41:前を向くために
私はヴェルファさんの娼館に保護され、奥の事務所で怪我の手当を受けた。ヴェルファさんは昔軍医さんをしていたらしく、これくらいの処置はお手の物だと言った。
「はははっ。その顔、俺のギャップにびっくりしちゃった?」
事務所のソファに座らせてもらった私は、ヴェルファさんに包帯を巻いてもらいながら、「はい……。正直、ちょっと意外なだって……」と小声で返した。そもそも公爵様が【夜王】と呼ばれているだけでも驚いていたのに、さらに経歴が追加されるなんて思いもしなかったのだ。
「俺って公爵家の次男だったんだよねー。だから爵位継ぐ予定なんてなくて、一生戦場にいるつもりで医者になってさぁ。でも、愛国心の強かった兄貴ってば、止めたのに戦場に行っちまったの……。俺はそんな兄貴を尊敬してたんだが、残念ながらそのまま帰って来れずに、気づいたら俺が公爵様だよ」
「そう……だったんですね……」
ヴェルファさんは軽い口調で話したが、私の返事は湿っぽかった。
彼の言うように、貴族の家の次男や三男は爵位を継ぐことがないため、家を出て職に就くことがほとんどだ。稀に嫡男にもかかわらず、正義感から騎士を志すような者もいるが、基本的には命がなければ家族や領民たちを路頭に迷わせてしまうため、領地経営に専念することがほとんどだ。
「お兄様に婚約者さんや奥様はいらっしゃいましたか? 遺された皆さんは、おつらくなかったですか?」
胸の奥がヒリヒリと痛む。私が蒼白な顔を歪ませていると、ヴェルファさんは何かを察したらしく、包帯を巻き終えると、ソファの隣に深めに腰掛けた。そして大袈裟に明るい声で「そりゃあね」と指で無精髭の生えた顎をじょりじょりと撫で回した。
「つらかったよ。まぁ、俺よりジェシカさんの方が……。あ、ジェシカさんってのは、兄貴のキレーな嫁さんな。彼女、当時しばらくは泣き暮らしてたけど、俺が『戦争じゃなくて経済で世界を回そうぜ』って誘ったらついて来てくれてさ。今じゃあ、帝都一でっかい賭場の支配人だ。肝が据わってるよなぁ」
「お二人とも大切な方の人の死を受け入れて、前に進まれたんですね……」
唇を噛み締め、「私とは違って……」という言葉を飲み込んだ。
ヴェルファさんも、ジェシカさんも、故人を悼み、新たな人生を歩んでいる。状況は私とルゥインにそっくりなのに、彼の死をなかったことにして逃げ出した私とは大違いだ。
私の瞳の色が沈んだ様子を見て、ヴェルファさんは何かを察したらしい。彼は「ちょっと待ってて」と言って事務所を出て行くと、数分後にマグカップを手にして戻って来た。温かそうな湯気の浮かぶマグカップの中身は、甘い香りのココアだった。
私が目を丸くしながらマグカップに口をつけると、ミルクのまろやかさとココアのコク深さが口の中で広がって、なんだか体の底が温かくなるような感覚がした。
「私、てっきりお酒が出てくるのかと……」
「悩める女の子にはココアだろうに。ま、ホントはいい感じのハーブティーなんかがいいかとは思ったんだけど、そこまで詳しくないからココアで勘弁! ってね」
ヴェルファさんは手をひらひらさせながら笑うと、自分はお酒の入ったグラスをぐいと煽った。
「ココア、美味しいです。ありがとうございます」
「そりゃよかった」
「……」
「……」
しばらく沈黙が流れたが、居心地は悪くなかった。ヴェルファさんは私の気持ちが落ち着くのを静かに待ってくれているようで、ただただ音のない時間が過ぎていき――。
「……ヴェルファさんは、アッシュさんが戦争の英雄だって知っていらしたんですか?」
私のぽつりと小さな問い掛けに、ヴェルファさんは「そりゃねぇ」と顎鬚を撫でながら答えた。
「あいつに聞いたの? 『大魔術師アシュバーン様』の話」
私はこくりと頷いた。
「その顔は、聞いて嬉しくなかったわけか。あいつ口悪いもんなぁ。なんか酷いこと言って来た? 喧嘩した?」
「それは……」
「いーよいーよ、無理に言わなくて。俺、昔貴族学校の医学講師やってたことがあってさ。アシュバーンはその時の生徒だったんだ。偉そうだし、社会舐め腐ってやがるし、嘘も平気でつくし、とんだクソガキでねぇ……。何度もしてやられたよ」
俯いていた私の顔がわずかに上向いたためか、ヴェルファさんは大袈裟に肩を竦めてみせた。
「知らなかった……。アッシュさんがヴェルファさんの教え子だったなんて」
「あいつはべらべらといらない自慢話ばかりして、実は大事なこと隠すようなヤツなんだよ。社交界じゃあ、それくらいの方が隙がなくていいっちゃいいんだけどね……。フィーナちゃんから言いにくいことがあったら、このヴェルファさんが代わりにガツンと言ってやろうか? 今の帝国じゃあ、あいつに説教できんのは俺と皇帝様くらいだしさ」
ヴェルファさんがシュッシュとパンチをする真似をするのが面白く、私の頬は無意識に緩んでいた。
ヴェルファさんは人当たりがよくて、包容力がある人だ。おかげで私は冷静さを取り戻すことができ、自分がどうしたいかが分かって来た。
「お気持ちは嬉しいです。……でも、私、自分でアッシュさんと話がしたいです。ちゃんと今までの感謝と私の気持ちを伝えて……、アッシュさんの想いも受け留めたい……。お互い冷静になれば、別の答えを出すことができるかもしれないですから」
「そっか。なら、俺が明日、アシュバーンを呼んでやるよ。今夜は事務所に泊まってくれたらいいし。ソファしかないけど、お客さんが来る部屋より寝れるでしょ?」
「ありがとうございます。とても助かります」
ヴェルファさんは私とアッシュさんの間に起こった事を知らないからこそ、カラッと明るい笑顔を見せてくれた。その明るさが私にとっては救いになっていて、自分も一歩踏み出してみようという気持ちにさせてくれた。
けれど――。
翌日娼館に現れたアッシュさんは、私に「サヨナラ」と言ったのだった。




