23:氷の下は
アッシュさん視点です。じわじわと距離が縮まってきました。
赤ちゃん連れの女性客は、《ポピーシードとオレンジのケーキとたんぽぽ茶》を本当に嬉しそうに召し上がっていた。何度も何度もフィーナに感謝を述べ、店に連れて来た僕にも「今度は自分で来ますね」と言ってくれた。
お客さんとのこの距離の近さは、僕が他に経営している高級飲食店では味わえない。うん……、悪くない。魔獣を倒しても国民は喜んでくれるけど、大魔術師アシュバーンは彼からは遠くて高い場所にいる英雄であって、顔なじみになることはない。
(【スパイス食堂】がちょっと楽しいかも……なんて、悔しいから絶対言わないけど)
閉店後、フィーナと二人で残ったケーキを食べながら、僕は今夜の出来事を黙って思い出していた。
大精霊の話は、半分が真実で半分が嘘だ。
僕がその内の真実の一部を打ち明けたのは、何も知らないフィーナをこのまま最期まで欺き続けることに抵抗を感じたからだ。自分でもその心境の変化の理由をはっきりと理解してはいないが、少しは彼女に愛着を持ち始めたということだろうか。
いや。これだけ毎晩小さな店で顔を突き合わせていたら、そうもなるか。
「お味はいかがです?」
無言でフォークを皿と口の間を往復させていると、フィーナがテーブルの向かいから身を乗り出して尋ねて来た。
美味しい以外の感想を受け付けない雰囲気が隠しきれていないが、実際とても美味しいので、彼女の自信も頷ける。フィーナの料理はいつも美味しくて優しい。
「悪くないんじゃない? また作れば?」
僕のそっけない感想にフィーナは不満そうだったが、少々拗ねたような顔をするのが面白かった。
彼女は色々な顔をする。喜怒哀楽がはっきりしていて、眺めていて飽きることがない。
常に時間の終わりに急き立てられていた僕は、これまで他人の表情や感情にあまり興味がなかったのだが、フィーナだけは別だった。初めは鬱陶しいとさえ感じていたスパイスの話も、いつの間にか面白く聞き続けられるようになった。まぁ、ただ――。
僕はフォークをブスリとケーキに突き刺し、大きな塊を口に放り込んだ。オレンジの爽やかな酸味と甘み、そしてポピーシードのつぶつぶ食感が楽しくて美味しい。
僕は不意に「二人で温かくなるスパイス料理を食べましょう」と言ってくれたフィーナの言葉を思い出し、胸がぎゅんと締め付けられる。
彼女の言うそれは、きっと期間の限られた話。婚約者と再会できたら、【スパイス食堂】はお役御免で閉店だ。
フィーナはきっと、婚約者と幸せな家庭を築くに違いない。子どももできるかもしれないし、長生きすれば孫やひ孫だって見れるかもしれない。
「君には時間がたくさんあるだろう?」
「そうですね。今度はもっともっと美味しく作ります! いつか彼にも食べさせてあげたいですし」
ケーキの話だと思って疑わないフィーナは、笑顔に戻ってこくりと頷いた。
あぁ、やだなぁ……と、僕は冷静を装った心の中で舌打ちをする。
(――婚約者の話はちょっと面白くないかな)




