38:依存
主人公しょんぼりが続きますが、キー展開まであと少しです!
その日から、【スパイス食堂】は休業になった。
いつかルゥインとお店をやりたいという夢を掲げた自分が正常ではなかったと自覚すると、営業する意味などどこにも見つけることができなかった。
だから、今はただアッシュさんのためにキッチンに立った。
私の料理には大精霊の魔力を制御する特別な力があると、アッシュさんは言ってくれた。
アッシュさんが必要としてくれるから、私はまだ生きようと思えた。
自分が誰かを傷つけるだけの人間じゃないと、アッシュさんが証明してくれる気がして、私は一生懸命に料理をした。
けれど、アッシュさんが私の下に来てくれるのは、夜から朝までだけだった。
当然だ。彼には彼の生活があって、昼間は日の当たる明るい場所で仕事をしている。きっとギルさんのようなお友達がたくさんいて、もしかしたら素敵な女性と親しくしているかもしれない。
アッシュさんがいない間、私はそんなことを想像しながら、ベッドで丸くなって眠ることが増えた。
カーテンは閉め切り、外に出ることも、誰かに会うこともなかった。
ひたすら夜を待ち、アッシュさんが訪れることだけを楽しみにしていた。
ぽっかりと空いた心の穴を埋めてくれるのは、アッシュさんだけだった。
「やぁ」
転移魔法の煌めきの中から現れるアッシュさんはとても眩しくて、私はいつも身を焦がされるような感覚を得ていた。私に会いに来てくれることへの感謝と、今日も会えたことの嬉しさのせいかもしれない。
「アッシュさん、こんばんは……!」
「コンバンワ。すぐで悪いけど、職場でいいエビ貰ったから、これで何か作ってくれない?」
アッシュさんがマジックバッグから氷漬けのエビを取り出して、キッチンのカウンターの上に置いた。他にも数種類の野菜が隣に並べられている。
私は店に籠るようになってから、マジックバッグをアッシュさんに返していた。アッシュさんが「貰い物を入れとくのにちょうどいいから」と言ったからだ。
けれど多分、彼が持って来る食材は、貰いものばかりじゃない。口にはしなかったが、私のために買ってきてくれてるんだろうということには、薄々気がついていた。
「エビとマッシュルームのアヒージョを作ります。お好きでしょうか?」
「うん。好きだよ」
その言葉は私をとても安心させた。
アッシュさんの好きなものを作ったら、きっと喜んでもらえる。
アッシュさんの「美味しいよ」という言葉も好きだ。
私の料理で彼が笑ってくれたら、私は自分に価値があることを認識できて嬉しかった。
その日は二人でアヒージョを食べて、食後にチャイミルクティーを飲んで、他愛ない話をした。
いつの間にか私は軽くうとうとしていて、アッシュさんに「シャワーを浴びて寝なよ」と言われたが、彼がいてくれる間は起きていたかったので、眠くないと嘘をついた。けれど、アッシュさんに嘘は通用せず。私はバスルームに放り込まれた。
シャワーの間にアッシュさんが帰ってしまっていたらどうしよう……と、不安になった私は急いで入浴を済ませてバスルームを飛び出すと、アッシュさんは階段の前で手をひらひらと振っていた。
「僕がベッドまで連れて行ってあげるよ。世話が焼けるお姫様」
冗談めいた大袈裟な口調のアッシュさんは、恭しい態度で私に手を差し伸べてくれた。
私はその白くて綺麗な手をそっと取り、「ありがとうございます……」と言って彼の顔を見上げた。
アッシュさんは、ベッドまで私の手を引いて歩いてくれる。まるで過保護な親鳥のよう。私がベッドに潜り込んでからも、花に触れるかのような優しい手つきで私の髪を持ち上げてみたり、たまに頬を指ですりすりと撫でたりする。けれど、それだけだ。
私に役割を与えてくれる、不器用だけど本当は優しいアッシュさん。
前にも後ろにも進まない、生ぬるくていつまでも溺れていたくなるような関係に縋る私のことを彼はどう思っているのだろう。
「お願いです……。アッシュさんは私を置いていかないで……」
眠くなると悪夢が迫ってくる気がして、私は毎日怖くて泣いていた。
幼い子どものように小さく震え、アッシュさんの手をきゅっと掴んで離さない。一人になることが恐ろしかった。
そんな私にアッシュさんは眠る魔法をかけてくれる。彼が額に落としてくれる優しいキスは、孤独に怯える私を穏やかな眠りに誘ってくれるのだ。
けれど、今日だけは少し違っていた。
私がぐすぐすと泣きながらアッシュさんの手を握っていると、不意に強い力で握り返された。
「アッシュさん……?」
半眼のアッシュさんと目が合ったかと思うと、彼はベッドの上に乗り上げて来て、私に馬乗りになる体勢で両肩を押さえつけてきた。ギシ…とベッドが軋む音がして、私の心臓はドクンドクンと脈打った。金色の双眼に射竦められ、私は身動き一つ取ることができない。
「フィーナ」
アッシュさんの静かな声が空気を震わせた。名前を呼ばれただけなのに、私の体はなぜか熱く疼き、心はひりひりと痛んだ。アッシュさんの瞳の奥が見えていたからかもしれない。
「……僕の本当の名前、アシュバーンっていうんだ。さすがに知っているだろう? 魔獣戦争で連合国軍を率い、勝利を収めた大英雄。……でさ、君の婚約者……ルゥインだっけ? 彼は僕の部隊にいたんだよ。だけど、部隊で生き残ったのは僕だけ。僕は君の愛しい人を捨て石にしたんだ。王国の顔を立てて雑魚を使ってやったんだから、寧ろ感謝されたいくらいだったよ」
抑揚のない淡々とした声で話すアッシュさんは、私が何も言えずにぽろぽろと涙を流す姿を見て、フッと口の端を持ち上げて笑った。
「憎いだろう? 僕のような冷酷な上官さえいなければ、君の婚約者は死なずに済んだんだ。僕は自分だけが無事ならそれでいいと思っているし、君のことだって――」
アッシュさんの指が私のデコルテをツツツ……と撫で上げ、そのまま顎を持ち上げた。されるがままの私は、アッシュさんの指を無理矢理咥えさせられ、「う……あぅ……」となまめかしい悲鳴を上げた。
「――依存させて、逃げられなくして、絶望させてさ……。これから死ぬまで僕のために料理を作らせて、自分勝手に抱き潰すよ。……いいよね?」
私の口から指を引き抜いたアッシュさんは、その指をぺろりと舐めながら言った。
そのゾクゾクするような低い声とは裏腹に、カーテンの隙間から射し込む月明りに照らされるアッシュさんの瞳の奥は、感情を押し殺しているかのように震えていた。




