雪が少しマシになり、浅い息をすることができた僕の意識は絶望の現実に引き戻された。
「はぁ……あぁ……、ルゥ……イン……!」
凍りかけていた喉の痛みを堪えながら、僕は助けに駆けつけてくれた騎士の名を呼んだ。
ルゥインは大楯を体で押すようにして支えながら、「間に合って良かったです!」と力強く頷いた。その手は凍傷になりかけているし、足だって先の戦いで骨折していた。
「君……は、逃げろ……。待ってる人が……いるんだ……ろ……」
「いますよ、大好きな子が……。オレ、故郷を発つ時に彼女に料理の本を贈ったんです。帰ったらきっと、美味しいご飯を作ってくれると思います。アシュバーン様も食材のお土産なんかを持って、ぜひ来てくださいよ。最強の上官なんだって、彼女に紹介しますから」
吹雪に煽られる盾を必死に支えるルゥインは、恐怖を押し殺した表情でニッと笑ってみせた。琥珀色の瞳には不敵に笑い返す僕の顔が映っていた。
「最強の上官……? 謙遜はしないよ……」
僕は全身の痛みを堪えて体を起こすと、渾身の力を込めてパチンッと指を鳴らした。
すると僕と氷の魔獣を繋ぐようにして、床に縦長の魔法陣が出現した。絶対に逃がさないという闘志を魔法陣に灯し、僕は再び指を鳴らした。
パチンッ
「どんな料理か楽しみだなァ……」
魔法陣の明るい金色の光に照らされる僕は、残り少ない魔力をそこに全て注ぎながら、大きな賭けに出た。
「仲間を殺した僕が憎いか……? ならその感情は僕だけにぶつけろ……! 取り込んでやるからさ……!」




