28:凍土に香る
僕は、僕の周りだけ降る雪の降り積もった森を、ふらふらと歩いて進んでいた。
ここは二年前から僕の魔力放出場。人が寄り付かないように迷宮化の魔法をかけたのは、僕の魔法に誰も巻き込まないようにするためだ。別荘を構え、体内の魔力が暴走しそうになったらそこへ逃げ込み、森に向かって大雪の魔法を思う存分放ってきた。
以前は頻回に別荘を訪れていたのだが、なぜかここ数か月は魔力が安定していたので、【スパイス食堂】の経営に集中することができていたのだが、僕の中の悪魔はそう易々と平穏を与えてくれるつもりはないらしい。
「はぁ……はぁ……」
僕の吐いた息が森の木々を凍らせ、歩く地面は凍土に変わる。
体の外に出たいと暴れる魔力が強制的に僕の体を氷のマモノに変えようとしている。
今までこの悪夢の終わりを散々求めてきたが、どんな魔法でもこの呪いを打ち消すことは叶わなかった。
だから僕は命がけで魔力を放ち、誰かを傷つけることを防いできた。
(あぁ……、失敗した……。もっと動けるうちに店に結界を張っておくべきだった……。そんなことも思いつかないなんて、脳みそまで凍ってきたのか……?)
店のことを想い、まだここで魔力を解放するわけにはいかない、と自らを強く鼓舞した。もっと店から離れなければ。もっともっと遠くにいかなければ、彼女と僕の店がなくなってしまう……。
いつの間にか、【スパイス食堂】は僕にとって大切な場所になっていた。
他にも店はたくさん持っている。高級で、上品で、たくさん儲けている店が。
なのに、一つの店に入れ込んでしまうなんて。
いや。入れ込んでいるのは、店に対してなのか?
一瞬有り得ない考えが頭をよぎり、そんな馬鹿なと僕は首を横に振った時だった。
「あぁぁぁあああアッシュさーーーーんッ!!!!」
ついに幻聴が聞こえたのだろうかと後ろを振り返ると、外套を羽織り、マジックバッグを抱えたフィーナがものすごい勢いで走ってくるのが見えた。
あ、幻覚も見えた。
僕はそう解釈したのだが、フィーナは本物のフィーナだった。
「アッシュさん! アッシュさん……ッ!」
僕の前で停止したフィーナは、はぁはぁと息を切らしている。どうやら店からずっと走って来たらしい。綺麗な金色の髪がすっかり乱れてしまっている。
「君……、なんでここに……!」
「へへへ……、アッシュさんが歩いた道、雪が積もってたのですぐ分かっちゃいました」
「危ないから帰ってくれ。僕には時間がないんだ」
「まぁ、そう言わずに」
冷たく突き放されても、フィーナはにこにこと笑ってマイペースに呼吸を整えている。しかもそれだけでなく、マジックバッグから敷物やら紅茶のティーセットやらをごそごそと取り出して並べ始めたではないか。
「ちょ……、何してるの⁉」
僕は彼女の奇行に仰天し、自分の目を疑った。けれど残念ながら、僕の目はまだ氷の塊にはなり果ててはいなかった。
フィーナは鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気で、「本日のスパイス料理をご用意してます」とマジックバックから丸くて大きなパイが乗った皿を取り出した。
「外はサクサク、中は熱々トロトロの《シナモンたっぷりアップルパイ》ですよ~っ!」
目の前にほかほかのアップルパイを突き出され、僕は思わず息を飲んだ。表面の格子状のパイ生地がいかにもサクッとしていそうだし、りんごの甘酸っぱい香りシナモンの独特な香りも格別だった。
そして悔しいが、僕の腹は意図せずぐぅと鳴ってしまった。屈辱だ。
しかも、その音を聞き逃さなかった彼女は、によによとした笑みを浮かべ、僕を見上げてきた。
「ふふふ! お体は正直なようですね!!」
「そんな言い回し、どこで覚えて来たんだよ」
ヴェルファさんか? ヴェルファさんなのか?
とにかく、この子といると調子がいい意味でくるう。
「アッシュさんと食べようと思って、昼間に焼いてたんです。さっき急いで温め直して来ました。一緒に食べましょう!」
柔らかく微笑むフィーナを見て、僕はなぜか言葉を失った。目を離したくないと思った。アップルパイの甘ったるい香りのせいかもしれないが、とにかく僕は不思議と彼女の笑顔に惹きつけられて、考えるよりも先に言葉が口から突いて出て来ていた。
「うん……。食べる」




