第2話「一方的な思いやり」
「奥さん」
「ん?」
冷えた体の黒猫に体温が戻るのを見守りながら、黒猫とパン屋の主人の関係を話し合おうと思った。
でも、ノルカが持ち出した話題は、パン屋の奥さんの話だった。
「明日お店を開くから、手伝ってほしいって」
「…………は?」
「だから、明日お店を開くから手伝ってほしい……」
「いや、モーガストさんは亡くなったばかりで……」
「私だって、そう言ったわよ」
黒猫が驚かないように、ノルカはなるべく声を押さえながら俺と言葉を交わす。
「休んだ方がいいって、ちゃんと伝えた」
奥さんに対して間違ったことを言ったつもりはなく、声を押さえながらであってもノルカは自分の正しさを理解してもらおうと声をはっきりと出す。
「でも、店を閉めている場合じゃないって……」
奥さんの言い分も、理解できないわけではない。
いつまでも亡くなった旦那さんのことで落ち込むくらいなら、働いて気を紛らわせたいって気持ちはあるだろう。
天国にいるご主人だって、奥さんの泣く姿よりは元気に働く姿を見たいと思っているはず。
「奥さんの気持ち、汲むべきよね……?」
「店の手伝いくらい、いくらでもやるけど」
でも、大切な人に災いがあったのなら、心を休める時間を大切にしてほしいと思ってしまう。
その、心を休める時間を大切にしてほしいって気持ちすら、俺たちが抱いている一方的な感情であることに違いはない。
一方的な感情だからこそ、相手を思いやることの難しさを感じる。
「黒猫は……」
「この様子だと、部屋から出て行くのも難しいんじゃないかしら」
「だよな……」
ノルカの腕の中で、かすかな吐息を漏らす黒猫に触れる。
「この弱ってる黒猫が、モーガストさんを殺してないってことはわかったけど……」
「ほかの黒猫は、人の死に関与しているかもしれないわね」
「だよなー……」
黒猫が世界に1匹しかいないって言うなら話は早いけど、ルアポートの街を訪れる黒猫が1匹しかいないとは考えにくい。
あくまで捕まえた黒猫がモーガストさんの死に関わっていないだけで、別の黒猫はモーガストさんの死に関わっている可能性も残されている。
「でも、誰かが亡くなるタイミングで黒猫は現れているの」
「んー……偶然とか?」
「情けないこと言わないで」
あまりに適当なことを言う俺を叱責するよう視線を俺に向けると、黒猫がノルカの鋭い視線に気づいたのか。ぴくりと反応を示した。
「なんか食べるかな」
「温かいミルクとか?」
黒猫の死に立ち会わずに済んだ喜びを抱きながら、俺は簡易的なキッチンへと足を運ぶ。
「パンは?」
「人間用のパンはダメ」
モーガストさんが持たせてくれたパンは、俺とノルカで食べきれる量のものではない。
それだけ多くの厚意を俺たちにくれたモーガストさんは、もうこの世にはいない。
黒猫に人間用のパンを与えることができないのは、俺を殺した黒猫に食べさせるパンはないよっていうモーガストさんのメッセージなのかもしれない。
「ノルカ、猫かなんか飼ってた?」
黒猫を撫でる手つきが優しくて、ノルカが動物の扱いに手慣れていることが一目で分かる。
「飼ってないわよ」
「え」
「図書館の本をすべて読めば、大抵の知識は身につくはずよ」
さらりと恐ろしい発言をしてくる相方に、なんて言葉を返したらいいのか分からなくなる。
自分も魔女試験の合格に向けて知識をつけてきたはずなのに、ノルカの知識量には遥かに劣っていると気づかされる。気づかされるからこそ、肩身が狭い。
「ほら、飲めるか」
体温が上がってきたところで、すぐには口に飲み物を運ぶのは難しいようだった。
皿の中に注いだミルクが波打つけれど、黒猫はミルクの波にすら警戒しているように見える。
「食べないと弱っていくだけだぞー」
ちゃんと食べて、元気を取り戻せと声をかけても、黒猫は呼吸を繰り返すだけ。
目の前に差し出されたミルクに興味は持っているみたいでも、そのミルクを口にしようかどうしようか躊躇っている様子が歯痒い。
「アンジェル」
「んー?」
なんとか黒猫にミルクを口にしてもらおうと、黒猫に対してアプローチを試みる。
「猫の魔法を解いて、あなたも休みなさい」
「ん」
「防御魔法をかけ続けてたら、いつか記憶が飛ぶわよ」
「はいはい」
猫1匹に防御魔法をかけ続けただけで、魔力枯渇による記憶の喪失を引き起こすわけがない。
そうは思うものの、やっぱりノルカは慎重な性格だった。
「ほーら、自由に動き回っていいぞー」
魔法を解いたところで、黒猫が元気になるようだったら苦労しない。
そう思って気軽に声をかけたけれど、その声がけこそが猫に驚きの変化をもたらした。
「にゃっ」
黒猫の体調が回復したわけではない。
でも、あんなに飲むのを躊躇っていた黒猫が皿のミルクに舌を伸ばしてくれた。
「体温が戻った……?」
「それはあると思うけど……」
猫に対して違和感を抱いているのは俺もノルカも同じで、目の前のミルクを勢いよく飲み干そうとする黒猫を呆然と見つめてしまう。




