第3話「相棒【ノルカ視点】」
「私もあなたと同じで、人を救いたい側の人間だと思っているんですけどね」
人を救いたいって言葉を、初めて曖昧な言葉だと思った。
その救いという言葉の中に、人を殺して得られる救いが混ざっているなんて考えたこともなかった。
「俺は魔法の力を、人殺しになんて使いたくない」
「救いを求めている人がいるのに?」
「そうだよ」
アンジェルの言葉と、アンジェルの光魔法が飛び交う。
呼吸することすらも苦しいと思っていたはずなのに、ようやく息を吸い込みやすくなる。息を吐き出しやすくなる。
それがアンジェルのおかげだなんて、思いたくもないけれど。
(黒猫は、主にとって大切な存在……)
黒猫を利用しない手はないとは思うけど、黒猫を利用するには防御魔法で主の命令を弾くしかない。
(主の元に戻ることを選んでも、主の元から去ることを選んだとしても……)
本能を取り戻した黒猫が場をかき乱すきっかけになれば、それでいい。
(私の弱い防御魔法で、猫を守ってあげることができるか……)
傍にある壊れかけの窓を見て、モーガストさんが亡くなった日の朝に雨が降っていたことを思い出す。
「女装をしてまで魔女を目指しているあなたは、困っている方を見捨てるのですか?」
魔法学園に通っていたとき、模擬戦で使うための防御魔法はほとんど機能しなかった。
私に使える防御魔法は、せいぜい傘を使わずに移動するときの雨除け程度。
「見捨てないために」
結果として、私とアンジェルはパン屋の奥様の力になってあげることはできなかった。
街の人たちと一緒になって、モーガストさんの味方になってしまったかもしれない。
「俺は魔女になるって決めたんだよ!」
でも、奥様を守ることができなかったことを嘆いている場合じゃない。
私たちは、これからの未来を守るために魔女を目指しているから。
(雨除けも、立派な防御魔法……)
主と離れている間に、黒猫の艶やかな毛並みは失われてしまった。
それは、主の飼い猫にとっては可哀想なことなのかもしれない。
「ダメですねぇ」
「っ」
「もっと本気にならないと、私を殺すことはできませんよ」
でも、毛並みを逆立たせている黒猫の姿を勇ましいと思った。
艶やかな毛ではなくなってしまったけど、その方が黒猫らしいと思ってしまう。
(成功、した……)
この場に漂う空気が淀んでいるってことを、黒猫は自分の本能で感じ取ったのか。
体を温めてあげたことを、ミルクを与えてあげたことを、恩義と感じてくれているのか。
ああしなさい、こうしなさいって命令がなくても、黒猫の瞳は主を睨みつけているように怪しく輝く。
「心臓が止まりますように、って願いを込めるんです」
深呼吸を繰り返しても、心臓の動きは相変わらず忙しない。
心が落ち着くのを待ってくれないところも、黒猫らしいと思ってしまった。
「約束ですよ……っ」
黒猫が勢いよく飛び出していく。
黒猫の命を救ったアンジェルでもなく、本来の主を目がけていくこともなく、この場から逃走するための経路を探しに行く。
「ヴァルツ……ヴァルツ!」
たいした明かりもない場所で、金色の髪の女性は自分の使い魔を見分けることができた。
何が目の前を過ったかなんて判断もできないくらい暗い場所のはずなのに、彼女は確かに黒猫の名前を呼んだ。
(私は無能だけど……)
透明化の魔法を使わないことが功を奏したのか、私の存在に構っていられないのか。
(私の存在は、気づかれていない……!)
どちらにしたって、私は絶好の機会を得ることができた。
「ヴァルツ、私はここですよ」
女性の意識が黒猫に集中しているところに、アンジェルが攻撃を仕掛ける。
「アンジェルさん、聞いてました?」
戦いに加わったところで、アンジェルの足を引っ張ることしかできない。
「攻撃魔法で、人を殺してはダメなんですって」
唯一できることは、感情魔法を使って相手の戦力を削ぎ落とすこと。
一瞬だけでも、アンジェルを殺したいって気持ちを抑えること。
(その魔法が、何秒持続できるか……)
私は、数秒の隙を作ることしかできない。
黒猫と私が作り上げた、その数秒の隙。
それを、アンジェルに利用してもらうしかない。
「人を殺すときは、自然死を装う……っ、う……」
アンジェルを殺そうとしていた女性に感情魔法がかかり、女性は感情を抑制されて動くことができなくなった。
「アンジェル!」
「っあ……」
私の感情魔法が、たった数秒しか保たないことを知っていたのか。
それとも、好機だと気づいた瞬間に体を動かしただけのことなのか。
アンジェルは一瞬の隙を狙って、一気に女性へと攻め込んだ。
「はぁ」
安堵の溜め息が漏れる。
その後の流れは、アンジェルが女性を拘束するという望んだ通りの展開になる。
黒猫が主に寄せた信頼とは違うけど、私も私でアンジェルが、そういう展開に持ち込んでくれると信じた。
止まらない手の震えを抑えるために、私は再び自分の手に力を込めた。




