16:騎士ハンス・ネッケン③
「セロリ、入りました!」
フライパンの中身を炒める女性店員は、心底楽しそうに笑っていた。
オレは無意識に、いいなぁ……と胸の中でつぶやいた。惚れた云々の「いいなぁ」ではなく、料理をする彼女がとてもキラキラしていて、眩しかったからだ。
(オレだって、入団したばかりの頃は……)
セロリが具材と炒められる香りに包まれながら、オレは騎士団への憧れや希望を抱いていた自分を思い出していた。あの頃は、自分が立派な騎士になると信じて疑わなかったのに……。
「こんなんじゃ皇帝陛下に顔向けできないよ……」
オレが過去と今の自分を比べている間に、料理は仕上がった。
女性店員は、少し深めの白い皿を隣からそっとオレの前に置いてくれた。
「〈セロリと鮭のクリームパスタ〉です。付け合わせには、〈ブロッコリーのクミン炒め〉をご用意しました」
本当にセロリがいっぱい入っている。香りはいいが、パスタの具として美味しいのかは疑問のままなので、オレはほんの少しだけ警戒して皿をじぃ……っと見つめた。
すると、数か月ぶりに腹がぐぅと鳴った。
「えっ」
「気分が落ち着いてくると、お腹も空きますよ! さぁ、温かいうちに召し上がってください!」
自分の腹の音に驚いていたオレは、女性店員にせっつかれるようにして「いただきます……!」とフォークを手に取った。そして、少し緊張しながら、えいっ! と料理を口に放り込む。
「んんっ!」
セロリのシャキシャキとした歯ごたえと、独特の香りが鼻から抜けていく感覚が新鮮だった。何より、鮭とクリームソースと合う。臭みのない鮭、そしてまろやかなクリームソースは、ほのかな甘みのあるセロリとの相性は絶妙だった。癖になる美味しさという単語が頭に浮かぶような、そんな味だ。
「美味しい……。セロリ、すごく美味しいです……」
口から出て来る言葉が、そんな捻りのないものばかりであることが申し訳なくなったが、「美味しい」以外の表現が思いつかなかった。
こんなに美味しくて温かい食事は、いつぶりだろう。騎士団の圧力に屈してからは、何を食べても味気なく、いつも不安でいっぱいだったのに。
気が付けば、オレはぽろぽろと涙を流しながら、夢中になって料理を食べていた。
「セロリは肉や魚の臭み消しとしても優秀ですが、実はストレスを和らげる効能があるんですよ」
不意に女性店員が口を開き、オレは顔を上げて彼女の方を見やった。
女性店員は嬉しそうに目を細めながら、さりげなく空になっていたグラスに水を注いでくれた。爽やかな口当たりの美味しい水だ。
「えっ。セロリに……?」
「はい! 実はセロリはスパイスの仲間でして! その独特の香りには、精神を安定させるはたらきがあって、繊維を断つように切ると、香りがいっそう広がります。ストレスに対する抵抗力を高めてくれるブロッコリーと、興奮を収める栄養素を含む牛乳との組み合わせで、リラックス効果がさらに増すんです! あ、ブロッコリーにはビタミンC、牛乳にはカルシウム、セロリにはビタミンKという栄養素があって――」
ここからは彼女の話がよく分からなくなってしまった。栄養学なんてとても高度な学問だし、彼女の口調自体が興奮気味でめちゃくちゃ早口だし、もう、何が何だか。清楚な美人の風貌と裏腹に、なんとも強烈な個性を持つ女性だった。
だが初めは困惑したものの、彼女の情熱というかオタクっぷりがだんだん面白くなってきて、オレの頬は自然と緩んでいた。こんなに楽しくて穏やかな時間は、ずいぶんと久しぶりだ。
(なんか本当にストレスが消えていったかも……)
笑顔で女性店員のスパイストークを眺めていると、いつの間にか一人でワインボトルを開けていたアッシュさんが、ちょいちょいと指でオレに「近くにおいで」という仕草をしていることに気が付いた。なんだろう……と、オレが首を傾げながら座席伝いに彼の隣に移動すると――。
「一聞いたら十以上喋る料理人でごめんね。でも、彼女のスパイス料理で少しは元気になったんじゃない?」
耳元で囁かれ、オレの心臓はドキリと跳ね上がった。筋肉マッチョな見た目に反して、やたらセクシーなイケボだったこともだが、間違いなくセロリのパスタを食べた後のオレの気持ちは上向きになっていたからだ。
「それとさぁ、さっき『皇帝陛下に顔向けできない』って言ってたよね? てっきり民間の騎士団かと思ったけど、もしかして君、皇帝直下の帝国騎士団所属? 紋章入りの盾を持たせてもらえないくらい下っ端なの? それとも嫌がらせで先輩に隠されたとか?」
アッシュさんの言葉に、オレは思わず「へ……へへへ」と変な笑いを漏らしてしまった。この人、自白魔法なんて使わなくてもへっちゃらじゃないか。怖い!
そして、否定しないことが肯定の証であると判断したらしいアッシュさんは、フッと勝ち誇ったように口の端を上げると、オレの耳元から離れていった。
「帝国騎士団を辞めるの、もうちょっと待ちなよ。きっといい事があるから」
いい事ってなんだろう。まったく予想がつかないが、アッシュさんが言うなら、もう少しだけ耐えてみようかなと、オレは頷いた。
どうやら、ここは灰汁の強い筋肉男性店員と美人スパイスオタク女性店員の美味しくてパワフルな店らしい。オレは「そういえば」とあることを思い出して口にした。
「このお店の名前って、結局何て言うんでしたっけ?」
オレはあの小洒落た看板の読み方を尋ねたつもりだったのだが、アッシュさんはそれとはまったく別の名前を口にした。
「【スパイス食堂】。そんな名前がお似合いだと思わない?」




