ノンシュガー=バレンタインデー
世界は思っていたよりも酷く、残酷らしい。
バレンタインデー。
慣れないお菓子作りにも挑戦して、ラッピングも丁寧にして。
彼の姿を探して、見つけて。
こっそり後を追い、校舎影に隠れ、息を整えていた。
踏み出そうとした矢先に聞こえてきたのが、いつの間にか現れていた別生徒の「好きです」という言葉だった。
「僕もです」
声質からして嬉しさの滲み出るそれに、私は崩れてしまいそうになった。
涙の塊が脊髄を通り越す。
吸い込んだ息は心臓をギュッと掴んだような苦しさを秘めていた。
もう一度だけ、呼吸をする。
理性で涙を引き止める。
音を立てないようにして、私はその場を後にした。
鉛のような足を引きずって歩く。
教室に置いてある鞄を取りに行かないといけない。
彼とは同じクラスで、彼のカバンも教室にあったのを知っているから、急がないと。彼が帰ってくる前に姿を消してしまいたかった。
教室出入口の扉枠をくぐる。
夕日の差し込むがらんとしたそこに、ひとつ、人影があった。
彼女は私の立てた足音に気づいてか、こちらに視線を向ける。
「おかえり」
「? まだ、残ってたんだ」
「うん。ちょっと、用事があってね」
親友の手に握られているのは、彼女らしくシンプルかつ澄んだデザインの立方体。
自分が今握りつぶそうとしているそれと、おそらくは同じもの。
ああ、もしかして、彼女も。
そう考えて、ふと、涙防波壁の決壊する音が聞こえた。
「フラれちゃった」
もはや誰にも伝えるつもりのなかった想い。
親友の彼女にすら秘密にしていた、彼への好きという気持ち。
視界が滲む。
「……告白しにいってたんだね」
「しようと、思ったの。けど、前の人に、彼が、好きって」
「そっか」
届いてきた彼女の声が、いつになく震えていたから。
悲しみを勝る驚きに彼女の表情を見た。
頬に、一筋の雫が伝っている。
どうしたのかと問おうとして、彼女は困ったような笑い声をあげた。
「あたしも今、フラれちゃった」
今、という言葉を口の中で転がす。
今って言ったって、この教室には私と彼女しかいないわけで。
彼女は近寄ってくると、いつもの軽い調子で私に四角い箱を差し出してきた。
「好きだったの、あなたのことが」
あげるよ、持ち帰るのも辛いから。
そう言って彼女は私の横を通り過ぎていく。
カタンと鞄の持つ音が響いて、ほろり、違う意味の涙が溢れた。
「待って」
気づけば彼女の裾を引いていた。
「いかないで」
「……なに言ってるの? あたしが言ってたこと、聞いてた?」
両腕を掴まれる。
真っ正面から向き合う形で声を浴びる。
「好きだと言ったのよ、あなたのことが。ずっと隣で、どれだけ我慢してきたと思ってるの? 待てというなら、責任、取ってもらうわよ?」
「…………」
「ねぇ、なんとか言いなさいよ!」
いつになく感情をむき出しにした彼女。
なぜ引き止めたのだろうかと考えて、失いたくないからだと結論を出す。
好きな人が違う人を好きだった。
それはまだ、覚悟していた。
けれど一番の親友を失うことは、いやだった。
「……ごめん、責任は、取れない」
「っ、なら――」
「けどっ、……けどまだ友だちで、いさせてください」
震えている。
声も体も心も。
それが失うことへの怯えからきているのか、緊張からくるのか、はたまた別の今はまだ名もない感情からきているのかは、わからなかった。
わからないのだけれど。
ただ、ひとつだけ。
心臓は、確かにとくりとくりと高鳴っている。
「…………なに、それ」
言いながら、彼女は私を引き寄せる。
胸の上にしがみつく彼女を見て、この感情も高鳴りもバレませんようにと願う自分がいた。
「まだ、って……そんなの、期待しちゃうじゃん……」
バカとつぶやく彼女と。
決して甘さなんてない、ノンシュガーなバレンタインに私の頬は熟れている。
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