33:皇帝ギルベル③
「ど……どうしてここに……。まだ舞踏会にいるはずじゃ……」
俺が顔を引き攣らせていると、アシュバーンは形の良い顎で壁の時計を指してみせた。時刻は深夜一時を回っており、舞踏会は終わっている時間だった。
「まさか、ハンス君を影武者にして抜け出しているなんてね。これって一国の主がすることなのかな……?」
肩をぐぐぐと力強く掴まれ、耳元で穏やかな口調で囁かれる。怒鳴られるよりも、こちらの方が怖い。
こんこんと諭そうとしてくる笑顔の下は想像するも恐ろしく、俺は「ごめんごめんごめん!!」と大慌てで謝罪を口にした。
「騒ぎになるから、俺が皇帝であることは秘密にしてくれ……ッ!」
「分かってるよ。他のお客の迷惑になる。僕だって正体隠してるし……」
アシュバーンが経営する他の店では、包み隠さず「英雄アシュバーンの店!」と広告を打ち出しているというのに、この差はいったい何なのか。
それはともかく、アシュバーンは俺の耳元で「舞踏会でご令嬢たちを捌くの大変だったんだけど」、「君がいないことがバレないようにハンス君に幻術魔法をかけてあげたんだよ、僕が」、「君のことは使い魔を飛ばして国中探し回ったんだ。これって時間外手当出るのかなぁ?」といった恨み言を息つく間もなく口にした。まるでヤバい洗脳を受けているかのようで、俺は「うわぁ、すまなかった!やめてくれー!」と悲鳴を上げて耳を塞いだ。
「アッシュさん、こんばんは。こちらのお客様とお知り合いだったんですね」
俺とアシュバーンの小声のやり取りを見て、フィーナ嬢が弾んだ声を上げた。どうやら会話の中身は聞こえていないらしく、「ご友人ですか?」ときょとんと首を傾げている。
俺は、アシュバーンが『アッシュ』と名乗っていることを初めて知った。
(客だけじゃなくて、フィーナ嬢にも正体を伏せているのか……)
「まぁ、そうだね。仲のいい友人だよ。ギルって呼んでやって」
「良かったです。アッシュさんって、お友達がいなさそうだと思ってたので」
「失礼だな、君」
「あ! もしかして、アッシュさんに食材をくれる方じゃないですか? 丸鶏やトマトをくださったっていう……」
「よく覚えてるね。そうだよ、ギルはお節介だから」
俺が「失礼はどっちだ」と言って笑うと、フィーナ嬢が「そうですよ! 食べ物をくれる人はいい人です!」と大真面目に援護してくれた。
傍から見ていると、アシュバーンに物怖じせずに話すフィーナ嬢が面白い。
奴の正体を知らないにしても、これほどズバズバとものを言うご令嬢は珍しいし、裏表のない素直な雰囲気は、とても好ましく感じる。
だが、もしや彼女のそんな言動がアシュバーンにとってストレスになっているのかもしれない。あまり奴に当てはまる気はしないが、ストレートに感情を受け止めることが苦手な者だっているはずだ。
俺はふっと本来の目的を思い出し、首を傾けてアシュバーンの顔を見上げた。
するとどうだろう。
「そういえばさ。僕、前言ったよね……? 店を開けるのは僕がいる時にしてって」
フィーナ嬢を魔王のような形相で睨みつけるアシュバーンは、周辺の空気を震わせ、フィーナ嬢を「ひぃえぇぇっ! ごめんなさぁぁいっ!」と半分ほど泣かせていた。
「だって、アッシュさんが遅いから……! 常連さんが入口でお腹を空かせて待ってくださってたら、お料理してあげたくなるじゃないですか!」
「遅くなったのは僕の落ち度だけど、あの娼館騒動を忘れたわけ? 君の記憶力大丈夫?」
「そうはいいますけど――」
アシュバーンがフィーナ嬢を責め立てる光景に、俺は口をあんぐりと開けて、「ほう~……」と感嘆の息を漏らした。
どうやらフィーナ嬢はアシュバーンの言いつけを破ったらしい。そのことをアシュバーンが嫌味たっぷりに説教しているようだが、俺から見れば可愛いものだった。俺が知るアシュバーンの説教は、先ほどの洗脳タイプのねちっこいやり方で、完走すると精神がいかれるやつだ。
だから、そう。フィーナ嬢に対するこの接し方は――。
(好きな女子を虐める男子だッ!!)




