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35:きっかけ

シリアスが続きます!

「フィーナ、これあげる」


 旅立つ前のルゥインが、私に本を何冊かくれた。


 赤茶色の頭を照れくさそうに搔きながら、ルゥインは「スパイス料理の本なんだ」と付け加えた。

 彼は昔から、魔力がなくて家業の役に立たない私のことを気にかけてくれていて、だから魔力がなくても薬草や香草に関わることができる本をくれたのかな? と、私は思った。たしかに料理で治療ができたら、薬師と名乗ることもできるかもしれない。


 けれど、私がそうなのよねと尋ねると、ルゥインは慌てて首をぶんぶんと横に振った。


「そういうつもりじゃなくて、君が自分のために作ってみたらどうかなって。フィーナって、心の疲れが体に出やすいだろ? スパイス料理は心と体を労わってくれるんだってさ」


 私は礼を言ってそれらを受け取った。

 正直、料理はあまり得意ではなかったし、スパイス料理に特別大きな興味を持ったわけでもなかった。でもルゥインの優しさがただただ嬉しく、彼が戦地から帰ってくる頃には何品かくらいは習得していてもいいかなと思った。


「こちらこそありがとう。この本、フィーナがくれたお守りのお礼だから」


 ルゥインはそう言って、手首に結ばれた組紐のお守りを掲げて見せてくれた――。



◆◆◆

 私がぼんやりと目を開くと、体がとても痛かった。どうやらカウンターテーブルに突っ伏して居眠りをしていたらしい。誰かが肩から掛けてくれたのか、毛布で体は温かかった。


(何時だろう……? というか、そもそもここはどこだっけ……、どこかのお店……?)



 窓の外は暗くて、月明りが射し込んできている。

 私がむにゃむにゃと目をこすりながらテーブルに触れると、たくさんの手紙が散らばっていた。私は何度も何度も繰り返し読んだらしい、くたびれた手紙を手に取ると、すぐに状況を思い出した。


(そうそう。私、【スパイス食堂】をしながらルゥインが迎えに来てくれるのを待ってたんだ!)


 蘇った鮮やかな記憶にうんうんと大きく頷いていると、頭の上から「起きた?」と聞き慣れた声が降って来た。私が顎を上げるようにして上を向くと、すぐ後ろにいるアッシュさんがこちらを覗き込むように立っていた。

 相変わらずのイケメンだ。長いまつ毛に縁取られた金色の瞳が星みたいに綺麗で、油断をしたら吸い込まれてしまいそうな気さえする。


「わっ! アッシュさん! 今日はお店、お休みですよ。忘れてました?」


「覚えてるさ。僕の記憶力は帝国の宝だと、貴族学校の教員たちが口をそろえて言っていたくらいだよ?」


「かつての栄光を自慢しないでくださいよ」


 私がやれやれと肩を竦めて笑うと、アッシュさんは「畳むから、お酒入れて」と言葉少なに私から毛布を奪い取った。てっきり十倍以上の嫌味が返ってくるかと思ったのに、たいへん意外だ。

 昼間の仕事で何かあったのだろうかと、それともまた大精霊の魔力の調子が悪いのか。少しは心を開いてくれるようになったとは思うが、まだまだアッシュさんのことは分からない。


 けれど確かなことは、アッシュさんは意地悪だけど実は優しい人だということだ。きっと、人を寄せ付けたくない理由があって、だからわざと嫌味な振る舞いをしているに違いない。だって、危なくなった私を助けに来てくれたり、肩に毛布を掛けて、起きるまで見守ってくれたりするような人なのだから。


「どうぞ。毛布のお礼です」


 二十分ほどかけて、私はヴァン・ショーを作った。ワインにシナモンやクローブといったスパイス、そして砂糖や果物を入れて火にかけて作るホットワインのことで、フルーティーでほっこりとした味わいのお酒だ。


「いい香りだね」


 アッシュさんはヴァン・ショーが入った耐熱グラスを見て、猫のように目を細めている。

 なんだか視線が柔らかく感じるのは、彼がワイン好きというだけではないと思う。そもそも用もないのに店に来るような人でもないし、やはり何かあったに違いない。


(い……いったい何が……)


 私は赤ワインをベースにオレンジを入れたことや、シナモンで血流促進、クローブで胃の調子を整え、ブラックペッパーで冷えを改善……などなどの知識を披露しながら、アッシュさんが本題を切り出すのを待った。

 

 けれど、彼の口から出て来るのは当たり障りのない世間話や自慢話ばかりで、いっこうに重要そうな話題が聞こえてこない。

 私はアッシュさんと飲み交わす形でヴァン・ショーを一杯飲み、二杯飲み、途中でおつまみのスパイスクラッカーを持ってきて三杯目を飲み干し――、いつの間にかへべれけに酔っ払い、愉快な気分になっていた。


「ふふ……ふふふ……。こんなにお酒を飲んだの……初めてです……。ふふっ」


「婚約者と飲むことはなかったの? デートでディナーとか」


 かなり飲んでいるはずなのにシラフと変わらぬ居住まいのアッシュさんは、とても落ち着いた声で語り掛けて来る。彼と穏やかな時間を過ごすのは、なんだか不思議な感じがした。それに婚約者の話題を彼から振ってくることも珍しかったので、私は彼がルゥインのことを知ろうとしてくれているような感覚が嬉しく、思わず頬が緩んだ。


「へへ……、デートだなんて……。王国の田舎ですよ? 遊びに行けるような場所もないし、お洒落なごはん屋さんもないですし……。あぁ、でも、野原でピクニックするのは楽しかったです。パン屋さんでちょっといいパンを買ったりして……」


「君の料理は? スパイス料理をピクニックに持って行かなかったの?」


「えーっと……、私、その頃はほとんど料理をしなくて……。寧ろ苦手だったんですよね……、たしか……」


「じゃあ、なんで料理を始めたの? きっかけがあったんじゃない?」


「え……。なんなんですか、さっきから……。質問ばっかり……」


 ふわふわと良い心地だったのに、アッシュさんからの質問はなんだか胸にざらざらと残る。口調は柔らかだが、なぜか私にとっては耳が痛くなるような言葉ばかりだった。

 急に血の気が引いてきて、酔いが醒めていくのを感じた。

 私はアッシュさんの無言の圧に促され、必死に記憶に手を伸ばそうとする。だが、私の頭の中にある記憶はある場所から散り散りになっていて――。


「私がスパイス料理を作り始めたきっかけは……、えぇっと……」


「僕が言っていい? 多分、二年前だろ?」


 アッシュさんはすくっと立ち上がると、私がカウンターテーブルの隅に置いていたルゥインからの手紙の束に手を伸ばした。

 私は思わず「やめてっ!」と叫んで止めようとした。

 けれど酔っぱらっていた私は足をもつらせて椅子から転げ落ちてしまい、派手に床に倒れてしまった。

 痛い。でも、今はそれよりも。


「見ないで」


 青ざめた顔の私がアッシュさんの瞳に映っていた。

 私を哀れむように見下ろすアッシュさんは、ルゥインの手紙を私の方に向け、「やっぱりね」とため息を吐き出した。


「この手紙は婚約者が君に宛てたものじゃない。君が婚約者のフリをして、君のために描き続けていたものだ。彼は二年前に死んだんだろう?」


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