30:婚約者からの手紙
後半は、皇帝ギルベル視点になります。
「うふふ。うふふふふふふ」
閉店後、私はテーブル席で一通の手紙を眺めながら、ご機嫌な笑いを堪えきれずにいた。
帰り支度をしているアッシュさんからは「変な笑い漏らさないでくれる?」と辛辣な言葉を浴びせられるが、最早気にならない。
「だって、嬉しいじゃないですか。私にトクベツな魔力があったなんて」
「魔力とは言ってないよ。何か分からないから、これから調べるんだよ」
アッシュさんに何を言われても、今は耳に入らない。ニコォッと満面の笑みを浮かべる私は、先日の出来事を思い出して「ふんふんふん♪」と鼻歌を歌った。
私のスパイス料理が、氷の大精霊の魔力が暴走しかけていたアッシュさんを救った。人生最大のビッグニュースだ。実家の家族も「ぎゃふん!」と言うに違いない。
「私を崇めて讃えてもいいんですよ、アッシュさん!」
「そのふてぶてしい感じ、言いたくないけど、ちょっと僕に似てきた?」
アッシュさんはやれやれとため息を吐き出すと、「君の嬉しさを加速させているのは、婚約者からの手紙かい?」と私の手元を一瞥した。
そう。なんとルゥインからの手紙が【スパイス食堂】に届いたのだ。実家で受け取った手紙が最後だったので、久しぶりの便りに私ははしゃぎしていた。
「今までの手紙は届くまで時差があったみたいなんですけど、今回のはそんなに前のものじゃなくて。このお店の評判を聞いて、きっと店主が私だろうと思って手紙を出してくれたそうなんです!!」
「店主は僕だけど?」
「まぁ、そうなんですけど、そんなことどうだっていいじゃないですか!」
「よくない」
アッシュさんの抗議は右から左へと聞き流し、私は立ち上がって、その場をくるくると回った。喜びの舞だ。
「【スパイス食堂】の噂、帝国の辺境にまで届いてるみたいですよ! アッシュさんだって嬉しいでしょう?」
「えっ。嘘だろ?」
さすがのアッシュさんも気になったらしく、まさに今転移魔法を発動しようとしていた手を止め、こちらに体ごと向け直してくれた。「見せて」と長い腕を伸ばして来るが、この惚気全開なラブレターを他人に見せるわけにはいかないので、私は手紙をサッと背中に隠した。
「読んだらアッシュさん、馬鹿にするからダメです」
「そんなに恥ずかしいこと書いてるわけ? いい歳した男だろ?」
「彼と私はずっとラブラブなんです! 愛に年齢は関係ありません!」
私が力説すると、アッシュさんは何か言いたそうな表情で唇をわずかに動かしたが、声は出ていなかった。何を言おうとしたのだろう。分からないが、アッシュさんは手紙を見ることを諦めたらしく、「なんで辺境?」と短く尋ねてきた。
「戦争が無事に終わった後、彼は帝国の辺境地域の復興支援に携わっているそうなんです! 昔から、困っている人を放っておくことができない性格でしたから、大いに納得です。完全な復興が叶った時には、私を迎えに行くよと書いてありました!」
「へぇ。そうなんだ」
自分から聞いた割には、アッシュさんの反応は薄っぺらだった。私としては喜びを分かち合ってもらえないことは残念だったが、他人の婚約者の話なんて興味ないか……と、思い直した。
そんなしょぼくれている私に気が付いたのか、アッシュさんは「はぁ……」とため息を一つ吐き出してから、指をパチンッと鳴らした。
すると、何もない空中から白の美しい花がふわふわと舞い落ちて来た。私はうっとりとその花に見惚れ、両手のひらで器を作っていくつかを受け止めた。
「つめたっ」
白い花の正体は氷雪だった。手に触れた雪の花はスゥッと溶けて消えてしまった。アッシュさんが魔法で作って出してくれた、儚くて美しいプレゼントだった。
「よかったじゃないか、婚約者の居所が分かって。返事で、復興完了の見込みを聞いておいてよ」
アッシュさんは、二回目の指パッチンで姿を消した。
彼の残した言葉を数回反芻し、私はその意味にようやく気が付いた。
(そうか……。ルゥインが迎えに来てくれたら、私はこのお店を辞めるんだった……)
◆◆◆
「アシュバーン! 何をしているんだ?」
朝帰りしてからずっと自室に籠りっぱなしの親友の生存確認をしなければと、俺は強めにドアをノックした。
返事がない。ただの屍になっていたらどうしようと不安がせり上がってくる。
ここで引くわけにはいかないので、続けて「おーいおーい」と彼を呼びながらドアを叩き続けていると。
「……ギル。何か用?」
キィ……とドアが細く開かれると、たいそう不機嫌そうな親友がこちらを睨みつけて来た。
この俺――皇帝ギルベルに、これほど迷惑そうな顔を向けることができるのは、大陸中探してもアシュバーンしかいないだろう。自信家で、ふてぶてしくて、傲慢で。だが、そうあっても釣りが来るほどの実力と人望を持つのが彼だった。
アシュバーンは、人々の不幸も国の危機も救うことができる。皆がそう信じて疑わない実績を彼は積み重ねて来たし、これからも自信家で、ふてぶてしくて、傲慢なのだろうと、俺は思っていた――が。
「アシュバーン⁉」
俺が仰天せずにはいられないほど、アシュバーンはやつれていた。目の下にはクマができ、髪は艶を失い、目は半眼だ。いつもパーフェクトイケメンとしてキラキラしているというのに、今日の彼はなんだかくすんでいる感じがする。長い付き合いだが、こんなことは初めてだ。
「まさか、氷の魔力のせいか? 大変だ! 何か俺にできることは――」
「違うよ。そっちは落ち着いてる。ちょっとあの子のこと考えてたら、眠れなくって。ストレスかも……」
あの子……というのは、【スパイス食堂】のご令嬢のことだろう。たしか、王国出身の女性だったはずだ。
まさかメンタル極太のアシュバーンをこれほど疲弊させる女性とは、いったい何者なのだろう。よほど自己中心的な性格なのか、それともとんでもない馬鹿という可能性もある。
俺は「もっかい寝て来る」と言ってドアを閉めたアシュバーンの身を案じながら、今夜の予定を決定した。
(よし! 【スパイス食堂】の偵察に行こう!)




